◆46 ~ なにもいらない

「――あの女はなんだ! 私は聞いてないぞ!」


 不意に聞こえた叫び声に、意識が闇から引っ張り上げられた。

 だが目覚めた先もまた、闇だった。

 体をひねるが、うまく動かない。手と足が、何かに拘束されている。


(生きてる……?)


 それは、曖昧だが確信としてあった。


(気絶させられて運ばれた?)


 どこに? ……あの男の入っていった一軒家?

 身を起こし、徐々に暗闇に慣れてきた視界が、世界を明瞭にしていく。


 そこは物置のような場所だった。

 自分の身体を見ると、薄汚れてはいるが、服装にさして乱れもない。


「だからよぉ。あの女は多分、伯爵の関係者だ。もしかしたら娘かもな。だとしたら、色々と使えるだろうが?」


「……ふん。計画の支障になったらどうする? 伯爵の娘が行方不明となれば、警察も血眼になって探すぞ」


「いいんだよ、それで。それより例のブツは――」


 時間は、どうやらなさそうだ。

 使う、というのが何を意味するのかは分からないが、ロクでもないことは分かる。


「っ……」


 体を起こすと、腹部に鋭い痛みが走った。

 腹部にかけていた魔術は解け、血が少しずつ流れ始めていた。

 だが今ここで魔術を使えば、察知される可能性もある。隠匿の式に自信はなかった。


 痛みを無視して体を丸め、腕を回転させ、縛られた手を前に出す。


(靴を脱がさないなんて、馬鹿ね)


 手間を惜しんだか、それとも余裕の証か。

 靴に仕込んだエッジを使い、ゆっくりと、手を縛っていた紐を切る。

 手で靴を脱がし、同じくエッジを使って足の紐も切った。


 ――先生に教えられた脱出術。

 これだけじゃない、先生に教えられたことは山ほどある。

 いろんなことを教えてもらった。


 なのに、さっきの格闘はあまりに無様だった。

 格闘の基礎、その何一つとして出来ていなかった。


 ――ユキト先生。

 彼なら、どうするだろう。

 今の私を彼が見たら……。


(迷っている時間は、ない)


 そっと体を動かし、音を立てないように動く。

 物置を物色し、武器になるものを探す。と――


(あった)


 物置にあった箱から剣を静かに抜き取り、鞘から取り出すと、確かな白刃が目の前に現れた。


 まさか本当にあるとは。

 この時ばかりは、神に感謝を捧げたくなった。


 剣を手に、そっと隣室を覗く。 

 そこには、先ほど見たガラの悪い男と、私がつけていた不気味な男の二人が、何やら話をしていた。


「――計画については支障ないだろうな」


「ああ、問題ねぇよ。こいつで闘技場はドカンだ」


「ふん……」


 それは、長方形の物体だった。

 ドカン、という言葉から、すぐに爆弾を連想する。


(まさか、闘技場を爆弾で吹き飛ばすつもり?)


 だとしたら、どうなる?

 決まっている――


 父も、会長も、アイーゼ先輩も、レーヴ君も、……ユキトも。

 こいつは、その全員を殺すつもりなのだ。


(また、奪われる――)


 こいつらは、私から全てを奪っていく。

 私が大切にしているもの、すべてを……!


 ――殺す。


 ああ、そうだ。


 殺さなくちゃいけないんだ。


 そのために、私は――


「ま、ご苦労だったな。コイツはもらってくぜ」


「ああ……」


 瞬間。

 転がり出た私は、不気味な男の背中に剣を突き刺した。


「がっ!」


 まず一人。

 男を蹴り飛ばし、剣を構える。

 ガラの悪そうな男は、「へぇ」と口元をほころばせて、腰の剣に手をかけた。


「やるねぇ嬢ちゃん」


「……黙りなさい。その爆弾、渡してもらう」


「クク、そいつは出来ねぇ相談だなぁ」


 息が荒い。

 苦しい。


 こんなヤツに、兄様は殺された。

 それを思うと――今にももう、叫び出しそうで。


「わかるぜぇ。その目、殺したくて殺したくてしょうがねぇんだろう?」


「……黙りなさい」


「復讐か? ククッ、おい、教えてやろうか? あのガキの最期――」


「黙れッ!!」


 ピシィッ、と音を立てて、部屋が凍った。


 ――氷乱ダンスオンアイズ


 部屋中に生じた氷の破片は鋭く尖り、男に向けて殺到する。

 本気の、殺すつもりで放った魔術。だがその氷は一度たりと男の肌に触れることなく、避けられ、叩き落とされた。


「甘ェ――」


「甘いのは、そちらよ!」


 抜き打ちの斬撃。地を這うようにして一閃を放つ。

 足元の一撃は極めて避けづらい。特に無数の魔術によって意識を散らされた後は。

 だがそれさえも。男の刃に阻まれ、甲高く音を立てた。


 地面に突き立てるように、刃を阻んだ剣。

 それが跳ねあがり、私の顎先を撫でるように空を裂く。

 どうにか避けて、転がりながらも立ち上がった。


「へえ、悪くはねぇ。やっぱりお前、あのガキの妹だなぁ。行儀の良い剣がソックリだ」


 その言葉がノイズとなって、思考をかき乱す。

 男は、邪悪に満ちた顔でにっこり笑って。


「同じように殺してやったら、どんな顔をするんだ? オイ」


「黙れ――!」


 踏み込む。一歩でも早く。

 殺せと、剣を振れと、私の底から叫ぶ声に従って、剣を叩き落とした。

 だが。

 それでも、届かない。


「あ、あああぁぁああああ――!」


 斬る。斬る、斬る、斬る、斬る―――!!


