9. Moonlight

 二学期が始まり、軽音楽部の練習量が増えた。理由は、顧問の甲斐先生セレクトの曲が難しいから、に尽きる。

 楓くんは元々吹奏楽部でパーカッションをやっていただけあって、基礎ができている。香月は楽器は違えど音楽経験が長く、飲み込みがめっちゃ早い。

 朔のピアノと私のギターが、文化祭にギリギリ間に合うかというラインだ。しかも過酷な練習のせいでちょっと手が痛い。


「大丈夫?あまり無理すると腱鞘炎になっちゃうから、適度に休憩しないと。マッサージとかストレッチとかした方がいいよ。」


 香月は弦楽器奏者の大先輩として良いアドバイスをくれる。楓くんは家が遠いため先に帰り、朔は甲斐先生とピアノの特訓をしている。機材準備室で楽器のメンテが終わり、適当に手のマッサージをしていると、香月が私の手を握った。


「もっとこことかこういう風に解すと良いよ。」


 ただマッサージの仕方を教えてくれているだけなのに、ドキッとしてしまう。朔とは違う長い指、力強い指圧。思わず顔を見ると目が合い、香月はパッと手を離してしまった。


「ご、ごめん。なんか・・・。」


 香月が照れるので、連れて照れてしまった。


「ううん!気持ち良かった。」


 香月は更に赤くなって溜め息をつく。


「咲樹はさ、そういう発言、分かって言ってるの?」


「え?何を分かってるの?」


 香月は顔を背けて「いや、何でもない。」と言って準備室を出ていった。


 朔と香月と三人での帰り道。


「音楽、好きだけどさ。好きなんだけど、息抜きしたい。」


 さっきまで甲斐先生に熱血指導を受けていた朔が愚痴る。確かに朔は、夏休みもボイトレのスパルタ指導、バスケ部の応援、ここに来て甲斐先生の熱血指導と息つく暇もない。


「じゃあ、スマブラでもやる?」


 香月が提案する。朔はぱぁっと明るくなった。


「やりたい!お前良いこと言うな。ほんとに付き合ってくれる?徹夜しても良い??」


 え?徹夜?と思ったが、朔は話を進める。


「明日金曜日だし、泊まりに来いよ。父さんに言っとくし。たぶん帰ってこないけど。咲樹も良いよね?」


 特に断る理由もなく、承諾した。


 次の日、部活を終えて三人で家に向かう。夜ご飯の材料を買うためにスーパーに寄った。メニューは手軽にカレーだ。香月がかごを持ってくれて、朔はお菓子とジュースを取りに行く。


「朔は子供か。」


 香月の優しい笑顔に、自然に優しい気持ちになる。鮮魚コーナーに差し掛かると、魚屋さんの徳さんが出てきた。


「咲樹ちゃん!なんだ、これか?」


 そう言って親指をたてる。


「バンドのメンバーだよ。もう、なにその古い感じ。」


「咲樹ちゃんバンドやってるの?そういえばなんか背負ってるもんな。朔もやってるのか?」


 ちょうど朔がお菓子を持ってきてカゴにいれた。


「俺、ボーカルだし。今度文化祭見に来てよ。」


 徳さんは何だか嬉しそうだ。私たちがまだ幼稚園ぐらいの時から知っているからかもしれない。小学校まではお祖母ちゃんが面倒見てくれていた。


「そうかそうか、皆にも声かけとくよ。二人のファン、けっこういるからな。あ、魚いるか?安くしとくよ。」


 安くしとくよ、を小声で言うところがかわいい。


「ありがとう。徳さんかわいくて好き。でも、今日カレーだからなー。今度買いに来るね。」


 鮮魚コーナーを後にすると、香月が神妙な顔をしていた。


「どうしたの?魚がよかった?」


「いや、けっこう皆にも言ってるのかなって思って。」


 言っている意味が分からず、「え、何を?安くするってやつ?」と言うと、「ううん。こっちの話。」と言って教えてくれなかった。


 朔がジュースを何本も持ってきたため、かごはかなり重くなっているに違いない。


「カートにすれば良かったね。朔ってば、香月と遊ぶのでテンション上がってる。」


 かごを片手で持っている香月の腕を見ると、少し血管が見えていてドキッとした。昨日もだった。香月の指とか手とか腕とかでドキドキして、私って手フェチ?とか思ってしまう。でも、レジのお兄さんの手を見ても、なんとも思わなかった。



