夕闇に 赤く染まるや 花蘇芳
「で、僕はそこで犯人は白神だ!って思ったんですけど。まあ綺麗に外しちゃいましたよね」
「わあ、私も同じです!まさかトリックにピアノ線が使われてるって匂わせがミスリードだと思わなくて。完全に引っかかっちゃいました、ふふ」
カフェに居座って、大体長針4分の3周。ぎこちない滑り出しは何処へやら、小鳥遊さんの御礼から小説の内容談義に話題が移る頃にはすっかりと緊張感も薄れ楽しく考察ポカ話に花を咲かせていた。趣味の話、楽しい。
ネタバレにならないようお互い読了を確認しながらでも、読んだ小説の数が数だけに推理外しポイントが尽きる事は無い。
「そう言えば麗海さん、孤独のレイシはもう読まれましたか? 」
「え?あ、ああ!友人とゆっくり読み進めてるので、まだ一章止まりなんです」
「そうなんですね……!最後までドキドキしながら読んじゃう素敵なストーリーだったので、全部読まれたらまた是非感想を聞かせてくださいね!麗海さんとのお話、凄く楽しくって。良かったらまたお話したいです、私」
「も、勿論!僕とでよければ! 」
「やったあ!嬉しい……! 」
何だ、夢かこれは。女子がこんなに楽しそうに僕と話してくれるなんて。しかも、小鳥遊さんみたいな可愛い子が。夢心地で言葉を交わし、今後の予定を組み立てる。次も、有るのか。信じられない。しかしまあ今回は話の流れ的にそろそろお開きだろう。このカフェのゴールデンタイムに差し掛かったのか、席も続々と埋まり始めているみたいだし。ゴールデンタイムの不要な居座り、よくない。
「え、と。小鳥遊さん、今日はそろそろ出ましょうか。ここ、行列しそうな勢いですし」
「そうですね。ふふ、ありがとうございました。凄く楽しかったなあ」
「ぼ、僕もです! 」
「それじゃあ、来週の水曜日。約束ですよ、麗海さん」
「ひゃい! 」
「ふふ、麗海さんたら」
小指を差し出す小鳥遊さんに、動揺して安定のひと噛み。少し悪戯っぽい彼女の笑顔を焼き付けながら、僕はカフェを後にしたのだった。
夕闇に 赤く染まるや 花蘇芳
カフェからの帰り道を、二人並んで歩く。お互いの家の立地上大学辺りまではどの道同じルートだ。店前で別れて微妙な距離を取りながら同じ方向に帰ると言う厳しい流れになるよりは、こちらの方が断然自然だろう。
「麗海さんのお家、結構近くなんですね。驚いちゃいました」
「家賃と大学からの近さを優先したせいでボロアパートな上に虫入り放題の一階ですけどね。角部屋って所だけが救いですよ」
「う、虫入り放題かあ……。大変そうです」
虫入り放題、と言う僕の部屋のピカイチ個性に身震いしたのか、小鳥遊さんの声が弱々しく漏らされた。いけない、女子に虫入れ食いの話題はタブーだったかな。そんな僕の心配も目に入っていない様子の彼女に、けれども話題を急に変える甲斐性もなく追い打ちをかけるような相槌が口から落ちる。悲しいかな、引き出し不足。
「ああ、虫が苦手だとキツいですよね。まあ僕は慣れちゃったんで大概無視して寝ちゃいますけど」
言い終わって、ちらと彼女を見遣る。意外にも、僕の一言に小鳥遊さんは口許を綻ばせているようだ。あれ、今の貧相な返答に笑いどころなんか有ったっけ。
「ふふ、虫だけに?なんて」
ムシダケニ。あっ、虫と無視が掛かってたのか。
「はは、小鳥遊さんてば。一本取られたなあ」
そんなこんなでつつがなく会話を進めつつ大学方面に足を向けて、少し。所謂商店街の中程にあるアルコイリスより若干距離が近いせいか、程なくして大学の正門が見えてきた。ここまで来れば、後は正門あたりで別れて家へ帰るだけだ。ミッション、コンプリート。
女子との対面で初めて、相手を大きく不愉快にさせる事なく楽しく過ごせた。思わずガッツポーズを脳内で浮かべながら、感慨深く前方へ目を向ける。
横断歩道を渡って右手側、いつもお世話になっているスーパー。左手側、ブルジョワ区画。正門から奥の方へ伸びる旧式アパート犇めくボロ区画の何倍も家賃が高いだろうそこのシンボルでもある大きなマンションが、日を背にするように堂々と聳え立っている。そんないつもの景色すら、何だか神々しく清々しい。……あれ?……マン、ション?
