桜草 集いし宵に 月光り







「おじさんは一先ず大丈夫、落下物にも遭わずに無事帰宅できた」

「上出来ね」

「……だがしかし、だ」

「何よ」


「この体勢は一体なんなんだ、ウロ!? 」




 所変わって、鄙びた僕の家。万年床輝く一見何の変哲もないそこで、僕にとってはかつて無い非常事態が起こっていた。


「何って、膝枕じゃない。透けちゃうから正しくはクッション枕だけど。何かおかしいかしら? 」

「距離感が!おかしい! 」


 そう、膝枕。ウロがクッションのある場所に合わせて正座し、僕がそれを枕に寝転がった擬似膝枕状態。それが、今の僕達の体勢である。何だこれ。どうしてこうなった。


「だって、私達キスした仲じゃない。これくらい普通よ。ふ・つ・う」

「はあ!? 」

「何ならダーリン、って呼んであげるけど」

「呼ばんでいいわ! 」




 仲直りから、こっち。ウロがおじさんの件含めやけに僕に優しくしてくれて「これが雨降って次固まるか。仲良くなるっていいな」なんて呑気していたらこれだ。


「それとも何!?サレ女ならバッチコイなの!? 」

「余計ありえないだろ!! 」

「! 」


 何故か彼女気分?とでも言いたくなるウロの言に、ツッコミ一渾。しかしそれは尚彼女の機嫌を良くしたのか、ウロは頬を染め愛らしく微笑んだ。


「そっか。そっかあ……」

「君なあ……」


 んふふ、えへ。しまりのない声が漏れる彼女の口は、何とも幸せそうで。それに文句を言う気力を削がれ視線で床を舐めた僕は、目に留まったあるもので今日本来の目的を思い出す。


「ウロ、レイシと勉強」

「にふふ〜……んぇ? 」


 これだ。打開策ここにあり。訳のわからないこの体勢も、これを出せば終わる筈だ。そう見当をつけて僕はウロの興味をさらに引くべく言葉を続けた。


「ほら、読まないと進まないぞ。フィナンシェもお供に出すからさ」

 だから、膝枕終わった終わった。そんな流れを期待して、身を起こすべく肘をつく。


 しかし僕の言葉にウロが漏らした返事に、僕の淡い期待は無残にも打ち砕かれた。


「じゃ、このまま読みなさい。フィナンシェはあんたが咥えてていいわ。楽だしお皿も汚れないし丁度いいじゃない」

「ぶへ!? 」


 ああ、駄目だこりゃ。




桜草 集いし宵に 月光り




「『そう、私は彼を愛してしまった。超えられない世界のその先にいた、たったひとりの彼を』……」


 波乱の膝枕地獄から、少々。冷静に考えるとモノを咥えて喋れないと言う物理的理由でフィナンシェキスだけは避けられたものの、拘束力がない筈の膝枕から逃れることはついに叶わず、僕は膝上での朗読刑と相成っていた。


「『届かない。それでも、一緒にいたい。他の何を投げ出してでも、触れてみたい。でも、それは叶わぬ夢だと知った。知って、しまった』……」

「……」


 結局ミルクティーと共に皿へと置いたフィナンシェを時たま食べつつ聞き入るウロの顔は真剣そのもので、熱が篭っているようにさえ見える紫の瞳は何故か僕を映して離さない。


 孤独のレイシはというと、主人公が何がしかを思い出した描写の後に、急に恋を悲観的に捉え始めた所である。心身共にゴリゴリの至近距離で相手に届かない触れないとは、これ如何に。


