218日目 鶯*(前編)

ログイン218日目


 オフホワイトのすべらかな【ロイヤルシルク】を丸い枠にぴんと張って、私は針を落としていく。


 ぷすっ、しゅーーーーっ、ぷすっ、しゅーーーーっ。


 我が静謐なる作業部屋アトリエにて、糸を布から引きだす音だけが断続的に響いている。


 これこれ、この感覚。刺繍の醍醐味は、この布と針の接触、布と糸の摩擦によって織り成されるハーモニーなのよね~。


 そして単調で規則的な動きから徐々に、しかし着実に作りだされる、点と線の芸術。

 アウトラインステッチで茎のラインを描き、レゼーデージーステッチで葉を付け、チェーンステッチで花を咲かせる。繰り返し繰り返し、こつこつこつこつ。

 やがてロイヤルシルクの丸いキャンバスは、金糸のアラベスク模様でいっぱいになった。


 そこで私ははっと気付く。そういやこれ、仮想空間内きまくら。だった。


 手ずから刺繍を始めたのは、刺繍図案としてレシピに登録するため。

 やっぱ【刺繍】スキルを使用するより手作業でやったほうが、針目ステッチに味が出る気がするんだ。スキルでやると綺麗は綺麗なんだけど、どうも機械っぽさが漂っちゃって。

 ……なんてまあ、よく見なきゃ分からない程度の微差なもんで、作業がめんどくさいときは全然スキルに頼ってるけどね。要は今日は、刺繍をやりたい気分だったというわけだ。


 それにしたって先にも述べた通り当初の目的は図案登録なわけで、こんなに同じ模様をびっしり生やす予定はなかった。

 一つ模様を作ったらそれを登録して、あとはPCでコピー&ペーストするみたくスキルでパターンを並べていくつもりだったんだけど……なんか楽しくって、夢中でずーーっと続けてたわ……。

 ま、いっか。私は布を刺繍枠から外し、出来上がった絵柄を眺めてにんまり笑みを浮かべた。


 その時、来客を告げるベルが鳴る。学校の時報のようなこのチャイムは、裏口からプレイヤーが訪ねてきたときの音だ。

 誰が来たかは分かっているので、私は迷わず扉を開けた。


 立っていたのは、黒い髪にシンプルな黒いワンピース、背中にコウモリの翼を生やした、黒ずくめの痩せた女の子だった。クラン[もも太郎金融]に所属する[鶯*]さんだ。

 今日は木曜日。金融さんに隔週で頼んでいる定期取引の日だった。


 うぐいすさんはいつものように目を合わせず、小さな声で挨拶を告げる。

 私の首元辺りに頑なに固定された視線がしかし、ふと移動した。彼女の黒い瞳には、ほんのりと好奇心が灯っているようだ。


「それ……」

「ああ、これですか?」


 いつも事務的で用件以外のことを語らない鶯さんが、こんなふうに何かに興味を示すのは珍しいことだった。私は彼女の目線の先にあるものを察して、ぱっとそれを掲げる。

 鶯さんが見ていたのは私の手元――――たった今まで私が刺していた、刺繍入りのクロスだった。


「綺麗ですね」

「あ、ほんとですかー? 嬉しい。丁度今ちくちくやってたところなんです」

「ちくちく……」

「はい。ほんとはレシピ登録のために一個模様を完成させたらそれで済ますはずだったんですけど、なんか楽しくなっちゃって。あ、これはですね……」


 鶯さんに家に上がってもらいがてら、私は話を続ける。

 普段無口な人がちょっとしたことを気にかけてくれると変なテンションで張りきっちゃうの、あると思います。

 いつも通り真っ直ぐ客間に向かうんじゃなく、わざわざアトリエに案内して、ぺらぺら自分語りしちゃったりね。こんなふうに――――――。


「……これこれ。このドレスの袖の部分にする予定だったんです。こうやってここを絞ってふんわりさせて、パフスリーブにして」


 私はトルソーに着せた仮縫いのドレスを示す。そして刺繍されたクロスを適当な形にして、ドレスの袖部分に当ててみせた。

 それを受け、鶯さんはぼんやりした顔で一言。


「はあ」


 ――――――で、後で反省するんだよね。相手は軽い気遣い程度に声をかけてくれただけだろうに、なんか私がっついて喋り過ぎちゃってダサあ……、向こう明らか引いてるじゃん……、って。