「……あ」
「麗海さん? 」
そうだ、またもや忘れていた。アルコイリスと同じ方角に足を運んだのだから、このまま進めば当然今回も野良黒紙の現場に行き当たるじゃないか。と言うかもう既に目の前だ。植木鉢が人めがけて降ってくる、危険極まりない頭上の悪意。これは一応小鳥遊さんにも言っておいた方がいいに違いない。
「そう言えば小鳥遊さん、知ってますか?ここら辺で最近起きてる落下物騒ぎ」
「落下物、ですか? 」
僕の言葉に、小鳥遊さんが小首を傾げる。やはり、落下物騒ぎについては未だ知らないようだ。彼女の様子を鑑みて、若干重くなった己の口をそれでも何とかこじ開ける。頑張れ僕、小鳥遊さんの安全の為だ。
「はい。ええと、その。何でも少し前からあのマンションの上空から人めがけて物が落ちてきてるみたいで。この前なんて目の前に植木鉢が降ってきましたよ。土入りの」
「え……ええ!?それって、当たってたら……っ」
「最悪……死んで、ますよね。小鳥遊さんも、しばらく気をつけた方がいいかも知れません」
「そんな……」
やっとこさ言葉にした事の仔細を聞いた彼女の顔が、可哀想なほどに青く染まった。そして、一気に気まずくなる空気感。今の空気は、話題への拒絶感が醸し出すそれだ。当然だろう、誰だってあんな物騒なイベントとの遭遇など御免被りたいに決まっているし、それが生活圏内で発生しうるなんて何なら信じない方向に精神が舵を切ってもおかしくない。
教えてしまった代わりと言っては何だがせめて少しでも安心して貰えれば、と僕は続けて今日の時点で手に入っている情報を差し出した。
「今、改さんの事務所も解決の為に躍起になって調べてる所なんです。又聞きの又聞きになっちゃうんですが、基本女性がターゲットで時間にも規則性があるとか。今の時間は……ちょっと危ないかも。迂回しましょう、念の為」
「は、はい」
僕のいきなり過ぎる話に呆然と頷くばかりの小鳥遊さんを見るのは正直心が痛むが、僕だってみすみす被害者の数を増やすようなことはしたく無いのだ。……でも、この感じだともう次の約束は立ち消えかもな。楽しい雰囲気を跡形も無く離散させてしまった罪悪感が首をもたげるのに気が付かない振りをして、僕は少しの寂しさと共に迂回路へと足を向けた。と、その時。
「カイ、上!! 」
ウロの切羽詰まった声が、僕の耳をいきなり劈いた。
ウロの只ならぬ声。それの意味に僕が思い至る間も無く、辺りに落下音が響く。出た、「落下物」だ!次いで噴出する、人の悲鳴、ざわめき、シャッター音。ヤバいよ、なにこれ。そんな言葉が方々からちらほらと聞こえ始め、野次馬らしき人の姿も見えだした。しかしながら、肝心の被害者が見当たらない。
「クソっ!何だって言うんだ、一体!? 」
「……う、麗海さん。」
「! 」
被害者が存在していないか目を凝らして、収穫のなさについ悪態を吐く。だが不意に服の袖が控えめに引かれてふと我に帰った。小鳥遊さんだ。しまった、頭から抜けていた。昨日のストーカー騒ぎからのこれだ。参ってしまってもおかしくは無い。ウロが近くにいるという事は、即ち張り込みをしていたと言う事だろう。何か小鳥遊さんが安心できるような進展が無かったかウロに聞くべく、声のした斜め上方へ視線を動かす。もう少し上。居た、ウロだ。
「おーいウロ!何か……! 」
呼びかけた所で、ウロがこちらを向いた。やった、聞こえた。そう思ったのもつかの間、何故かウロが脱兎の如く飛んで行く。