「両思いだろうに、変だなあ」


 思わず漏れた感想に、ウロの目が瞬いた。かと思うと、程なくして切なげに伏せられる。


「私は、変じゃないと思うわ」


 超えられない気持ち、わかるもの。呟く言葉に、先程までの勢いは無い。


「……ウロ? 」

「……カイ、ありがとう!今日はもう大丈夫よ。今度は勉強を教えて頂戴」

「お、おう? 」


「?、?? 」

 結局ウロの真意は図りかねたまま、朗読刑は一旦の終わりを告げたのだった。







「やったな、ウロ!さ行とた行クリアだ!あ行とか行のおさらいも満点だったし、才能あるんじゃ無いか? 」

「ふっふ、もっと褒めなさい、カイ! ヘイ、ミルクティーおかわり! 」

「はいはい」


 レイシを一旦読み終えて、読み書きの練習と洒落込んだ僕達。

 さ行を終えてた行に移る頃にはすっかりいつもの調子に戻ったウロに内心胸を撫で下ろしつつ、僕は彼女がリクエストしたミルクティーのおかわり作りと洒落込んだ。


「砂糖はどうする? 」

「今回もお願い!あまあまが美味しいんだから 」

「OK」


 要望の通り、砂糖を一杯、二杯。僕が飲むには少し甘いそれにスプーンを突っ込んでかき回す。暫くそうしていると、不意にウロがずいと頭を向けてきた。


「ん」

「え? 」

「……」

「?? 」


 何だ、この沈黙空間。

 首をかしげる僕に、察しが悪いわね!というウロの言葉が飛ぶ。


「なでなで。今日まだじゃない」

「は、あ?? 」

「何よ、この前したくせに!! 」

「! 」


 何だこれ。まだ終わってなかったのか!そんな僕の心中の叫びを知ってか知らずか、ウロはなおもずずいと頭を寄せてきた。


「ああもうほら、よしよし偉いぞ! 」

 こうなればもうヤケだ。実体があればわしゃしゃ、と音でもしただろう撫で方で、ウロの頭を撫でる。


 これでまた得意げな顔でもするのだろう。そう思った僕の予想は大きく外れる事になった。


「え、へ。えへへ……」

「……! 」




 恥ずかしそうに、でも満足そうに。満面の笑みを浮かべるウロが、そこには居た。と同時に、どくんと脈打つ僕の胸。


 いや何だ。本当に今日はどうかしてるんじゃ無いか、僕達!?遂に、僕までおかしくなってしまった!

 いまだ脈打つ胸に、赤くなっているだろう熱い顔がもどかしい。いや、心地いい?


 常に無い自分の感情に振り回される僕の脳内に、何故か孤独のレイシの一節がリフレインする。


『私は彼を愛してしまった。超えられない世界のその先にいた、たったひとりの彼を』


 誰が、誰を?


『超えられない気持ち、わかるもの』


 ウロが、僕が、いや、まさか。


『うるさいな、それが無いと君と会う理由を取り付けられないじゃないだろ!分かれよ!』




 ……。





「カイ? 」

「!! 」

 感情の波にのまれかけて、爆発しかけて。はたから見れば静止して居ただろう僕に、ウロの声が掛かった。



 瞬間、わかった。わかって、しまった。


「僕は、ウロを……? 」

「カイ? 」




 わかって仕舞えば、人間は脆いもので。想い人からの問いかけに、顔が弾けそうなほど熱くなる。

 くそ、何なんだ。今まで何ともなかった癖に。


「あ!え?ウロ、ななな何だ!? 」

「?いやその、あんたが動かない、から……」


 返すウロも、可愛そうなほどに顔が真っ赤だ。これは、まさか。いや、まさかのまさか。




 ウロも、僕を。




「いいいいいいいいや!!それは流石に早計と言うか!! 」

「何が!? 」







 そこから、門限だと言うウロと家を出るまでの十数分間。僕は、何を話したかを覚えて居ない。


「じゃあ、カイ。またあした」

「うん。また明日な、ウロ」


 けれども笑顔で告げた別れに、僕はウロとの明日を確信して居た。


「フィナンシェ、美味しかったわ!色々ありがとう。これからも……よろしくね、カイ」

「勿論。明日も待ってるから」


 幽霊と人間だけど、こうして喋れるし、交流だって出来る。傾きかけた日を背に笑う彼女は、とても幸せそうで。


 きっと明日も、一緒に笑ったり話したりして一緒に過ごすんだ。そう、思って居た。




「おい、てめえら……何してる? 」




 改さんが、僕達を見つけるまでは。






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