 家に着くと、もう十九時を過ぎていた。着替えてエプロンを着けてカレーの準備に入る。


「何か手伝おうか?」


 香月は優しい。朔も少しは見習いなよ、と言いながら手伝ってもらう。野菜を切ってもらうと、包丁に慣れている感じがしたので、よく料理をするのか聞いてみた。


「うちは母子家庭で、母親は忙しい人だから作ることもあるよ。姉がいるんだけど、料理の才能無いんだよね。」


 いろんな家庭があるんだな、と思ったのと同時に、香月のことを知れて喜んでいる自分に気付く。得意料理はオムライスらしい。


 朔は料理の間にお風呂に入りに行った。香月と二人で晩御飯の準備をするのは楽しかった。


「笹蔵家は、カレーは甘口派?辛口派?」


「辛口でハチミツ入れる派。」


「美味しそうだね、今度作ってみようかな。」


「今度、食べに来たら?」


 ドキッとした。あれ、何か私、香月相手にドキッとすることが多くない?心境の変化に戸惑うばかりだった。


 朔がお風呂から出てきて、みんなでカレーを食べる。たくさん作ったつもりだったけれど、鍋は空になった。さすが食べ盛りの男子二人。


 片付けは私がやることにして、香月に先にお風呂に入ってもらう。朔はゲームのセッティングを済ませ、アイスを食べている。


「よくそんなに食べれるね。」


「カレーのあとのアイスは格別うまいから。」


 そう言っていたのに、朔はお腹が痛くなったのかトイレに行ってしまった。朔がいないのにお風呂の呼び出し音が鳴り、お風呂場に向かう。


「何?どうしたの?」


 すりガラス越しに声をかけると、香月は焦っていた。


「なんで咲樹が来るの?」


 朔がトイレに行っていることを伝え、謝る。


「なんか、排水溝が詰まったみたいで、洪水。」


 昨日、お風呂の掃除当番だった朔がゴミを取っていないからだ。


「香月、一瞬出れる?」


 そう言ってドアの隙間からバスタオルを渡す。香月は腰にバスタオルを巻いてドアを開けた。


「ごめんね、朔がゴミを取り忘れてたみたいで。はい、取ったよ。」


 ごみ処理を終え、バスルームの中で立ち上がると、ふらついてしまった。転びそうになった私を香月が支え、抱き締められているような体勢になる。

 視線が合いパッと離れたが、今までのドキドキとは比べ物にならないぐらい強く心臓が動いていた。


「ご、ご、ご、ごめんね。ありがとう。」


 香月が「うん。」と言っている途中でバスルームを出てしまった。トイレから出てきた朔に「どうしたの?」と聞かれたので、「排水溝がつまった。」と言うと「あ、ごめん。」といつもの返事が帰ってきた。自分の部屋に入り、ベッドに横たわる。何だか今日は、おかしい。


 落ち着こうとラジオをつけると、moumoonの『Moonlight』が流れていた。今日は中秋の名月で、『月』特集が組まれていた。前から知っている曲でたまに聴いていた曲。何回聴いてもロマンティックだな。こんな恋ができたら、素敵だろうな、と思う。

 そこで『恋』というワードに引っ掛かる。

 このドキドキする感じ。これはもしや、恋なのでは・・・。


 矢野さんに失恋したのは最近の事なのに、こんなに早く次の恋?でも、タイミングって大事だと思う。早すぎるとか、誰が決めるの?自分で納得していれば解決する問題だ。


 アコースティックギターを手に取り、Moonlightを弾き語りする。耳コピだけど、いい感じに弾けた。ベランダに出て、両手で三角形を作り、中から月を見てみる。自分の気持ちと向き合っていると、朔が「お風呂空いたぞ!」と呼びに来た。


 お風呂の中ではさっきの上半身裸の香月の姿が思い浮かんでしまい、一人で照れる。お腹、ソフトに割れてたな、なんて、ちゃんと観察している自分が恥ずかしい。

 気持ちが静まらず、いつもより長くお風呂に浸かっていた。


 ついでにお風呂掃除を終えてから脱衣所を出ると、二十三時を回っていて、リビングに行くと香月が一人でゲームをしていた。


「あれ、朔は?」


「休憩、とか言ってソファに横になったまま起きないんだけど。」


 徹夜で遊ぶって言ってたのにね、と香月が優しい笑顔を向けるから、また鼓動がうるさくなる。自分の部屋からひざ掛けを持ってきて朔にかけてあげると、せっかくなので香月とゲームを対戦しながら朔の目覚めを待つことにした。


 朔のスマホがずっと鳴っている。着信じゃなくてメッセージだけど。ヴーヴヴ、っていうバイブ音が一分おきくらいに。


「これ、起こした方がいいのかな?」


「急ぎの用事じゃなさそうだよ。画面に出た表示見たけど、女の子からだった。それも、全部違う子。」


 高校に入ってからは朔のモテにも拍車がかかった。朔は朔で、端から見るとチャラい対応をしているのを知っている。


「噂が広まってるの知ってる?朔は告白されると、ただ断るんじゃなくて三分だけ恋人になるらしいよ。」


「うん。実は、現場を見たことがある。ハグとか、ほっぺにだけどキスとかしててびびったよ。大人なんだか子供なんだか。」


 そんなところも知っていて、朔と仲良くしてくれる香月の存在は大切だな。


 ゲームの方は、私では対戦にすらならなかった。


「なんかごめん。私、こういう対戦する感じのゲームは苦手で。」


「咲樹にも苦手なものがあるんだね。知れて嬉しい。どんなゲームが得意なの?」


 何気ない言葉かもしれないが、何故私の苦手なことを知れたことが『嬉しい』のか。もしかして、と、まさか、が交互に脳内を巡る。でも今、確実に分かっていることは、私が香月に恋をしているということだろう。

