木の陰に 想い埋めし 梅鉢草







「ご馳走様。美味しいわね、それ。また欲しいわ」

「ウ、ウロ。君、い、いいいいい、今」


 間違いでなければ、ウロは僕と。

「あら、口移しは不服だったかしら? 」

「〜〜〜!! 」

 あり得ない。あり得なさすぎる。まさかウロが、こんな。

 もしや僕の意見に折れた振りをしての意趣返しか!?と彼女を見るも、そんな様子も無く。と言うか、むしろ。




「な、に赤くなってるんだよ!!君から仕掛けたんだろ!!君から!! 」

「うるっさいわね!あんたこそ何よ!その歳でまさか初めてな訳!? 」

「そうだよ!文句あるか! 」


 ああ、なんだこの会話。小学生かよ。ウロにヤケクソ気味に叫びながら、脳内でごちる。一方のウロはと言うと普段の勝気な態度は何処へやら、先程から口では余裕綽々感を出しつつも顔は僕とどっこいどっこいの有様だ。


 この嘘つき下手め、顔真っ赤だぞ。このむず痒い空気、如何してくれる。ほんの少しの恨みを込めて見上げると、紫がまた瞬いた。




木の陰に 想い埋めし 梅鉢草




「ったく。お蔭で滅茶苦茶不審者扱いされたじゃないか」

「知らないわよ。あんたがあそこでブチ撒け大会したのが悪いんでしょ!? 」

「やっぱ君口悪いな! 」


 何ともむず痒いやり取りから少し。結局公園へ遊びに来ていた親子連れに気味悪がられついでにサクッと黒紙を頂いて、今。僕は当面の食料を補充するべくスーパーへと足を向けていた。


 先程のアレで地域の不審者情報に僕が載らなければ良いのだが、正直微妙な所だろう。一人で喚いてマカロン咥えてもうひと喚き。僕ならそんな危険そうな男と遭遇したら絶対ひと月は現場に近付かない。


「僕も遂に不審者にジョブチェンジかあ……」

「じょぶちぇん? 」

「うーん……変化?進化?……いや、今回の場合は退化か。そのへんの意味だよ」

「ふうん」


 興味が無いのか、はたまた他に気でも取られているのか。聞いて来た割に上の空なウロの相槌に、そっと左隣を伺ってみる。ふわふわと浮かぶ姿は、一見通常運転の彼女だ。だが、しかし。


「……なあ。なんでこっち向いて無いんだよ、ウロ」

「……」

「そこまで照れるならしなきゃ良いのに」

「照れてないわよ!! 」




 僕の言葉に反射的に振り向いただろう顔は、残念ながら真っ赤なままだ。

「まあ、そう言うことにして置いてあげるけど」

「何よ!意地悪!イヤミ!ドーテー!! 」

「最後のは関係ないな!? 」







「いらっしゃいませー! 」

「いらっしゃったわよ! 」

「いや真正面から返すなよ」

 所変わって、目的地のスーパー。大学近辺に有りがちだろう年中無休・24時間営業の大学生の命綱たるそこで、僕とウロは絶賛品物の物色中だ。


 こう見えて自炊も出来るクチなので材料と、面倒な時用の惣菜と冷凍食品。そしてお菓子や切れかけの生活用品をほいほいとカゴへ放り込んでいると、不思議そうに様子を見ていたウロが声を上げた。


「カイ、こんなに買うの? 」

「まあね。何回も来るのは面倒だし、何だかんだ僕も結構食べるし。これで……一週間持てば及第点かな」

「一週間!? 」


 うそ、それだけしか保たないの?とでも言いたげなウロに、人間って一日三食食べるんだぞ、と苦笑まじりに返す。僕の食べる量は一般男性の範疇、の筈だ。となれば、恐らくウロは一般人の食べ物の摂取量にピンと来ていないのだろうと思っての返答だったのだが、言葉を受け取ったウロは何故か難しい顔をして黙り込んでしまった。


「どうした?そんなに変かな、僕の買い物」

「あのクソ野郎……」

 黙ったままのウロに言葉を掛けるも、クソ野郎とぼそりと一言呟くのみに止まった彼女は虚空を睨んで動かない。……クソ野郎と言えば、確か。


「改さんがどうかしたのか? 」

「あいつ……こんなに食べてないわ、多分だけど」

「ええっ」




 改さんは僕より身長も高かったし何よりガタイが良かったはずだ。それが一週間でこれだけも食べていないとは。意識高くてプロテインとサプリ!なんて線もあるかも知れないが、どの道ちょっと不自然だ。しかし。




「結構よく見てるよなあ、改さんの事。心配なんだな、なんだかんだ言って」

「は!? 」

 なんかお母さんみたいだぞ。思った通りにそう付け加えると、ウロが眦をぎりぎりと吊り上げた。


「だっっっれが見てるもんですか!!嫌でも目に入るのよ!!ご飯も食べずにお酒ばーっかりで臭いったらないの!!わかった!? 」

「はいはい」

「絶対分かってない!! 」

 

