花霞 揺れにし恋の 香を抱き







「何なんだ、一体……? 」

 先程までの喧騒から一転、静けさを取り戻した部屋で独りごちる。入って来た時は普通だった。普通だったのだ。それが急に不穏な空気になって、挙句にこれだ。今日も昨日までのように振り回されて、事件をちょっと調べて。そうして過ごすとばかり思って居たのに。


「ウロの奴、何だってあんなに怒ってたんだよ」

 予測が外れたからなのか、何なのか。振り回される事も黒紙に悩む事も当面無くなった筈の心に、ぽかりと大穴でも空いてしまった感覚を僕は覚え始めていた。ウロに振り回されるのは嫌じゃ無い。悪く無い。そうとだけ今迄思って来た訳だけれど、もしかすると。


「楽しみに、してたのか?僕」

 知らない内に目を背けていたらしい自分の気持ちに、ここに来て突然行き当たった。ああ、そうか。僕は。

 思い至ってしまえば簡単で、しかし気付くのが遅かった。恐らく、致命的に。


「もう来ない……なんて事。ないよな」

 もし来なかったら、どうする。少し冷静になった頭で考える。今までの僕なら、もう好感度の修復は不可能、と早々に見切りをつけて諦めただろう。今回もそうするべきか、否か。




「……」

 決めかねた僕は、逃げるように視線を一度下へ追いやった。胡座をかいた自分の足下に転がる、ペットボトルやゴミが目に入る。捨てそびれたスープの空袋の切れ端、パン屑、割り箸のビニール。そして。

 その横へ転がっていた「それ」を見て、僕は漸く腹を決めた。







「おーいウロ、何処だよ。出て来てくれよ! 」

 ウロを追って、取り敢えず屋外へ。だが悲しいかな、アパートの近辺では終ぞ応えが無い。本格的に外出する為に、カバンを手に取り靴を履き替える。


 先の問題における、僕の選択。それは結局、「ウロを探しに行って説得する」方へ転がった。カバンに入れた昨日のマカロン。これが僕の感情の全てだと見た瞬間に悟ったからだ。


 頼まれ物でも必要な物でも無い、僕の意思で買ったそれ。喜ぶ様子を期待したそれ。そう、僕は。ウロに唯喜んで欲しかった。喜ぶ顔をそばで見ていたかったのだ。ただその一心で、らしくなく手に取った。つまり。

「僕は多分……君と一緒に居たいんだ、ウロ」




 ウロを探し始めて、分かった事が一つ。

「僕、本当ウロについて何も知らなかったんだな」

 行きそうな所が分からない、好きな物が分からない。一緒に入ったアルコイリスにも、彼女が入りたがった雑貨屋にも、孤独のレイシを買った本屋にも居ない。となれば、僕はもうお手上げだった。たったそれだけしか、知らない。知ろうとしなかった。焦りばかりが先行して、ただただ時間だけが過ぎて行く。


「本当……何処に行ったんだよ」

 ウロを探し始めてどれ程経っただろうか。部屋を出た時にはまだ登りきって居なかった太陽が、僕を真上からじりじりと照らす。言葉の通り、もう改さんの所へ帰ってしまったのだろうか。だとしたら、場所を知らない僕にはもう手立てが無い。


「……」

 照らす太陽を睨み付けた頭上には、嵩が大きく減ったポスト。取って行った量からして、ウロは僕との縁切りを考えたのだろうか。悶々とする感情を隠しもせずに、大通りを家方向へ引き返す。駄目だ、一旦帰ろう。冷静になったウロが、僕の家の近くに居る事も少しは有り得るのだから。一縷の望みをかけて踵を返したその時、誰かと肩がぶつかった。


「わ、すみません! 」

「……っス。此方こそ。……あ」

「? 」

 遥か上から降った声。聞き覚えのあるそれと相手の反応に視線を動かす。

「あ、れ。乃慧琉さん? 」

「どうも」







「あ、ええと。買い出しの帰りですか? 」

「ええ、まあ」

 僕の問いに、いつも通りの冷静な声が帰って来た。手には沢山の果物が入った袋と、綺麗な花々。どうやらケーキの材料と店内に飾る花を買った帰りらしい彼が、何故か訝しげに僕を見た。そして首を傾げて、一言。