 だからどうしたいのか。

 付き合いたいとか、そういうことはよく分からないけれど、あなたのお陰で素敵な気持ちになったよ、ということを伝えたかった。


 とりあえずお茶を飲む。朔は起きる気配がない。香月に眠たいか聞くと、まだ眠たくないということだったので屋上へ誘った。


 

「今日は中秋の名月なんだって。」


 月がよく見える。

 うちは三階建てで屋上がある。香月は屋上があることと、屋上にちょっとしたテラスがあることと月がよく見えることに感動していた。

 私はギターを構えると、深呼吸する。


「香月に、聴いてほしい曲があるの。」


 目を細めて演奏を聴いてくれる。


「♪夜の風に身体揺らす 帰り道に思い出すよ 君を深く知らないけど ずっとまえから好きだったんだ・・・」


 歌い終わると拍手をしてくれた。


「すごい!すごく素敵な曲だね!咲樹の声にも合ってる。」


 瞳を輝かせて喜んでくれた香月にときめく。

 そのあとも少しギターをいじっていると、ちょっと弾かせて、と言って香月がギターを触る。


「咲樹みたいに上手に弾けないけど。ここからここへの指の運びがうまくいかない。」


 香月の隣に座ってコツを教える。自然に香月の指や手や腕に見とれてしまった。


「お!出来た。・・・ん?どうしたの?眠たい?」


 高鳴る鼓動を感じながら、首を横に振る。好きだという気持ちを自覚すると、もうどうしようもないくらい好きで、恋ってすごいな、と感心した。恋の魔法、歌詞の通りだな。


「さっきの曲、どうだった?歌詞とか聞き取れた?」


 真剣な表情で聞いたため、香月はキョトンとする。


「え?あぁ、うん。かわいい歌詞だなって思ったけど。」


 何て言えば正解なのだろう。正解なんて分からないけど、このときめいてる気持ちを伝えたい。


「私もね、同じ気持ちなの。」


 恥ずかしさのあまりフェンスへ移動する。我ながら突っ走ってしまったのでは、と少し後悔していると、後ろから声がかかる。


「それって、俺への気持ちだって、受け止めていいの?」


 頷くと、香月も隣でフェンスに寄り掛かる。


「すごく、嬉しい。たぶん俺の方が、前から好きになってた。」


 体が熱い。好きになった人に好きになってもらえるということがこんなにも幸せな気持ちになるなんて知らなかった。夜風が吹き抜けると少し肌寒い。


「そろそろ中に入ろっか。」


 照れてどうしていいか分からず、扉に向かおうとすると、腕をぐいっと引かれる。振り向くと、ぎゅっと抱き締められた。


「夢じゃないよね?ほんとに、俺のこと好き?」


 月明かりの下で、ハグをねだる香月が色っぽい。私も彼の背中に腕を回し、しばらくの間、香月に身を委ねる。香月は最後に強くぎゅっと抱き締めると、溜め息をついた。


「ごめん、ちょっと理性が外れかかって。ずっと咲樹に翻弄されてたから、反動がすごい。」


「え?翻弄してないよ?」


 香月は体を引き離すと、真面目に怒る。


「好きとか、気持ちいいとか、臭いを嗅ぐとか、本当に他の男にはやらないで。もう、気が気じゃない。今日も魚屋のおじさんに好きとか言ってたし。本当にダメだから、そういうの。」


 剣幕に押されて「はい。」と言ってしまった。確かに思い返すと、適切な言動ではないかも。香月はもう一度抱き締めると、切ない声を出す。


「自制が効かなくなるから、戻ろう。寝よう。」


 香月は名残惜しそうに私の髪の毛を撫でて、中に入っていった。私はギターを持って中に入り、一度自分の部屋に戻る。リビングに行くと、香月が朔をお姫様抱っこして運んでいた。朔の部屋のドアを開け、掛け布団をどかす。


「なんで朔をお姫様抱っこしなきゃいけないんだよ。」


 私の脳内は朔をお姫様抱っこしている香月の腕でいっぱいだ。華奢に見えるのに意外と力あるんだな。香月は耳元でささやく。


「いつか、咲樹もね。」


 恥ずかしくてリビングに逃げ、電気を消して自室へ戻った。その夜は心臓の音がうるさくて、眠りについたのは深夜だった。

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