 予想の範疇のウロのオーバーリアクションに内心にんまりしつつ答えると、これまた予想通りに大きな声が上がる。おっと、これ以上は黒紙案件だ。手に入った納得のいくカロリー源の情報とすっかり慣れた遣り取りにこれは僕も数ミリは会話レベルが上がったのかも、とちょっと得意げに思いつつ僕は軌道修正を兼ねてウロに言葉を放った。


「お酒でカロリー摂取できてる、って事かもな。それだと年取ってからが怖いけど」

「なに?セーカツシューカンビョー? 」

「もあるけど。その前にビール腹になっちゃうぞ。こう、ドーンと」

「やだ、いいじゃない! そうなったら全力で笑ってやるんだから! 」

「君なあ……」







「……こんなもんかな。ウロ、ウロ? 」


 身のある様な無い様な遣り取りから少し。買い物も一区切り付いてさあレジへ、という所でウロを呼ぶ。が返されなかった答えに首を傾げていると、視界の隅、丁度レジ横の飲み物コーナーにふわふわと浮いているのが目に入った。何か興味を引かれるものでもあったのだろうか。


「何してんだよ、ウロ。帰って勉強……」

「しっ」


 するだろ。そう控えめに掛けた声が、鋭い制止に阻まれる。

「……? 」

「上出来。カイ、あれ……見て」

 あれ?そう聞き返す前に、『それ』は僕の目に衝撃を伴って飛び込んで来た。


 満杯の、ポスト。


 僕のそれもかくやと言いたくなる様な嵩があって、その上。

 野良が入っている。偶然とは言い難いほど大量に。しかも件のポストの持ち主は。


「本屋の……おじさん!? 」

 見知った、人だった。






「おじさんに?な、何で……? 」

 久方ぶりに見たと言う程稀少な訳では無いが、しかし見たこともない質のそれ。先達とは比べものにならない程呪詛めいたものを感じざるを得ない出で立ちに、流石の僕もじりと後ずさる。


「……ちょっと、待ってて」

「え、ウ……ウロ? 」


 衝撃冷めやらぬ僕とは対照的に至って冷静らしいウロがすい、と宙を泳いだ。そして。

「あっ」

 蟲を這わせながら、顔を顰めながら。

「うっげ。……ご馳走様」

 おじさんのポストから野良を一枚抜き取った。







 見知った人に投函された、無数の野良。そんな衝撃的な光景から、少し。気持ちを持て余した僕は、たまらずウロへ言葉を投げかけた。

「なあウロ、おじさんの黒紙って」

「植木鉢絡みの野良よ。間違い無いわ」

「……!! 」


 やっぱりそうか。外れていて欲しかった憶測へのまたとない最悪の答えに、思わず叫ぶ。

「昨日まではあんな事無かったろ!それにあのおじさんに限って……」


 事件に関わっているはずがない。そんな僕の言外の思いを拾ってか、ウロがどこか遠慮がちに口を開いた。




「確かにそう、見えるけど。見かけによらないってセンもあるわ。まあ、変な噂でも流されて犯人扱いでもされたのかもだけどね」

「噂……? 」

「あの位置に落ちたのだから直線上の階の誰かだろう、となれば怪しいのはあの階の……なんていかにもでしょ」




「……!そうか、じゃあそれを晴らせば」

「馬鹿、焦ってんじゃないわよ。頭を冷やしなさい! 」

「……っ」


 丁度上の階だから、何だかそれっぽいから。そんな失礼な憶測で溜まったかもしれないおじさんの野良。そのあんまりだろう濡れ衣……と願いたい事象につい熱くなった僕を、ウロが見咎め制止する。


「濡れ衣臭いって言うのはあくまで私たちの主観でしょ。前提として調査を進めるのには邪魔な視点だわ。もし、無実だったとしてもね。……カイの信じてる人だもの。私だって濡れ衣だと思いたい。でも……」

「ウロ……」


 僕の焦りを窘めつつも、気遣う。そんなウロの様子に、僕の頭もようやく冷えた。そうだ、焦って躍起になった所で凡ミスで真犯人を詰めそびれるのがオチだ。


 そう思い直した所で、ウロが僕に微笑んだ。

「大丈夫。もう2〜3枚処分しておけば充分時間が稼げるわ。ちょっと取ってくるから待ってなさい」

「ウロ! 」


 蟲が這うほどのアレを、2〜3枚。そんなの大丈夫なのか!?そう思って声をかける僕を見尻目に、努めて軽い空気を醸し出しているだろうウロが野良をおじさんから引き抜く。


「頂き、ます!……うっげぇ……! 」




 苦虫とは、正に野良なり。

 涙目を隠しながら戻ってきたウロの為に、僕はこそりとコーナー横からフィナンシェをカゴに放り込んだのだった。






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