「え……おい!?どうし……。!! 」
言い切らぬうちに、頭に響く衝撃。訳も分からず振り返った僕の目に飛び込んで来たのは、ゴツい指輪のはまる手と、今にもブチ切れそうな面持ち。
その持ち主は、言わずもがな。
「あ、あ……改さん!? 」
「おい、テメェ……何危ねえ場所をウロチョロしてやがんだ?ああ?俺とウロからの注告はお耳に無しか、芥さんよお。」
「いえ、その……」
僕に話しかける改さんの顔が、彼が屈んで顔を寄せた所為でダイレクトに視界に入る。その形相の凄まじい事。鬼だ。いや、仁王か何かだ。
「こ、これには深い訳が、は、あはは……」
事件にみだりに首を突っ込むなと言うお達しを無視したと取られても無理もないタイミングと巡り合わせの悪さに、自分の事ながらつい乾いた笑いが溢れた。それがまた改さんの怒りの炎に油を注ぐ形になったのか、僕の目線の上にある眉間がビキビキと憤怒の具現化のような形を取り始める。あっ駄目だ、これ死んだ。
「こんな所までバカみてぇに首突っ込みやがって。どう落とし前つける気だ、『麗海』」
最早その激昂を隠すそぶりもない般若が、更にじりじりとその距離を詰める。ヤバい、もう駄目だ。僕の命運尽きにけり。目前に迫った般若から身を逸らし諦め半分で目を閉じた、瞬間。左腕に感じていた上着を握りしめる感覚がぐっと強まった。あれ?と思う暇もなく、そのまま絞り出すような声が斜め後方から響く。
「……で、……さい」
「あ? 」
「ふざけないで下さい! 」
改さんのそれに比べれば然程大きくない筈のその声は、意外な程によく通った。控えめな印象を受ける、女の子の声。小鳥遊さんだ。
「え、ちょっ。小鳥遊さん!? 」
「さっきから聞いてたら、何なんですか!話も聞かずに一方的に麗海さんを責め立てて!麗海さんが何をしてたって言うんですか。野次馬の人達みたいに写真を取りに行ってましたか?犯人を刺激するような言葉でも叫んでいましたか?面白半分で落下現場に首を突っ込んでいましたか?答えて下さい! 」
「おい、あんた……」
小鳥遊さんのあまりの迫力に、やっとこさと言うていで改さんが言葉を挟む。けれども、小鳥遊さんの言葉は止まらない。
「大体、元はと言えば私が無理を言って麗海さんをお茶にお誘いしたんです。その帰り道にあれに出くわしたんですから、有責であっても責められるべきは私です! 」
「お、おう」
「小鳥遊さん……」
唇を噛んで、肩をぎゅっと竦ませて。その様子は改さんを怖がっているそれなのに、そこからは想像もできないような芯の通った声であの改さんを怯ませた。す、凄い。まさか僕の為に、そこまで。僕が早々に諦めてしまった説明を改さん相手に必死にしてくれた事が、只々素直に嬉しい。ちょっと、いや大分自分が情けなくもあるけれど。
「……。何つうか、あれだ、その……。俺の……勘違いか? 」
あまり争いごとを好みそうにない小鳥遊さんの予想外の気迫に気を削がれたのか、黙り込んでしまっていた改さんが遂に常になく遠慮がちな声で弱々しい言葉を発した。同じく気迫に押された僕も、無言で首を縦に振って肯定の意を示す。
「……」
「……」
「……ええと、その。……悪い……」
いつの間にか野次馬も引いた往来に、ぽつりとそんな声が響く。勝者、小鳥遊さん。そんなどうでもいいナレーションが、僕の頭にぽとりと降って消えた。
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