◆49 ~ 絆

「失礼します、伯爵さま」


 少女の声を筆頭に、三人の人物が部屋へと入ってくる。


「……会長、レーヴ君、アイーゼ先輩」


「夜更けに失礼します」


 深く三人で頭を下げ、父が大丈夫だと頷くと……会長はツカツカと私に近寄った。

 生徒会長――シェリーの顔は、見たことのないほど怒っていて、顔を真っ赤に染めていた。


 一体どれほど迷惑をかけてしまったのだろう。


「会長、あの――」


「バカ」


 頭を下げようとしたとき。

 ――ぽろぽろと、その両目から、涙がこぼれ落ちた。


「バカ……バカじゃない……なんで一人で――!」


「……会長」


「どれっ、だけっ、心配したと――!」


 会長は、泣きながら、私を抱きしめる。

 強く、ただ強く。それはあの日、アイーゼ先輩を抱きしめていた時と同じように。


「ごめんね……っ、私が、気づいてあげてれば……!」


「――いえ、違います。本当に、私がバカだったから」


「全く同感だ」


 レーヴ君が呆れたように、頭に手を当てた。


「一人で行く奴があるか。端末フィジフォンも自分で切ったんだろう? 頼れる人間だって……いるだろう。俺たちじゃ足手まといだというのなら、そこの男だって」


 レーヴ君が、ユキト先生に視線を向ける。

 視線を向けられた先生は、意外なものを見るような顔でレーヴ君を見て、その視線に「ちっ」と彼は舌打ちした。

 よほど言いたくなかったんだろうか。

 それを言わせてしまうほどに、私は心配をかけてしまったのか。


「……まさか、すっぽかされるとは思わなかった」


「先輩……」


 アイーゼ先輩は、いつもの無表情に、かすかに呆れを滲ませていた。


「私との約束は、その程度だった?」


「違います!」


 彼女との約束は、私にとっても大切なものだった。

 そのためだけに、この一年があったと言ってもいいほどに。


「……冗談。言ってみただけ。でもお詫びが必要」


「それより、試合は――」


「言うまでもない。当然、優勝した」


「そう、ですか」


 良かった、と思うと同時に。

 終わってしまったんだ、と、分かっていたことを突きつけられた気になって、下を向く。

 すべてが自業自得。私が、私自身の意思で背を向けた結果。言い訳なんて何一つできない。


 そしてアイーゼ先輩にとっても、その結果が不服なものであったことは、表情を見て分かった。


「イリアに勝って優勝しないと、意味がないよ」


 そう言ってくれることは、素直に嬉しい。

 それに応えられなかったことが腹立たしくなるほどに。


「だから、お詫びが必要。明日、私と戦ってもらう」


「え?」


「集団戦のあと、エキシビションマッチ」


 父に目線を向けると、苦笑して頷く。

 会長もまた、涙をぬぐって、そして頷いた。


「ぐすっ……運営委員会に説明したら、許可を貰えたの。イリアちゃんは去年準優勝で、今年の優勝候補でもあったから」


「でも、体調が万全じゃないなら、やめてもいい」


「やります」


 即答した。

 当然、そんなチャンスがあるのなら……私は、戦いたい。

 アイーゼ先輩と本気で戦えるのは、これが最後だから。


 先輩はほっと息を吐いた。

 その表情に、私は悟った。

 アイーゼ先輩にも同じように、きっと、心配をかけていたんだと。


 エキシビションというが、そんなものを運営に認めさせるのは簡単じゃなかったはずだ。

 アイーゼ先輩にとって何の得もないのに。

 それでも、少しでも私が後悔しないで済むように――


「ありがとうございます、先輩」


 うん、と、アイーゼ先輩はうなずいた。

 その声は、少しいつもと違っていた。



 明日行われる集団戦の確認だけして、先輩たち三人は帰宅の途についた。

 そして私もまた自分の部屋に戻る途中「イリアさん」と先生に呼び止められる。


「――これはあえて、聞いておかないといけないことだと思う」


「……はい」


「まだ、復讐したいという気持ちに変わりはないか?」


 先生の言葉に。

 私は、思わず息を呑んで。


「――はい」


 そう、答えた。


 きっと、違うと言うべきなんだろうと分かっている。

 けど彼の、真っすぐに私を見つめる目に、嘘はつけないと思った。


「そうか」


 殺したいと思うほどの、燃えるような憎悪と怒り。

 正しくないと分かっていても、鎮火することができない。


「それは、間違っていないと思う」


 けれど彼は、それが間違いだとは言わなかった。

 悪だとは、一度も。


「その憎しみも、怒りも、簡単に消えたりしない。それもまた、君の心の一部だから。でも――」


 先生が私の目を見た。

 その目は、どこまでも優しい。


「忘れないで欲しい。ただ君を心配し、その無事を願う人がいることを。復讐を願うことは否定しない。でも、君自身を蔑ろにしないでほしい」


 あのとき、私はすべてを捨ててもいいと、願った。

 ああ――きっとそれだけは、間違っていた。


「そしてこれは、俺からの願いだ。

 ――自分自身が磨いてきた剣に、恥じない自分であってほしい。その、誰よりも曇りのない剣に」


「……はい」


 誰よりも曇りのない剣。

 兄を追い、そして今ではたったひとつ、私にとって、兄と繋がれる唯一のもの。


 兄の死を、忘れることはないだろう。

 その憎しみも、怒りも、きっと消えることはない。

 けれどそれが、兄との記憶すべてを塗りつぶしてしまったら、兄は私の中のどこにもいなくなってしまうのだろう。

 それは嫌だと、思った。


 同時に。

 私の剣を、綺麗だと言ってくれた先生を――もう裏切りたくない。


「俺が言いたいのはそれだけだ。ごめん、呼び止めて。それじゃ俺も帰るから――」


「先生」


 呼び止める。


「……また、剣を見てくれますか?」


 ただ一言、私のワガママを。

 もう大会は終わってしまった。アイーゼ先輩との試合も、明日で終わる。帝都の本選は、私にはない。

 だから本当に、それはただのワガママで。


 目と目が合う。


「もちろん」


 そう言って彼は、笑った。


 私は思わず、目を逸らす。

 その顔が、うまく見れなくて。


 先生を見送って、自分の部屋に戻って、ベッドに寝転がる。

 それでも治まらない鼓動の音は、とても煩いのに。

 ……なぜかそれを心地よく思う、自分がいた。

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