#34 ~ 龍虎

 夏。


 帝国の四季は、日本とそう変わらない。寒暖差と言う意味で。

 もっとも帝国は広い国だそうで、北や南にいけばもっと気候も違うという話だが、古都ヴィスキネルの気候は非常に日本に近い。

 桜がないので、春に四季はまったく感じなかったが、夏になるとよくわかる。


 つまり、夏は暑い。

 こんな季節に大会をやるなんて間違っている。

 などと、甲子園で高校球児を心配するリポーターのようなことを言ったが、とにかく暑い。


 夏になると郊外に人が集まるのもそういう理由だ。

 都心部こそ開発されているが、郊外には自然も広がっていて、池や湖なども広がっているため、比較的涼しく感じる。


 幸いにして――戦技大会が開催される闘技場も、そういう郊外に位置していた。


 それでも、こうまで人がごった返してしまうと全く意味がない。


 うんまぁ、やっぱ暑い。


「先生、何ですそれ」


「かき氷」


 即答して、木の器に盛った氷をかきこむ。


 このなんちゃってかき氷は、俺が魔法の存在を知って一番最初に作ったモノである。作るのに一年以上かかった力作だ。


 といっても水を凍らせただけのものを、ナイフで頑張って削ったというだけのもので、もちろん最初は味などなかった。

 が、暑い夏にはただの氷でも最高のごちそうなのだ。


 もちろん街に降りた今では、シロップも自作して、今では前世のものに非常に近づいている。


「随分涼しそうですね」


 イリアさんは羨ましそうに言う。

 涼し気な顔をしてはいるが、やはり熱いのだろう。

 売店で買ったアイスティーも、もう空だ。


「一口食べてみる?」


 それはただの出来心だった。

 どうせ冷たい目で「何を言ってるんですか」と言われるに違いないと思っていた。


 だがイリアさんは、その涼やかな美貌を赤く染めて固まる。

 あれ、と首を傾げた。

 肌の白い人って赤くなるとよく分かるな、などと場違いなことを考えてつつ。


「え、っと、じゃあ……」


 とイリアさんが顔を近づけた時点で、俺も固まった。


 え、何この状況。そんなに食いたかったのか。

 言ってくれれば作ったのに、と思ったが、もはやこの状況では遅い。

 しかもこの態勢。これは伝説の『あーん』では!?


 俺はこのスプーンを上げるべきかなのか。

 逡巡したのは、一瞬にすぎなかった。


「あー! 先生とイリアちゃんがあーんしてる!」


 聞き覚えのある声に、イリアさんが神業のような速度でばっと身を離した。


「お前!! イリアに何をしている!」


 いや俺がやったんじゃねぇよ。

 ものすごい速度で距離をつめ、掴みかからんばかりに睨んでくる男子生徒。生徒会メンバーのレーヴ君だ。


「ね、ねね、あーんってしてたよね? イリアちゃん」


「……してません」


「え~~~~」


 ニヤニヤしながら全方位からイリアさんの顔を覗き込みまくる少女は、生徒会長のシェリーさん。さらに……


「……先生。生徒に手を出すのはどうかと思う」


「出してません」


 じー、と半眼で見てくる褐色肌の銀髪少女。

 アイーゼさんだ。


「……そういうのじゃないわ。先生が珍しいデザートを食べてたから」


「へぇ。イリアちゃん好きだもんね、甘いもの」


「……別にいいでしょ」


 顔をそらすイリアさんに、シェリーさんのニヤニヤが止まらない。


「そういえば、訓練の後とかよくデザートを――」


「先生?」


「ごめんなさいなんでもないです」


 触れてはいけない。イリアさんの睨みに、俺は発言を即撤回した。


「イリア、大丈夫か!? この男に無理やり――」


「レーヴ君。何度も言っているはずだけど、先生に失礼な発言はやめるべきだわ」


「ぐっ」


 やーいやーい怒られてやんの。

 などと心の中でニヤニヤしていた俺を、レーヴ君がぎろりと睨んでくる。

 やめてくれ青少年。俺は悪くない。たぶん。


 あんなに授業で槍を教えたというのに、距離が詰まる気配が一向にない。まあ理由は分かるけど、それは下種の勘繰りというやつだよ……。

 ただ彼は俺のしごきに、一番最後まで粘ってついてきた。最近では銃より槍のほうが得意になってきたほどだ。将来有望な若者である。


「それで、三人とも。どうしてここに? 学徒戦は明日からだけど」


 よく見れば、彼女たちの後ろにも何人かの生徒の姿が見える。


「もっちろん、先生の応援に来たんですよ!」


「……私、聞いてないのだけど」


「だってイリアちゃんは自分で行くでしょ? 邪魔するのもあれかなって」


 はあ、とため息を吐くイリアさん。

 すると後ろの方で何やらヒソヒソ話していた生徒たちが、一斉に俺のほうに話しかけてきた。


「先生、頑張ってください!」


「先生のお陰で、今年の大会はかなりいけそうです! ありがとうございました!」


「先生なら優勝間違いないと思います。応援してます」


「先生、学院のマドンナであるイリアさんとの関係は!?」


 おお……。

 迷いながらのここ数か月の教師生活。手ごたえはあったが、こうして教え子から言われるのは、なんだか胸に来るものがあるな。最後のは違うけど。

 教師っていうのも悪くないのかもしれない……。


「先生」


 するとアイーゼさんが一歩前に出て、俺に深く頭を下げた。


「先生のお陰で、私は強くなれた。たとえこれで負けても、後悔なんてないぐらいに」


 顔を上げた彼女の表情には、ほんの少し、笑顔が浮かんで。


「嘘。……きっと後悔はする。でもそれは私自身の修練が足りなかったというだけ。先生には、本当に感謝しかない」


「……そう言ってもらえるなら嬉しいよ」


「うん」


 彼女の表情には自信があった。そしてその闘気は、明らかに、戦いを待ちきれないという想いに満ちていた。


「イリア」


「はい」


「ありがとう。あなたが色々と、私のために手を尽くしてくれたことは知っている」


 え、とイリアさんの表情がわずかに歪む。

 いやいや、俺は知らせてないぞ? だって俺に彼女がそれを知らせなかったのは、アイーゼさんに知られたくなかったからに違いないから。


「でも、今は忘れて。戦うときは、戦いだけに集中すると約束してほしい。――あっさり終わってしまったら、私も悲しい」


 それが冗談なんかじゃないことは、すぐに分かった。

 場に満ちる闘気。生徒たち全員がそれに圧倒されている。


 いや、ただ一人。


「もちろんです」


 イリアさんだけは、圧倒などされていなかった。

 鋭く研ぎ澄まされ、磨き抜かれた剣気。


 龍虎相打つ、というが、まさにそれだ。


 だが破裂しそうなその気配は、不意に急速にしぼみ、終わりを迎えた。

 二人が共に笑みを浮かべ、そして握手をかわす。


「私が勝つ、イリア」


「負けません、先輩」


 前哨戦は、静かに終わりを迎えた。

 そしてそれは、二人にとってお互い以外など眼中にすらないことを物語ってもいた。

 それが正しいことは、きっと明日、学徒戦予選大会で証明されるだろう。


 ――ただ。


(今日、俺の試合なんだけど)


 全員がそれを忘れてそうだな、と俺は思った。

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