「痴話喧嘩ですか」

「は!? 」

 痴話喧嘩。彼から出たとは思えない突拍子もない言葉に、口から失礼だろう返答が溢れ出る。そんな僕の反応を気に留めない様子で、乃慧琉さんが更に言葉を続けた。


「すみません、浮かない顔をしていたので。二人共」

「え、二人!? 」

 と言う事は、まさか。僕の推測を裏付けるように、尚も言葉が続く。

「昨日一緒にいらした、あの方。公園で寂しそうにしていましたよ。」

 言いながら、乃慧琉さんが指差した先。それは。

「僕達が、始めて会った公園……」

「……」


 ウロが、あそこに。もしかして、もしかして。想定外に判明したウロの居場所に、らしくなく湧いた希望的観測。それを後押しするかのように、乃慧琉さんが再び静かに口を開いた。

「行ってあげて下さい、芥君」

 きっと待ってますよ。言葉と共に、手渡される何か。真っ白な花を、一輪。


「ハーブティー用ですが、どうぞ。カモミールです」

「え、あ……」

 カモミール。確か、本で見た事がある。花言葉は――。

「ありがとうございます、乃慧琉さん! 」




 背を押してくれた乃慧琉さんにお礼を言って、一目散に駆け出す。頑張って。そんな彼の言葉を背に、僕はひたすら地を蹴った。

 走って、走って、走って。辿り着いた公園で目に入る、寂しげな後ろ姿。彼女が逃げてしまうかも知れない。そんな心配も何も追いやって、迫り出すままに言葉を紡ぐ。


「ウロ!!探したぞ!!」







 僕の言葉に、彼女の長い髪がびくりと揺れた。手に持つ黒紙は、その嵩を減らしてはいない。きっと、ウロはただ此処で佇んでいたのだろう。今までずっと。どんな気持ちで、どんな顔で。思い至って軋む心臓に手を当てて、僕は一歩踏み出した。


「ごめん、ごめんな、ウロ。僕はまだ君と居たい。一緒に居たいんだ」

 言葉にした僕の気持ちに、だが応えは無い。挫けそうになった自分を叱咤して、僕はカバンからマカロンを取り出した。乃慧琉さんに貰ったカモミールを添えて、此方を見ないウロの顔の横からずいと差し出す。


「これ、ウロに。……昨日カフェで買ってたんだ。朝一で渡せば良かったのに、馬鹿だよな、僕って」

「わ、たしに? 」

「うん。好きだろ、こう言うの」

「サレ女は?あんた、これからはサレ女と居るんじゃ無いの」

 断言した僕に、信じられない、と言いたげな応えが返る。でも、返してくれた。


「何言ってるんだよ、散々巻き込んで置いて。最後まで巻き込まれたいって言ったじゃないか、僕」

「……」

 安心したのも束の間、僕の煮え切らない答えに、重苦しい沈黙が落ちる。

「……あ」




 嫌な、沈黙。ああ、駄目だ。失敗した。何時もの様に諦めかけて、しかし思い直す。……いや、これじゃ駄目だ。これまでの駄目から一歩踏み出さないと、本当に駄目になる。湧き上がった思いに従って、今度ははっきりと言葉にした。


「じゃ、無くて。ええと…。ああもう。僕は他の誰でもなくウロに振り回されたいんだよ!分かれ!あ、あと。返せ!黒紙!一気に回収なんて、約束――」

 違反だぞ。言い終わらないうちに、ウロが振り向く。やけにスローモーションのように感じた動作の後やっと目にできた彼女の顔は、涙でグシャグシャで、不恰好で。でも。


「あんたって、本当、馬鹿なんだから」

 最高の、笑顔だった。

 



花霞 揺れにし恋の 香を抱き




「か・え・せ! 」

「い・や・よ! 」

 アクシデントから派生した喧嘩を乗り越え、僕達は何とか和解……いや仲直りした筈。なのだが。


「ああもうこの分からず屋! 」

「カイにだけは言われたくないわね! 」

 清々しい仲直りは何処へやら、僕とウロは今現在何とも不毛な言い合いと洒落込んでいた。原因は、ウロの手に残る「あれ」だ。


「返せよ黒紙!僕のだろ! 」

「要らないでしょこんなの!!タダでこれだけ始末できるんだから感謝しなさいよ!それとも何?あんたマゾなの?そんなにパンパンポストが好きなら丸三日くらいぶっ通しで散歩でもして来れば!? 」

