#52 ~ どうか、この手が

「なるほどねぇ」


 すべてが終わり、後日。


黒の蝶ノワール・パピヨンが壊滅か。それが正しいかどうか、伯爵も目を皿にして洗ってんだろうが……」


 酒場でグラフィアスさんたちと杯を交わしながら――ちなみに俺はノンアルコールだ――彼の言葉に頷いた。


「はい。連中はアジトもないみたいなんで、確認も難しいだろうと」


「だろうなぁ」


 ただ、蝶のタトゥーをもった人間が各地で死んでいるのが見つかれば、ある程度の確認は取れはする。

 しかしそれが構成員のすべてかどうかまでは分からない。


「幹部とされる、タトゥーにナンバーの入った連中が全員死んでいるかどうかは確認するそうです」


「ま、幹部全員が死んでるとなれば、確度は高ぇだろう」


「奈落と名乗った男の足取りも分かってませんし」


「暁の聖杯、ね」


 グラフィオスさんは、小さく呟いて杯を傾けた。

 ひょっとして何か知っているんだろうか。だがそれを問い質す前に、女性の声が割り込んだ。


「それでユキト君、君が気にしてるのは、イリアちゃんのことでしょ?」


 同席していた女性――A級ハンターのエミリーさんが、薄く笑いながら問う。俺はそれにむっとしつつも、「ええ」と頷いた。


「入れ込むわねぇ。ひょっとしていうことなのかしら」


「そういう勘繰りは失礼ですよ、エミリーさん」


 苦笑交じりに突っ込むシルトさんに、アンタも笑ってるじゃないかと思いながら、俺はため息交じりにかぶりを振った。


「そりゃ入れ込みますよ。自分の生徒で、しかも彼女の復讐を邪魔したのは俺ですから」


「でも、そのことに後悔はないわけでしょ?」


「ええ」


 ためらいなく頷く。きっと何度繰り返しても、俺は同じ選択をするだろう。たとえ同じ結果になることが分かっていたとしても。


「ま、復讐相手が知らねぇうちにいなくなっちまった、ってのはキツいわな」


 グラフィアスさんが、ぐっと酒をあおる。

 それは、思い出した何かごと飲み干すようだった。


「まぁ……そうでしょうね」


 シルトさんもまた、グラスに指をはわせていた。

 エミリーさんも、少し気まずげな顔だ。

 もしかして彼らにも……。


「そりゃ、斬った張ったの商売やってるもの。大なり小なり、似たようなことはあるわ」


 でもね、と、エミリーさんはワイングラスを片手に持ったまま、俺に指先を向けた。


「そういうのはね、自分で乗り越えるしかないの。誰の手も借りられない。だって、自分の問題だもの」


 それは、ひどく正論だった。

 冷たいように聞こえはしても、結局、それ以外の答えなどないのだろう。


「別に逃げたって、眼をそらしたって構わないわ。それもまた乗り越えるってことだもの。でもただ引きずって、囚われて、それだけじゃ前には進めない」


「……そう、ですね」


 自分に言われたような気がして、俺もまた杯をあおる。

 ノンアルコールカクテルでは何も流せた気がしなかった。


「でも、僕たちに出来ることもある」


 シルトさんは、そう言って笑った。


「支えてあげることです」


「支える?」


 ええ、とシルトさんは頷く。


「人が一人で出来ることなんてたかがしれている。でも、自分のことを想ってくれる相手がいるというのは、それだけで違うものだと思うよ」


「おい、クセェぞシルト!」


「グラフィアスさんは黙ってください」


「いや、今のは相当よ?」


 笑いあうグラフィオスさんたちに、俺もまた苦笑した。


