第2話:プロローグ2


 それから俺と無害は昼休みも放課後も一緒に過ごした。それぞれ弁当を持って俺の席にて一緒に食事をし、そして色々なことを話した。まだ無害が虐められていること。でも俺のおかげで何とか保っていられること。そんなことを昼飯の弁当を食べながらぽつぽつと語り合っていった。


 ある日、無害が聞いてきた。


「藤見は……無害を構って虐められたりしてない……?」


「ねーよ」


 俺はSF本を読みながら断言した。事実だ。俺には格別に友と呼べる人間もいないし、教室では本ばっかり読んで孤立している。


「ひとりぼっち……?」


「そうかもな」


 俺は本を読みながらそう答えた。それから色々な無害の顔を知った。無害の両親は死んで今は施設に預けられていること。施設で無害は同じ施設の子供たちに慕われていること。何より驚いたのは無害があの《蕪木財閥》の直系であることだろう。


 ――蕪木財閥。


 それは日本でも有数の……所謂ところのお金持ちだ。不動産やサラ金をメインにして財を成している一大財閥である。蕪木無害はそんな蕪木財閥の直系でありながら両親が死に、蕪木家の誰もに鼻つまみにされて、最終的に施設に預けられたらしい。


「でも……それでいいんです……」


 無害は諦観していた。下手に蕪木財閥に関わるより施設に預けられている今の方がマシだと無害は言う。


「でも蕪木財閥に養われた方が良い生活できるんじゃねーの?」


 そう問う俺に、


「いいの……。蕪木家に……いくらか金銭を……都合してもらってるから……不自由はないの……」


 そう答える無害。


「まぁお前がそう言うならいいんだけどな」


 俺は首肯するしかなかった。それから無害は虐められるたびに……俺の腕に包まれて泣いた。一度弱者というレッテルを張られた者はそこから脱するには苦痛が伴うらしい。


「藤見……藤見……!」


 俺の腕の中で泣く無害に俺は、


「大丈夫だぞ。俺はここにいる」


 無害にそう諭した。無害への悪意の包囲網は狭まりつつあった。ABCD包囲網も真っ青の状況だ。ある日なんか無害は教室にびしょ濡れであらわれた。何事かと聞く俺に無害はトイレの個室にいるところに上から水をかけられたと言った。


 俺は犯人の詳細を聞いたが無害は「わからない」と呟いた。それから俺は無害が虐められるたびに慰め続けた。虐められて泣く無害が愛おしかった。だから俺は無害に無償の優しさを与えた。


「大丈夫だぞ無害……俺はここにいる」


 俺は無害を抱きしめる。


「藤見……藤見……辛いよ……悲しいよ……」


 虐められて傷つく無害を、


「大丈夫だよ……」


 俺は抱きしめ続けて慰め続けた。愛しさは時に恋しさに変わる。ある時、図書室で無害が聞いてきた。


「なんで……藤見は無害を助けてくれるの……?」


「最初は同情と憐憫。今は好意故だ」


「好意って……」


「好きな奴を助けるのは当然のことだろう?」


「ふえ……あわ……藤見……」


 あわあわと顔を真っ赤にしながら無害は慌てた。それがおかしくて俺はくつくつと笑う。


「藤見は……無害の事……好きなの……?」


「まぁな」


「でも無害は……駄目で……底辺で……クズ……だよ……?」


「でも無害は綺麗で優しくて精錬で傷つきやすく儚い心を持った可愛い女の子だ」


「ふえ……」


「それで?」


「それで……?」


「それで無害はどう思ってんだ?」


「ふえ……あわ……それって……藤見のことって……こと……?」


「他に何がある?」


「ふえ……あわ……あわわ……」


 そうあたふたと狼狽えた後、


「………………無害も……藤見のこと……好き……」


「そっか」


 本を閉じる俺。そして俺の胸に飛び込んでくる無害。


「好き……好きだよぅ……藤見……」


「俺も好きだぞ」


 無害に抱きつかれながら俺はそう返す。無害は俺の胸で泣いた。それはまるで罪を許されて安心した咎人のような泣き方だった。


 ある時、無害は、


「なんで……無害は……こんなんなんだろう……?」


 そうポツリと呟いた。俺は問う。


「こんなんって?」


「無害は……疎まれて……嘲られて……唾棄されて……そういう人間なのかな……?」


「ふざけるなよ……」


 我知らず俺はそう呟いていた。


「え……?」


 ポカンとする無害。


「たしかにソレは目に見えないけど……確かにあるんだ。たしかにソレは手に取れないけど……確かにあるんだ。優しさは……人を想うって気持ちは確かにあるんだ」


「でも……それは儚くて……すぐ壊れて…………無害の手をすり抜ける……よ……?」


「だからって見切りを付けるなよ。目に見えないなら俺が示してやるよ。手に取れないなら俺が現してやるよ。世界は少しだけでも優しさが残ってるんだって……そう証明してやるよ。だからお前は俺を信じてくれよ。人に優しくされて……人に想われて……人に慈しまれて……そんな優しさは存在するんだって俺が言ってやるから……!」


「でも……無害は……世界が……恐い……」


「わかってる。すぐ強くならなくてなんていいんだ。悲しい時はギュっと身を縮めて怯えていいんだ。俺がその暗闇から引っ張り上げてやるから」


「うん……藤見……ありがとう……」


 無害は……もう何度目か……また俺の腕の中で泣いた。


 それから春の終わり……五月に至る。


 ゴールデンウィークを前にして無害は提案してきた。


「あの……藤見……」


「どうした? 無害……」


 俺はいつもの如く図書室で本を読みながら無害の言葉を聞く。


「ゴールデンウィークのことなんだけど……」


「ゴールデンウィークがどうした?」


「無害と一緒に……旅行に行かない……かな……?」


「まぁ行くにやぶさかじゃないが急だな。何かあるのか?」


「行先は島なんだけど……そこに蕪木家の直系が集まることになってる……。無害にはパパとママはいないから……代表として無害が行くことになってるの……」


「ふーん。まぁいいけどな」


 どっちにしろゴールデンウィークには無害を誘おうと思っていたのだ。向こうから提案してくるなら渡りに船だった。この時は……まさかドメスティックなバイオレンスに巻き込まれるとは思っていなかった。

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