「嫌だよ!恨まれるだろ! 」

「意味わかんないんだけど!? 」




 そう、黒紙。ウロと僕が出会ったきっかけで、今も会い続けている理由。ウロが先程抜き取った大量のそれをどう始末するかで、僕達は揉めに揉めていた。返せ、嫌だ、返せ、嫌だ。これだけの何ともスッカスカな言い合いを、かれこれ十数分は繰り返している。外でこれだけ言い合いしてれば明日はきっと花粉症で悲惨だろうな、僕。


「じゃあこのマカロンと交換でどうだ、ウロ!これなら逆らえまい」

「……〜〜っ!きっったない!人の弱みに付け込んで!! 」

「うるさいな、それが無いと君と会う理由を取り付けられないじゃないだろ!分かれよ! 」

「! 」


 こちとら必死なんだぞ!勢いのまま言い終わって、ふと我に帰る。今、僕は何と言った?感情に任せて何かとんでも無いことを口走った、気がする。


「あ、いや、その」

「あ……あいたい?そんなに? 」

 やっぱり。やらかした。僕の言葉の真偽を問うようなウロの言葉に、うわああ、と柄にもなくオーバーリアクションで頭を抱えてみる。あ、無理だ、気が逸れない。握ってくださいとでも言わんばかりのどでかい弱みに、僕は戦々恐々でウロの出方を伺った。彼女の反応が静かなのが地味に怖い。逸らしていたらしいウロの視線が、するり、と地を舐める。さあ、どうなる。




「……」

「……じゃあ、返そうかな……」

「えっ」

 予想外。

 無理難題を吹っかけられるかと思いきや、僕の主張があっさりとまかり通った。


「い、良いのか? 」

「うん。だから、マカロンちょうだい、カイ」

「……ああ」


 矢張りあっさりだ。おかしい、楽勝すぎる。そう思うけれど、きっと口に出すと面倒な展開に転がるケースだろう、これは。ここ数日で学習した要素を集約して、僕の脳は黙ってさっさとマカロンを渡す結論を導き出した。結論に従って、大人しくウロへと紙袋を差し出す。


「ほら。あ、封は僕が開けたほうがいいか」

 気がついて、開封。開けた瞬間、ラズベリーの香りがふわりと漂った。流石、人気店。匂いの時点でかなり美味しそうだ。取り敢えずビニール包装の上から持ち直して、中身をずいとウロに向ける。


「さ、どうぞ、ウロ。物々交換な」

「……」

「ウロ? 」

 またもや、沈黙。 何だ、今日はおかしいぞ、色々と。不自然な沈黙空間に悶々と考えを巡らせていると、視線を外したままのウロが徐に口を開いた。


「……カイ」

「ん? 」

「そのままじゃ、食べられない」

「そう、なのか? 」




 目線を合わせずウロが僅かに頷く。ああ成程、スイーツを前にして据え膳を食らっていたから空気が微妙だったのか。伏せた目に、ほんのり赤い頰。さしものウロも今回ばかりは指摘し辛かったに違い無い。ここは大人しく謝っておこう。


「ごめんな、気が付かなくて。皿とかが無いとなら一旦家に帰って……」

 言いかけて、一瞬。不意に口に冷たい空気が掠った。下ろした視界に入る、華奢な白い指。

「駄目。ここで頂戴。今から言う方法なら、大丈夫だから」

 口に当てられた指と存外真剣なウロの表情に、拘束力のない筈のそれに従って無言で頷く。


「よろしい。じゃあまず一つ。それを袋から出して。二つ。カイ、あんたが咥えて。全部食べないのよ、咥えるだけ」

「う、ん? 」


 妙だ、おかしい。こんな御供えの作法は聞いた事がない。ない、のだが。ウロの余りに必死で真剣な面持ちに、横槍を入れる気にもなれず従った。


 マカロンを袋からすっかり取り出して、咥えて。馴染みのないお洒落に纏まった酸味と甘みが、気持ち円やかな香りと共に鼻に抜ける。うん、女子が好きそうだ。この味。……何の香りだろう、この混ざってる何か。オシャレスパイス?僕があらぬ方向に意識を飛ばし掛けたタイミングで、最後にウロが付け足した。


「最後に、三つ。……目を、閉じなさい」

 やくそくよ。言い終わらないうちに、僕の視界が翳る。閉じる間も無く視界にかかる黒髪の天蓋、次いで揺れる紫が全てを埋めて、瞬いて、消えて。




 唇に、冷たい空気が重なった。







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