 でも確かに、そうなのかもしれない。

 自分に手を伸ばしてくれる相手というのは、きっとそれだけで救いなのだ。

 かつての俺は、それに気づかなかった。だからいつも俺は一人だった。


 けれど、きっとイリアさんは違う。

 彼女に手を伸ばす人も、伸ばされた手をつかみ取る強さも、彼女にはある。


「あー! いたー!!」


 店内に響いた大声に、全員が驚いたように振り向いた。

 机の下にいたクロが、何かに気づいたかのように「ワンッ」と吼えた。


 そこには、生徒会長のシェリーさんが。

 それだけではない。

 イリアさんに、アイーゼさん、レーヴ君、他にも大会に出場していた学院の面々が続々と姿を見せる。


「ユキト先生、祝勝会やりましょって言ったじゃないですか!」


「あー、そういえば」


 言ってたような?


「せっかく優勝したのに、こんな酒場で飲んでるなんて」


「オイ、失礼な嬢ちゃんだな」


 酒場のマスターが顔をしかめると、「あっ、ごめんなさい」と彼女は頭を下げた。さらにイリアさんもまた「すみません」と頭を下げると、マスターはふんっと鼻を鳴らした。

 顔が赤くなっている。美人に弱いというのはやはり男性全員、万国共通の摂理だ。


「か、会長。待ってください、あれって……」


暴獣ベヒモス風の薔薇ウィンドローズ……! 凄い、トップハンターが二人も」


「あ、あの銀髪の人も前に確か雑誌で見た! 確か微笑みの貴公子って……」


 一人の女子生徒の発言に、ブッフゥ、とグラフィオスさんとエミリーさんが同時に噴き出した。


「微笑みの……貴公子……」


「ぶわっはっはっはっは」


 腹を抱えて机に突っ伏すエミリーさんと、爆笑するグラフィオスさんに、シルトさんが青い顔をした。


「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ! そんなの勝手に言ってるだけで――」


「ククッ……二つ名なんてそんなもんじゃねぇか。気にすんな」


「ププッ……そうよね。どこかの雑誌の編集者とかが勝手につけて、気が付けば広まってるし」


 いやめっちゃ笑っとるがな。


 さらにグラフィオスさんが悪ノリして「微笑みの貴公子でスマイル・プリンスとかどうだ」「いやエンジェル・スマイルね」「貴公子どこいった」「プリンスはまずいでしょさすがに」などと取り留めもなく広がっていく。

 その悪ノリトークに、さしものシルトさんも撃沈し、頭を抱えた。


「あの……すみません。私のせいで……」


「いや……うん……」


 君は悪くない、などという慰めすらも出てこない。

 応援してます! と女子生徒は言っていたが、それにも「ありがとう」と空虚な笑みを浮かべるしか出来ないようだった


 なるほど、二つ名ねぇ。大変だな、ハンターも。


「先生。他人事みたいな顔してますけど、先生も漆黒の剣豪って言われてましたよ」


 イリアさんの苦笑交じりの言葉に、えっ、と俺も目をむく。

 するとその隣でアイーゼさんもこくりと頷いた。


「うん、言ってた。確か実況の人が」


「あのアマァ、マジで許さん」


 絶妙にダサいのがまたヤバすぎる。


「まぁユキトは今、帝国でもトップクラスに注目されてる一人だからな。二つ名ぐらい付くだろ」


「結局、決勝リーグも圧勝、瞬殺だったしねぇ。あれを解説しろって言われてる身になりなさいよ」


「いいじゃないですか、漆黒の剣豪。まだマシです」


「よくねぇわ!」


 断じて拒否だ! 抗議の電話いれてやる!!


