#32 ~ ずるい
「お待たせしてすみません、先生」
早朝。
オーランド伯爵邸を訪れ、紅茶を頂きながら待っていると、イリアさんが姿を現した。
「いやこちらこそ、早朝から申し訳ない」
「いえ。私こそ寝坊してしまったみたいで」
「休日なんだから、寝坊するぐらいのほうが健康的だと思う」
などという小粋(?)なトークに始まり、彼女の分の紅茶が机に置かれるのを待って、俺は「それで、本題なんだけど」と切り出した。
だが。
「アイーゼ先輩のことですか?」
鼻先に先制パンチをもらい、俺はちょっと冷や汗をかきながら頷いた。
「先生がアイーゼ先輩に特別指導を始めたことは聞いています」
「特別指導というか、その」
「いえ、そのぐらいがフェアだと思います。私は長期休暇の間、ずっと指導を頂いていたわけですし」
……なんか言葉に棘がある気がするぞ。いてて。
いや、別に裏切りでも何でもないし……などという自己弁護を繰り広げつつ、俺は口を開く。
「いや、フェアとかフェアじゃないとか、そういうつもりじゃないんだ」
俺はただの一教師。教えてくれと言われたら教える。
ただ、アイーゼさんの事情を聴いてちょっと肩入れしてしまったのは事実だが。
「……それでしたら、私が同じように訓練をつけてくれと言ったら?」
「もちろんやる。というか、いつまでも声が掛からないんで、こうして出向いて来たというか」
彼女はしばし考えるように顎先に手を置いて、しばらくして小さくため息を吐いた。
「先生って、優柔不断ですよね」
「なんでそうなる!?」
悲鳴のような叫び声で抗議すると、彼女は小さく笑みを浮かべ「冗談です」と言った。
「……先生は、私を責めないんですか?」
「というと?」
「私は、アイーゼ先輩の事情も知っています。それも、恐らく先生よりも詳しく。――それでも、勝ちを譲るつもりは微塵もありません」
彼女の眼は本気だった。
たとえそこにどんな事情があろうとも、手を抜くつもりはない。彼女の眼は本気でそう言っている。
「いいんじゃないか」
ぱちくりと目を見開くイリアさんの表情に、思わず苦笑した。
確かに俺も、アイーゼさんのほうが人生を懸けているのかもしれないと思った。
けれど、冷たい言い方をすれば、そんなことは彼女には何も関係がない。
だからお前は諦めろ、なんて口が裂けても言っていいセリフではない。
「手を抜くことなんて、アイーゼさんも望んでないだろう。それに、それは君の剣を穢す行為だ。君自身がそれを望むならともかく、俺だって認められない」
「……嫌な女だと思いませんか? 分かっているのに、私は」
「思わないな」
アイーゼさんの目標は本選での優勝だ。たとえイリアさんが手を抜いたところで、他はそうではない。
それはイリアさんも、アイーゼさん自身も理解していることだ。
「それに、たとえばイリアさんがアイーゼさんに勝ち、彼女が目的を遂げられなかったとして――」
それで、終わりじゃない。
「本気で何とかしようと思えば、いくらでも方法はあるじゃないか」
――例えば。
言葉の端に、俺は剣気を乗せた。
力づくでなら、とても簡単だ。
アイーゼさんやイリアさんがやるのなら問題だろうが、貴族だの政治だの、そんなもの俺には関係ない。
もちろん、今ではない。
それはアイーゼさんの想いに泥を投げるようなものだ。
だけど彼女が本気で助力を望むのなら、俺はやるだろう。彼女のためというよりも、俺自身が、それを見過ごすことができないから。
たとえそれでイリアさんや伯爵に迷惑が掛かるとしても。――それはそれで、贖罪に時間がかかりそうであるが。出来ればやりたくないのも本音だ。
「……ずるいですね、先生は」
「そうか?」
「ええ、ずるいです」
――私にも、そんな力があったら。
消え入りそうな呟きを、俺は聞き逃すことができなかった。
(……どうして、そこまで強さを求める?)
それは、言ってはいけない台詞。けれど胸中に、疑問が沸き上がることを止めることは出来なかった。
本質的に、人が強さを求めるのは本能だ。
人の本能が、何よりも強くありたいと願う。
その強さは様々で、物質的な力だけでなく、金や権力といったものもベクトルこそ違えど本質的に同じだ。
俺はそれを否定できない。俺自身がそうだから。
じいさんの『力』に魅入られたあの時から。
だが彼女のその願いは、もっと違う――きっと『何か』に根差すものだ。
顔を伏せる彼女の頭に、手が触れた。
イリアさんが、はっとしたように顔を上げる。
……しまった、と思った。
なんだか道に迷った子供みたいな顔をするイリアさんを見ていられず、つい、頭を撫でてしまった。
手を離して天井を仰ぎ、「あー」なんて無意味な呟きをあげる。
まあ、なんだ。
「強くなろう」
結局俺には、そう言うことしか出来ない。
事情なんて分からない。正しいか、間違っているかもわからない。いつか後悔する時が来るかもしれない。
それでも彼女が強さを願い、求めるのならば、俺は応えたい。
「もしも迷うなら、自分の剣を信じろ。それでも信じられない時がきたら、君の剣を信じる俺を信じて欲しい」
彼女の剣は本当に真っすぐで、真摯で、純粋で。
そんな剣だからこそ、俺はこうまで入れ込んでるのかもしれない。
かつてじいさんの剣に魅入られたように、彼女の剣にもまた、同じように魅入られているのかもしれなかった。
「どこまで出来るか分からないけど、手を貸すよ」
「……先生は、やっぱりずるいわ」
「ええっ?」
俺の戸惑いに、彼女は、どこか切なそうに笑った。
その『ずるい』の意味は、今度こそ分からなかった。
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