単発GL掌編置き場

白市ぜんまい(更新停止)

匂いと香り

女の子がいい匂いするなんて嘘。十四年間生きていて私が悟ったことだ。

もちろん男子ほど鼻につく臭いではないだろう。しかし、夏場の女子中学校の教室は強い獣のような臭いと制汗剤の臭いで嗅覚がグチャグチャになりそうだ。

それでも体育の時間にはプールの授業があるため、その後しばらくはちょっとのカルキ臭と引き換えに獣臭はかなり抑えられるはずだったのだけど。

(プールの水道管が壊れた、かあ……)

バレーボールの授業の帰り、一人体育館から教室へ歩く足取りが重い。クラスメイトたちが歩く廊下ですらあの臭いが漂うのだから、教室ではさらなる地獄が待ってるだろう。ようやく自分の教室に着いた私は、ひと呼吸をしてドアを開く。


クーラーの風をもろともしない熱気。あちこちでシューシュー鳴り響く制汗スプレーの噴射音。

そして女子特有の、シャンプーの行き届いていない獣のような臭いが一気に鼻になだれ込む。その上皆汗で服が湿ったせいか生乾きの布の臭いが混ざる。ここはやっぱり地獄だ。さらに、統一感のない人工香料までもが次々と鼻腔を通り過ぎた。シトラス、石鹸、獣臭、バラ、ミント、生乾き臭、森、ラベンダー、獣臭……ああもう勘弁してよ。

(二人とも遅いな。先帰っていいって言われたから帰ったけど……)

こういう時は普段仲良くしている友人たちに軽く愚痴ることもあるが、今日は二人とも体育館の後片付けの当番だ。一人げんなりとした気分で着替えようとしたその時だった。

突然甘い香りが鼻をくすぐった。制汗剤のようなわざとらしいものとも違う、柔らかな香り。

横を向くと、同じクラスの小谷さんが目の前にしゃがんでいた。

「斎藤さんどうしたーん?顔青いよ」

人よりやや大きく響く声。普段からこうなのでこれが地声なのだろう。

「大丈夫。ちょっと調子が悪いだけ」

「ほんま?全然大丈夫そうに見えんけど」

小谷さんの視線がまっすぐ私の顔に注がれる。

「いや……本当に大丈夫」

「なんならうちが保健室つれてっちゃろか?」

「本当にそこまでひどくないから」

「ほんまなん?隠さないで正直言った方がいいよ」

小谷さんはまだ納得していない様子だ。しつこい。

本音を言うべきか。しかしこれは下手すれば他人を傷つけかねない本音だ。

「ちょっと……教室の匂いがキツくて」

「あーそれわかるわーここ臭いよね、動物園からウンコの匂いをとった感じ?」

直球の表現だ。それを元々大きい声で言うからクラス中の目線が一気にこちらに来る。「斎藤は他人の体臭をキツイとか言うヤツ」と後で後ろ指刺されたらどうしよう。

しかし、当の小谷さんは

「なんならうちと一緒に一旦教室出よっか。空気吸お」

返事を待たずに手を差し伸べ立ち上がる。そこらの男子も余裕で超える背の高さだ。平均的より少し低い私は普通に立っていて小谷さんの胸のあたりまでの背丈なので、相手がしゃがまないと視線を同じ高さに合わせられないのかと少し驚く。

それにしてもいい匂いだ。心臓がドキドキするくらいに柔らかな匂い。私は無意識のうちに「一緒に来てもらっていい?」と返事をしていた。


同じクラスの小谷さん。小学四年のときに地方から私の通っていた学校に引っ越してきた彼女は、そのまま私と同じ女子中を受験し進学した。クラスは今まで別々だったものの、彼女は妙に目立つ存在だったので私も顔と名前は知っていた。

彼女の特徴は何といってもその背の高さだ。小学生時代からすでに列の後ろの方に並んでいた小谷さんは、その後もどんどん背を伸ばし今では190㎝台だという。本人曰く「うちは成長早いねって周りによく言われる」らしい。

現在の小谷さんはバスケ部でエースとして活躍しているようで、その明るい性格もあってか運動部というだけで自動的に信頼を得る中学生社会で当然のように厚い人望を得ている。

とはいえ、私から見れば彼女は少々強引で良くも悪くもあっけらかんとしすぎてる印象だった。いい人なんだろうけど、現に今日もしつこく具合が悪くないか聞かれたし。教室が動物園の臭いとか言ってたし。

どちらにしろ万年帰宅部で根暗で神経質な私とは住んでいる世界が違う。彼女を傍から眺めてずっとそう思っていた。


「あっちー」

「暑いね」

小谷さんは教室から持ってきた下敷きを仰ぐ。私たちは教室近くのピロティのベンチに座っている。

「いやー斎藤さん具合悪そうだったから心配じゃったんよ」

「ありがとね、気を遣ってくれて」

会話が続かない。私が疲れているせいか返事をするだけで精一杯なのがもどかしい。それにしてもいい匂いだ。まるで野花のようにおだやかな香り。ただ香りの元は違う世界の住人なのが少し不思議である。

「あのさ小谷さん」

何か話すことがないかと思考を巡らせていたら、自分でも思わぬ質問が口に出た。

「小谷さんは制汗スプレー何使ってるの?」

「へ?」

「あ、ごめん今の何でもな……」

「汗ふきならウエットティッシュ使ってるよ。スプレーはキツイ香りするから苦手なんよ」

意外だった。てっきりこんなにいい匂いがするなら体臭に気を遣ってるのかと思った。

「もしかして斎藤さんもスプレー苦手?」

「うん」

「奇遇じゃねー、うちも香りがついてるもの苦手なんよ。だからそういうのはなるべく使わんようにしてるー」

思わず胸がきゅっと締め付けられた。苦しみではなく感激のあまりに。人より匂いに敏感な私にとって、そういう気遣いができる人は即座に「いい人」に分類される。何が「いい人なんだろうけど」だ、私の見る目のなさが憎たらしくなってきた。

「私も人工香料苦手だから、小谷さんのその気遣いが…」

「あ、サット探してたよ」

サットという何度も聞いたあだ名。片付けが終わった友人たちがやってきた。

「珍しいね、サットが小谷さんと一緒なんて」

「ごめん、ちょっと具合が悪くなって休んでた」

「あ、広瀬さんと山根さんお疲れー」

小谷さんが友人たちに挨拶すると、その場を去ろうと立ち上がった。

「まああんま無理せんようにね」

そういうと彼女は背中を思いっきり叩く。痛い。それが具合を悪そうにしている人を励ますときの動作か、と内心思ったが彼女はなんの悪気もなさそうな顔をしている。

……やっぱり小谷さんはいい人なんだろうけど、私とはちょっと違う世界に生きている人だ。


だけどその日以来、私は小谷さんが目に映るたびにあの香りが脳裏を横切るようになったし、小谷さんの香りするたびに気持ちが落ち着かなくなるようになった。あの香りにもう一度触れたい。できればあの優しさも一緒に。

だけどもうすぐ夏休みだ。小谷さんはほぼ毎日部活で忙しくなるだろうから、休みがくればきっとしばらくすれ違う機会すらない。

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