「シェリー。おなかすいた」


「あーそうだね! みんなー、しょうがないからここで祝勝会はじめよ~。マスター、パステル牛のローストビーフください!」


「……ったく。しょうがねぇな……」


 マスターがまんざらでもなさそうに準備を始めるのを見送って――ちなみにアイーゼさんの目線はその背中に釘付けだ――シェリーさんはふと思い出したように言った。


「でも先生って、剣豪っていうより剣聖って感じですけど」


 その言葉に一瞬、全員が固まる。


「いや嬢ちゃん……剣聖はマズいだろ」


 グラフィオスさんの言葉にシェリーさんは、そうなの? と首を傾げた。

 どうやら彼女には分からない感覚らしいが、武術をかじっている全員がうんうんと頷いている。

 スマン、俺も分からない。


「帝国っつか、大陸で剣聖って呼ばれるのは一人だけだよ」


「ジン・ライドウ老師ね。一度でいいからお目にかかってみたいわ」


 ジン・ライドウ……。


「世界最強の剣士って言われてますよね」


「そうだね。老師の逸話は枚挙にいとまがない。武の道に身を置く者なら、誰でも憧れる伝説だよ」


 イリアさんの言葉にシルトさんも頷く。

 それはまた、どれだけ凄い人物なのだろう。


「……会ってみたいな、それは」


「会えるかもしれんぞ」


 グラフィオスさんが、にやりと笑う。

 全員の目線が、彼に集まった。


「こりゃオフレコなんだが、なんでも老師が武芸大会に顔を見せるんじゃないかって噂がある」


「本当ですか!?」


 ガタっと立ち上がったのはレーヴ君。だがそれ以外の全員も、驚いたように目を見開いていた。


「これはもう、今年の武芸大会は凄く盛り上がりそうだねぇ」


 熱に浮かされたような皆の表情を見て、シェリーさんが苦笑交じりに言った。

 よっぽど憧れの存在なんだろうな……。

 もし会えたなら、手合わせしてもらえたりしないだろうか。


 その後、宴もたけなわとなって、全員が思い思いに会話を楽しんでいた。


 剣聖ほどではないだろうが、憧れのA級ハンター相手に緊張しっぱなしのレーヴ君や、もぐもぐと山盛りの料理を平らげ続けるアイーゼさん、シェリーさんは……笑いっぱなしだ。あれ酒じゃないよな?


「ユキト先生」


 不意に、俺の隣に座るイリアさんが俺を呼んだ。

 彼女の眼は、俺を見ていなかった。

 皆が笑うその光景を、どこか眩しそうに見つめていた。


「ありがとうございました」


「……いや、俺は」


「先生のお陰で、私はここに戻ってこられたんだと思います」


 彼女は、そう言って笑った。

 その笑顔は、とても綺麗で。

 一瞬、見惚れてしまったほどに。


「私も、もっと強くならないと。アイーゼさんにリベンジしたいですし」


 ――彼女の復讐の炎は、まだ消えてなどいない。

 あるいはそれは、一生消えることなどないのかもしれない。

 今でも、その炎は彼女の中で燻って、消えることのない痛みとなってその心を炙り続けているのだろう。


 それでも、彼女は笑っている。


(強いな)


 彼女は俺などより、よほど強い。


「……試合、惜しかったな」


 彼女とアイーゼさんのエキシビジョンマッチは、本当に一進一退というか、最後まで息をもつかせぬ接戦だった。

 氷の魔法に、速度と正確さを兼ね備えたイリアさんの剣と、炎の魔法と攻撃力、そして槍のリーチを生かした戦術で巧みに立ち回ったアイーゼさん。


 最終的に勝利したのはアイーゼさんだった。

 疲れによって一瞬だけ見せたイリアさんの隙を、彼女は見逃さなかった。


「本当にいい試合だった」


「良かった。……先生にそう言ってもらえるのが、一番嬉しいです」


 俺はふと、シルトさんの言葉を思い出した。


 伸ばした手が、誰かにとって救いになるとして。

 俺の伸ばした手は、果たして、イリアさんにとっての救いになれたのだろうか?


 飲み干したグラスが、からりと氷の音を立てた。

 隣で笑う少女の笑顔に、俺もまた、笑みを浮かべた。




#Chapter.1 < Sleeping in the Rain > ... End.

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       To be Continued Next...

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