 あの日の光景が、走馬灯のように思考を回る。

 こんな男に奪われた、――あんなにも愛おしく穏やかだった日々が。

 兄の言葉が。手のぬくもりが。

 その尊厳のすべてと、頭さえも失った、兄の亡骸が。


「――悔しいなぁ」


 地の底から響くような男の声。

 笑みに歪んだ顔。

 そして――


 唐突に地面から生えた槍のような岩が、私の腹を裂いて、突き飛ばした。


「がっ――!」


 壁に叩きつけられ、肺から空気が抜ける。


「お前の兄貴の最期を教えてやるよ」


 廃屋の中を進む男の足音が、ひとつ、またひとつと響く。

 聞きたくなくても、それは耳に滑り込んでくる。


「だま、れ……」


 だが、ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、男は滔々と兄の最期を語り始めた。


「奴の率いる部隊は必死に戦った。それはもう必死にな」


 だが抵抗むなしく、兄は捕まり――そしてその眼前で、一人ずつ、自分の部下を処刑されていった。


「最初のうちは、覚悟はできているだの、早く殺せだの言っていたがなぁ。最後のほうなんて、もうやめてくれって泣き叫んでよぉ」


 やめろ。


「首を撥ね落としてやる頃には、父さんだの母さんだの、助けてだの。ああそういや……何て言ったかなぁ。女の名前も呼んでたな。確かそう、イリアだ」


 なんで。

 どうして。


「あんまりにも傑作だからなぁ! 首を落として、服も剥いじまった! オイ、どれがアイツの死体かわかったか!? なぁ!」


 必死に、必死に磨いてきたはずだ。

 どうして私の剣は、こんな男にさえも届かない。


「残念だなぁ」


 響く足音。

 首元に突きつけられた剣。

 わずかに私の首元に刺さった剣先が、血に濡れていく。


「復讐のために、必死になって剣を磨いたんだろ? ――全部、何もかも、無駄だったなあ」


 無駄?

 何もかも?


 ああ、なんでだろう。

 今この瞬間に、思い出すのが、どうして――先生との記憶なんだろう?


 彼に縋って、どうする?

 この男を殺してくれと縋るのか?


 それだけは、ダメだ。

 あんなにも美しいと思えた剣を――そんな風に穢すのだけは。


「安心しろ。殺しやしねぇ。ちょうど都合が――」


「……わたしは」


 復讐を果たすのなら……自分の手で。


「もう、なにも、いらないから――」


 ピキリ、と凍る音がした。

 剣に滴る私の血が。


 男の顔が、驚きに凍る。

 それさえも――すべて。


 ただ荒れ狂うような魔力の奔流が、宙を迸った。


 風が、すべてを凍らせていく。

 壁も、天井も、何もかも。

 氷に変わった天井が崩れ落ち、頭上から、いつしか降りだしていた雨が降り注いだ。


 それさえも、すべて、氷に変わる。

 鋭く尖った、小さな氷の槍に。


 音を立てて、無数の氷が突き刺さる。

 そのあまりにも無慈悲な雨は、部屋を穿ち、屋根を穿ち、そのすべてを崩壊させながら崩れ去っていった。


 ……。


 部屋の一角。

 いつの間にか出現していた石の塊が、ゆっくり崩れていく。

 そこから顔を出したのは、剣を手にした男一人。


「……ちっ、暴走ってやつか? どんな魔力だっつの」


 その体に傷はない。が、剣を握っていた右手は凍り付いていた。

 咄嗟に剣を離し、魔術で石の壁を作って防いだのだ。


「死んだか?」


 ――いや。

 イリアは生きていた。

 体の半分近くを凍らせながら、なお。


(まさか、あの規模の魔術をギリギリでコントロールしたのか?)


 だとしたら、とんでもないセンスだ。


「生かして帰すつもりだったが……」


 殺すべきか。そう思い、近づこうとして。


 ――こちらに急速に近づいてくる気配に、男は舌打ちした。


 今は自分の仕事を優先するべきである。

 こう見えて、男は仕事はキッチリやり遂げる主義なのだ。

 慌てて爆弾のケースを回収し、男はその場を後にした。


 だが、ひとつ。

 男は見落としていた。

 彼女のほかにもう一人、いたはずの男の気配が、いつの間にか消えていたことに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る