#03 ~ ただ落ちるように


 俺たちは山を下り、ふもとにある森の方まで来ていた。

 俺がじいさんに拾われたあたりだ。


「――来たぞ」


 じいさんの声に、思わず押し黙った。その声に秘められた迫力に、思わず力がこもる。

 じいさんの指さす方を見ると……そこには、クマがいた。


(デケェ……!)


 しかも普通のクマじゃない。

 いや、普通のクマに遭遇したことはないが、普通のクマは人間の身長ほどもありそうな爪なんて生えているわけがないし、あんなにデカくもないだろう。

 とても猟銃なんかでは仕留められそうもないサイズだ。


「そこを動くな」


 じいさんは、悠々と歩きながら、腰から獲物を抜き放った。

 今日の俺たちの装備はいつもの木刀ではない。真剣だ。


 しかもそれは、前世でも見覚えのある武器――刀だった。いわゆる打刀というやつだろうか。

 見とれてしまうほどに美しい刀だった。


「ガアァァアアア――――ッ!」


「じいさん!」


 クマがおぞましい咆哮をあげ、その巨大な爪を振り下ろす。

 俺の声が届いたのか、判別する術はなかった。ただ、


 一瞬の静寂。

 そのバケモノみたいなクマが、縦に真っ二つになった。


 どすん、と音を立ててクマがくずおれ、いまさら思い出したように血が地面を濡らし、水たまりを作っていく。

 その時には既にじいさんは背を向けていて、チン、と音を立てて刃が鞘に収まるところだった。


 何が起こったのか分からなかった。

 だが結果は分かった。

 じいさんは、ただの一太刀で、あのクマを縦に一刀両断したのだ。


 ぞっとするほどの恐怖と興奮が、俺の背を粟立たせた。


(強すぎる……)


 このじいさんは人類のカテゴリーに入れていいんだろうか?


 あまりに圧倒的。

 その太刀筋はまるで見えなくて――その強さに、俺は無性に憧れた。


 じいさんは俺のところまで来ると、一言。


「やってみろ」


 ――いやそれは無茶じゃないかなぁ?


 という俺を無視して、ジジイが指さした先。そこには唸り声をあげる狼がいた。

 さっきのクマよりはマシだろうか、と思いきや――一匹、二匹、三匹……いやいや十匹はいるんですけど!?


「いきなりこの数は無理だろ!?」


 こちとら初めての実戦なんだって!


 俺の悲鳴に似た叫びに、じいさんはふんとわずかに鼻を鳴らし、

 その姿が霞むように消えて、

 狼どもの首が瞬く間に飛んだ。


 飛んだ首は合計八つ。残ったのは二匹だけ。

 しかも狼の背後にじいさんが陣取ったものだから、その退路を完全に断つ形だ。

 狼たちは驚いたようにじじいに振り向き、後ずさりながら唸り声をあげて――そして俺に目標を変えた。


(嘘でしょ!?)


 咄嗟に刀を抜く。

 ここに来るまでに、じいさんに持たせてもらった刀だ。


 逃げてくれればいいのに。いや、逃げられないと本能で悟ったのか?


 勝てるのか? 二匹相手に? しかも狼相手、それも二匹。目が赤いのを見ると、ただの狼じゃないのかもしれない。

 俺は毎日素振りを続けただけの人間だぞ?

 しかも真剣を握ったのは、今日が初めてで。


 手が震え、足が震え、喉が渇く。

 頭の中で、失敗する言い訳が何度も何度も巡った。

 狼から放たれる殺意は本物で、襲い掛かるべく、少しずつ俺を包囲しつつある。


 こんなの無理だ。そう叫ぼうとも思った。

 じいさんに助けを求めれば、なんとかなる。

 ――だけど。


(また逃げるのか?)


 逃げて、逃げて、逃げてばかりの、十数年。

 毎日木刀を振るい続けた、数年間。


 変わりたいと思った。変われたと思った。

 逃げ続けた先には、何もなかったから。


 ――もう二度と、逃げてなどやるものかと。


「くっそがあっ!」


 俺の叫びをトリガーにしたのか、狼たちが一斉に飛び込んでくる。

 しかも微妙に高さが違う、俺の上半身と下半身にそれぞれ噛みつこうとする、絶妙な連携だ。


 ――足を使え。


 囁かれたような気がして、俺は踏み出した。

 震えていた足は、ちゃんと動く。


 二対一はだめだ。まずは一匹潰す。

 右からとびかかる狼の横に回り込むように、身体を反転させる。

 ふと、じじいと目が合った気がした。


(ああ、俺は、)


 体が遅滞なく動く。何百回、何千回、繰り返した動きを。


 かつて憧れた、じいさんの素振りを、静かになぞるように。


(あんたに憧れたんだ、じいさん)


 全身の筋肉を、動きを、加速するように、螺旋をまわすように。


 速さではない。強さではない。力ではない。

 ただ落ちるように。水が滴り、風がそよぎ、葉が落ちるように。


 俺は刃を落とす。


 その一閃は、まるで当然のように、狼の首を跳ね飛ばした。

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