どんな状況に置かれていようとも、朝は必ずやってくる。


 体調が悪かろうが、気分がすぐれなかろうが、寝不足でしかばねと化していようが、一切関係なく、だ。


「おはようございます」

「おはよ……ござ、ます……」


 そして未榻みとう甜珪てんけいという傑物は、前日にどれだけの激務をこなしていようとも、朝は必ず始業開始時間に余裕を持って、シャッキリした状態で書庫室に現れるものである。


 そのまごうことなき『事実』を今回も突きつけられた呈舜ていしゅんは、徹夜でしょぼつく目をらしながら思わず内心をダダ漏れさせた。


「え……ちょっと、意味が分からない……ほぼ五徹かましてるくせに、何でそんないつも通り元気なの……」

「昨日はあんたのおかげで久々にゆっくり眠れたからな」

「まぁ、胡吊祇うつりぎ邸に放り込みましたからねぇ! これでヘロヘロだったら、れいちゃんが全てに物を言わせて出仕取りやめさせてますよ!」


 そんな呈舜に対して、甜珪は心もち普段よりも穏やかな語調で答える。語調から察するに、激務から解放される契機を作った呈舜に、甜珪は感謝を抱いてくれているらしい。


 ちなみにその後ろから説明を足してきたのは、甜珪の姿に隠れて呈舜からは見えていなかった雷牙らいがだ。


 甜珪と二人きりだと思っていた空間にいきなり第三者の声が響いたことに驚いた呈舜だが、いかんせん呈舜の体はその驚きを表現できるだけの元気がない。


「おはよう、五剣いつるぎ君。元気だね」


 結果、呈舜は実に穏やかに雷牙へ言葉をかけた。そんな呈舜の言葉を受けた雷牙は、今朝も実に爽やかな笑みを浮かべる。


「うぃす、はよざいまっす、螢架けいか書庫長。螢架書庫長は屍みたいっすね」


『不老不死な書庫長にとっては、ある意味今の状況が一番死体に近いんじゃねぇっすか?』と実に悪気なく続けた雷牙に、呈舜は力なく笑みを返すしかない。代わりに甜珪が間髪をれずにスパンッと雷牙の後頭部をはたいていた。


 ──いやまぁ、未榻君。僕としては全然笑って流せる冗談だったよ?


 返しづらくはあったけども、と内心で呟きながら、呈舜は苦笑を深める。


 次に口をついたのは、一連の流れからは外れた問いかけだった。


玲鈴れいりん様のところに連行していったんだね」


 昨晩、呈舜が協力を申し出た後、甜珪と雷牙は連れ立って書庫室を後にした。……というよりも、雷牙が甜珪を連行する形で退室していった、と言った方が正しい。『螢架書庫長が協力してくれることになったんだから、今晩はもう解散して仕切り直そうぜ』と言い出した雷牙に甜珪が何事か反発していたようなのだが、呈舜が二人の会話の詳細を聞き取るよりも、甜珪の後ろえりを掴んだ雷牙が退室していく方が早かった。


 ──未榻君が誰かに後ろ襟を取られて引きずられていくっていう構図が信じられなさすぎて、その衝撃で何も聞こえてなかったって言った方が正しいんだけどもね。


「あそこなら王宮ここからも近いし、何より絶対に未榻を休ませようとしますからね」


 叩かれた頭を撫ですさっていた雷牙は、呈舜の言葉に軽く肩をすくめる。


「未榻も玲ちゃんと胡吊祇家の皆々様には強く出れねぇっすから。強制的に休養させたい時は、玲ちゃんに頼るのが一番っすよ」


『これ、重要ミソっす』とビシッと指を伸ばす雷牙に、呈舜は思わずしみじみと感心してしまった。


 ──本当にこの子、未榻君との付き合いが深いんだなぁ……


『玲ちゃん』というのは、甜珪の相方にして幼馴染である胡吊祇玲鈴の愛称なのだろう。


 官僚呪術師養成学校である祓魔寮での玲鈴は、甜珪の三学年下の後輩であるという話だ。つまり甜珪の同期である雷牙から見ても、玲鈴は後輩に当たる。さらに完全実力主義社会である祓魔寮であれば、胡吊祇という家名に物怖じすることもない。


 そこに加えて普段から甜珪と親しく接していれば、玲鈴との距離も自然と近くなるものだろう。雷牙が語る言葉には、そんな距離の近さ、深さが醸す親しみが随所ににじんでいる。


「雷牙! 無駄口ばっかり叩いてんなら書庫室ここから叩き出すぞっ!!」


 感心する呈舜に対し、甜珪はたまれなさを感じているようだった。


 雷牙と呈舜を放置していつものように高窓と扉を開いて回っていた甜珪が、どこからともなく声を飛ばしてくる。その声は普段よりもトゲが激しいが、醸す圧はどこか弱い。


 その差異だけでその棘が照れ隠しであると分かる二人は、顔を見合わせると甜珪には分からないように苦笑を交わし合った。


「螢架書庫長、そこ、かたしといてください」


 甜珪を手伝うつもりなのか、雷牙は声が飛んできた方へ足を向けた。だがふと何かを思い立ったのか、足を止めた雷牙は呈舜を振り返りながら声を上げる。


「朝メシ、食べてないっしょ? 照れ屋で素直じゃないけど律儀で情に深い未榻が、胡吊祇さんの厨房借りて螢架書庫長のために朝メシ用意してきたんで。一緒に食いながら、改めて情報交換しません?」

「雷牙っ!!」


 もう一度響いた甜珪の怒声に一度肩を竦めた雷牙は、キシシッと笑い声を残してから去っていく。


 そんな雷牙の様子に、呈舜はさらに苦笑を深めた。


 ──本当に、未榻君のこと、良く分かってるね。


 何だかそのことが無性に嬉しくて、徹夜明けの体がほんの少しだけ軽くなったような気がした。

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