#04 ~ 名


 そして、月日は流れた。


「ただいま」


 扉――はウチにはないので、入口にかけられた布をめくりながら、俺は帰宅を告げた。

「ワウッ」という泣き声が聞こえて、そちらを見ると、真っ黒な犬……というか狼が尻尾を振っている。


「おークロ、ただいま。留守番ありがとな」


「ワウッ」


 その全身をわしゃわしゃと撫でて、もふもふを堪能してから、腰に差していた刀を立てかける。


 そして、家の中を見回した。

 ――当然だが、他に誰もいない。


「ったく……」


 ため息を吐いて、水桶から一杯水を汲み、喉を潤した。


「まだ帰ってねぇのかよ、じいさん……」


 ――そう。今この家に住んでいるのは、俺一人。と、一匹。


 じいさんが姿を消したのは、今から一年前だ。

 手紙を一枚残して、どこかへとふらっと消えたまま、帰ってこない。


 俺の背もすっかり伸びた。たぶん二十歳はいってないと思う。まあ正確な年齢は知る由もないが。

 だから、一人で暮らす分に苦労はないけども。


「まあじいさんがくたばるわけないから、どっかで生きてるんだろうけど」


「ワウ」


 クロは静かに鳴いて、肯定してるんだかしてないんだか――ともかくもう一度、俺はクロを撫でた。


「メシにするか、クロ」


「ワウッ」


 元気よく振られた尻尾に、俺は苦笑した。


~~~~~~~~~~~~


 拝啓


 旅に出ることにした。

 お前に教えられることは、もうワシにはない。

 あとは好きにしろ――と言いたいが、そういえば手紙を書いていて、お前に名をつけていないのを思い出した。

 一応、ワシからはユキトの名を贈る。名乗る名乗らぬは好きにしろ。


 もしも、己がまだ未熟と感じるならば、ワシを見つけ出してみろ。その時、お前がどれほど成長できているのか楽しみにしておく。


 ――追伸。

 家に残した刀と金は餞別だ。好きに使え。

 修行は怠るな。武の道は一日して成らず、生涯を賭しても成らぬものと心得よ。


~~~~~~~~~~~~~


 この手紙を読んで思ったのは、名づけって今更かよ、というよりも、そういやじいさんの名前知らねぇわ、という驚愕の事実だった。

 何せこの山小屋には俺とじいさんしかいないのだ。

 名前なんてなくっても、コミュニケーションにはまったく不足がなかった。


 そして金である。金を見て俺はようやく、そういえばこの世界の他の町って行ったこともないんだけど、というのを思い出した。

 金があるんだから当然街もあるんだろう。異世界の街ってどんなだろうな。すごい興味がある。


 冒険者とか、王様とか、姫様とかいるんだろうか?

 もし姫騎士とかいるならぜひ見てみたい。

 いやじいさんはいかにも日本人って感じだし、もしかしたら超和風の街かもしれないが。


 ――と言いつつも、じいさんが消えてから今日までの一年間、結局俺は一度も山を下りていない。

 なぜかというと、目標があったからだ。


 ひとつに、この山を『制覇する』ということ。

 俺が住んでいるこの山は、登れば登るほどに魔物が凶悪になっていく。

 じいさんに言われるまでもなく、剣の修行を怠るつもりがない俺としては絶対に頂上を制覇したい。

 これをやらずに下山するのは『逃げ』のような気がするのだ。


 そしてもうひとつは――まあ今は置いておこう。


「ま、そろそろいけそうな気はするけどな」


「ワウ?」


 クロに首を傾げられて、俺は苦笑する。

 いかんな、独りごとが増えてる気がする。下山するまでに直しとこ。うん。


 ――このクロというのは、俺が森の中で拾った子狼だ。

 多分、魔物だと思う。最初に俺が切り殺した狼と同種のやつだ。

 ただ違うのは、色が黒いということ。そのせいかこいつは同族から孤立し、大怪我をしていたのだ。

 それを助けて拾ったら懐かれて、今は一緒に住んでいる。


 最初は危なくないかと思いはしたものの、今やクロは俺にとって最大の癒しだ。

 孤独っていうのは、どうにも心を蝕む。

 クロがいなかったら、俺は一年もここに長居せずにとっと下山していたに違いない。


「さっ、出来たぞ、クロ!」


 クロ用のステーキ――なお材料は牛の魔物だ。なぜかクロは生より焼けた肉が好きらしい――を皿に盛って地面に置く。

 尻尾をふりながら皿に顔を突っ込むクロに、小さく苦笑しつつ、俺は自分のステーキも焼くべくフライパンに肉を投入した。

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