#33 ~ 戦いへの誘い
少し季節は流れ、夏が近づいたある日。
「俺に、戦技大会に出ろと?」
伯爵から告げられた言葉に、困惑交じりに俺は首を傾げた。
ああ、と頷いた伯爵さまは、机の上に一枚の封筒を差し出す。
「戦技大会に出場するには推薦が必要なのは知っているかな?」
「いえ……」
「これは、その推薦状だ。国内のおおよそ全ての貴族には、大会への推薦資格が与えられる。もっとも使うことは多くはないがね」
そういうことではなく。
なぜ俺を推薦するのだろう、というのが疑問だ。
「当然、推薦された者が優勝すれば、推薦した側……つまり私の格も上がる」
「俺に優勝しろと?」
「まあ、端的に言えばそうだね」
ふっと笑う彼に、俺は伯爵らしくないと思った。
この人は権力者としての恐ろしい一面を持ってはいるが、いつも一線を引いている人だった。自分のために優勝しろなどと言う人ではない。
「もちろん、それだけが推薦理由ではないよ。本来は、こんな無理を言いたくはなかったんだが」
長い足を組み苦笑する伯爵は、掌を上に向けて口を開く。
「アイーゼ・リリエス嬢の事情には、君も噛んでいてると聞いてね」
「アイーゼさん……?」
なぜここでその名が?
「彼女の婚約相手、フォビウス子爵というのだが、どうも簡単に手を引いてくれそうになくてね。そこで君に一芝居打ってほしい」
「ちょ、ちょっと待ってください」
わけがわからずに静止する俺に、あれ、とばかりに伯爵は不思議そうな顔をした。
「まさか……娘から聞いていないのかい?」
「え、ええ。何の話ですか?」
俺からの言葉に「あの子は」と呟いて、伯爵は頭を抱える。
深くため息をつき、伯爵は説明を始めた。
曰く。
アイーゼさんの事情を聴いたイリアさんは、即座に伯爵に報告した。今から一年も前のことだ。
そして伯爵に彼女を救って欲しいと懇願したのだという。
「娘からのお願いなどここ数年聞いていなくてね。当時の私はそれはもう張り切ってしまったものだ」
調べてみれば、そのフォビウス子爵というのはとんでもない人間だった。
貴族らしからぬ放蕩三昧、酒池肉林という言葉をそのまま体現したような貴族だったらしい。
当たり前だが、そんな人間を帝国貴族として許せるはずがない。
貴族たるもの、世の範たれ――。
赤心皇帝と呼ばれるかつての名君が遺した言葉であり、現在に至るまで貴族の範として知られる言葉だ。
特に軍務派、武断派と言われる貴族にとって、これは絶対的な芯であり、フォビウス子爵のような人間は断じて許せるはずがない。
そしてオーランド伯爵は軍務派貴族の中でも、かなり有力な貴族の一人である。
「だが、彼のやり方は実に巧妙でね。仕事は問題なくこなし、あらゆる証拠は見事に隠滅されていた。今まで発覚しなかったのはそのせいだ。……まったく、悪事だけは巧妙にやる輩というのは、どんな世にもいるものだ」
地道に網を張れば、いつか仕留めることは出来るかもしれない。
だがアイーゼ嬢のことを考えれば、時間がない。
そこで伯爵は半ば直接的な手段に出た。
――アイーゼ・リリエス嬢から手を引けと、事実上の通告をしたのだ。
「軽く脅しもつけてやったんだが……見事なほどに無視されてしまってね」
当然、本当に手を出すことはできない。それは最終手段だ。
「そこで、君の出番というわけだ」
「戦技大会ですか」
「子爵は大会の見物も大好物だそうでね。一番目立つ総合の部に出場し、優勝してほしい。あと子爵に一睨みくれてもらえれば最高だね」
「……アイーゼさんも総合の部に出場するのでは」
「彼女が出場するのは学徒戦だ。君が出場するのは一般戦だよ」
ああ、そうか。
俺は戦技大会のレギュレーションを思い出す。
戦技大会は一般戦と学徒戦の二つに分かれている。
一般戦に制限はないが、学徒戦に出場できるのは学生のみ。
部門は剣術、槍術、格闘術、魔術、そして総合の五つに分かれ、学徒戦ではさらに集団戦が追加される。
武器は真剣であり刃引きはされない。
というのも、腕輪型の魔道具をつけて戦い、この魔道具は会場限定ではあるが攻撃を肩代わりしてくれるというとんでもない代物なのだ。
俺はこの話を聞いたとき、そういや異世界だったとひとりごちてしまったほどだ。
「予選だけでいいんですよね……?」
「いや、本選を辞退するのは流石にやめてくれ。前代未聞だよ、それは」
さすがに伯爵さまに迷惑がかかっちゃうか。
「それに毎年の戦技大会では、現役の軍人やハンターも出場する。とんでもない腕利きもいるだろう。興味があるんじゃないかい?」
「……ええ、まあ」
実のところ、ちょっとワクワクしている。
人相手に実戦の機会というのは滅多にないことだ。
「そういうことで、よろしく頼む」
ということで、戦技大会に出場することになった。
しかしアイーゼさんの問題、あっさり解決しちゃいそうだ。イリアさんと伯爵さま無双だな。俺が何かする余地など最初からなかったのだ。
俺、イリアさんに「いくらでも方法はある」とか言っちゃったよ。
あの時点で、もうすでに半分以上解決しちゃってたわけだ。ヤベェ恥ずかしい。
「……そういえば以前、君の祖父について聞いたことがあったかな」
「ええ。血は繋がってませんが」
「君は山でその祖父に拾われ、その元で剣の修行をしていたんだったな。ということはその祖父は、君以上の?」
「ええ」
あのじいさん、あれからもっと強くなってそうだ。俺もうかうかしていられない。
などと思っていると、伯爵は何やら考え込むように沈黙し、そして「まさかな……」などと呟いた。
少し気になったが、彼はすぐにかぶりを振って、話題を変えた。
「それで、学園についてはどうかな?」
「充実している、と言っていいと思います。さすがというか、先が楽しみな生徒ばかりですね」
「君にそう言ってもらえると嬉しいよ。最近では槍や格闘も教えているとか」
「ええ……まあ……」
お陰で自分の修行の時間がなかなか取れていない。
教えるのも修行になるから悪くないけど。
戦技大会まで限定とはいえ、現状はあと一か月以上続くわけだし。
「他の先生も、君の手腕は高く評価している。今年の戦技大会は良い成績が残せそうだと、学長も嬉しそうだったよ」
「それならよかったです」
ハハハ。頼むからこれ以上の追加はやめてください。
「それで……娘はどうかね?」
「イリアさんは凄いですよ」
修行も順調だ。この数か月で剣の実力が飛躍的に伸びた。俺の知っている人だと、シルトさんのレベルには達しているかもしれない。
それはアイーゼさんも同様で、二人の実力は完全に伯仲していると言っていい。
「伯爵さまもぜひ、戦技大会はご覧になってください。きっと凄いものが見れます」
「それは楽しみだ」
彼は笑って、紅茶のカップを持ち上げた。
――このときの俺たちはまだ知らない。
伯爵が「楽しみ」と言った戦技大会が、まさかあんな結末に終わってしまうことなどは。
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