 私はすんと我に返り、とぼとぼといつもの客間に上がろうとした。しかし鶯さんはそのことに気付かず、動かない。

 彼女の顔はぼーっとシーチング生地のドレスを見つめたり、作業台に散らかった刺繍道具にやや表情が引きつったり、金糸の刺繍に目を細めたりと、普段より少しだけ忙しい。私の話には興味なさそうだけど、私の仕事には本当に関心を持ってくれているようだ。

 いや、というよりも……。


 私はアトリエ内に戻り、トルソー越しに鶯さんの顔を覗いた。


「鶯さん、こういうお洋服お好きなんですか? こういう刺繍とか」

「えっ」


 すると鶯さんの肩は分かりやすく跳ねる。そしてぶんぶんと激しく首を横に振る。

 彼女はあからさまに動揺していた。


「いや、そんな、全然。あっ、違います、すごく素敵だと思いますよ。このドレスも、刺繍も。でも、自分には似合わないって分かってますから。ただ綺麗なものを見る分には好きなので、凄いなあって、感心してました」


「好きかどうか」という問いに対して、「自分に似合わない」との返答。そして何か後ろめたいことがあるかのような、この慌てぶり。

 私は勝手に納得する。あ~、鶯さん、自分に自信ないタイプの人か~って。


 まあ、声量が大変控えめであることとか、目を合わせようとしないところとか、自分個人に関する話を一切しないところとか、何となくそうなのかなとは思っていた。

 そしてだからこそ私は、この人にちょっとした親近感を抱いたんだろう。以前よりかは大分マシになってると思うけど、私も往々にしてその、あるからね。


『似合わない』って言ったってここはVRゲームの世界。キャラクタークリエイトは逆に不細工にするほうが難しいくらいだし、外見はいくらでもいじれるんだけど――――――。


「いえ……そういうんじゃなくて、なんか、性格的にも根っから合わないっていうか。自分がこういうの着てるの想像するだけで、ぞぞってきちゃうんです。可愛いしお洒落だし、こんな服着てる女の子見るのも好きです。でも私なんか・・・・がって思うと」


 ――――――うん、そういう問題じゃないんだよね。

 この手の考え方を持つ人がいることは知っている。その考えを覆すことがいかに難しいことかも。

 っていうかまあ、単純に好みが大きく関わっていたりもするしね。彼女からしたらこんなふうに気遣われること自体、大きなお世話であるのかもしれない。

 だから私はその件についてはさらなる深掘りはせず、「そうなんですか」と流しておくにとどめた。


 話はそこで区切りが付き、私達は今度こそ客間に移って取引を始める。注文していたものを受け取ってお金を支払って、お勧めのアイテムを紹介してもらい、次回持ってきてもらうアイテムをまた注文して。

 訪問販売は今日も恙無く終了し、鶯さんは席を立った。そこで彼女はふと、思い出したように呟く。


「そういえば、先のワールドイベントのチーム対抗戦、優勝おめでとうございます」

「あ、ああ……。ありがとうございます」


 その言葉に、私は少しぎこちなく頭を下げた。

 ちょっと気まずくなってしまったのは、あの試合に鶯さん自身も参加していたことを知っているからである。


 確か彼女の属すめめこさんチームは、総合七位。丁度平均順位アベレージなのでそう悪い成績でもないんだけど、一位チームの私からその話を持ち出すのも鼻につきそうで何かなって思ってたんだ。

 それにうちのヒャッハー族達が間違いなく迷惑かけていただろうし。

 それで共通の話題になりそうだなとは思いつつも、何となく言及は避けていたのだった。けれど鶯さんのほうから触れてきたとあらば、私も乗らざるを得ない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る