桃の花 香に常春の 夢ぞ乗せ
桃の花 香に常春の 夢ぞ乗せ
ウロが文字通り弾丸のように跳ね飛んだ、元読み書き教室もとい僕の部屋。急に訪れた予想外と後に残る静けさに、僕は何とは無しに胡座を解いて寝転んだ。手に残るスマホの通知音が、何とも物寂しい。
「はあ、通知音……通知音? 」
いや、おかしいだろ。静寂を割いた少し間抜けな通知音に、知らず首を傾げる。ニュースのそれでもゲームのそれでも無い、擬音にするならピコン、あたりの明るい音色。
「これって確かLIMEの!? 」
やり取りする友達はおろか大学内のグループLIMEにすらお呼びでない僕のLIMEに、通知音。
「スタンプ取ったアカウントは即ブロックしてるし、お知らせでも無いよな?……」
心当たりは有った。ちょっぴり。蜘蛛の糸くらい。いやでも、まさか。
「小鳥遊、さん? 」
先程までの静寂が嘘のように脈打つ心臓に手を当てて、画面を見る。薄目で、ギリギリ視認できるレベルで傾けて。悲しいかな、モテない男は期待からの落差を死ぬ程恐れるのだ。正面切って画面を見られないのはご愛嬌と思って頂きたい。
「よし見るぞ……見るぞ! 」
いや、やっぱ無理。せめてもの抵抗に薄目のまま通知をスライドさせてLIME起動を試みた。うわ、起動した。怖。いや当たり前だろ馬鹿か僕。真新しいトーク画面に、数行の文字列が映し出される。既読から程なくして、ピコン、ピコンと追い討ちが入った。正直言って死にそうだ。
「頑張れ僕、ファイト一発……! 」
気合一発、いやもう五発。情けなくも奮起から一向に進まない僕をぶん殴るかのように、遂には聞きなれないメロディが流れ始める。なんだこれ、はじめて。
「えっ、あっ!?ななな何だ!? 」
襲い来るリア充波状攻撃にパニクったのか、先程まであんなに見るのを渋っていた画面をがばりと覗き込めた。そこに映っていたのは、可愛らしい犬の画像と。
「ちゃ、着信表示……? 」
LIME電話、機能としては聞いたことがある。恐らく既読をつけたまま何時までも反応しない僕を気にしてこちらへ切り替えてくれたのだろう、素直に申し訳ない。やってる事普通に既読無視だしな。ここでまた反応しそびれてはいよいよ駄目人間極まれりと言った所だろう。
「お、押すぞ……」
タップ、通話。普通の人間からして見れば滑稽以外の何者でもないビビりっぷりで実行して耳に当てる。落ち着け、落ち着け僕。
「も、もしもずっ」
噛んだ。最悪だ。
『もしもし…麗海さん、ですよね? 』
「はい。えっと、小鳥遊さん? 」
『ごめんなさい、ご迷惑でしたか……? 』
まごつく僕の声音を気にしてか、電話口から控えめな声が響いた。ああ駄目だ、完全に小鳥遊さんを消沈させてしまっている。彼女がしているだろう誤解を解くべく、何とか声の調子を上げて喋り出す。
「いや全然!丁度友達も帰ってしまった所だから暇で暇で!暇すぎて暇ですよ!はは、ははは……! 」
暇すぎて暇ってなんだそれ、馬鹿か。馬鹿なのか。どんだけ暇が暇で暇なんだよ。じゃなくて、ああ。大失敗。自分のあんまりなコミュ障っぷりに一人消沈していると、意外や意外、弾んだ返答が耳を擽った。
『やったあ……! じゃなくて、あう、ごめんなさい!お暇、なんですね? 』
「はい、少なくとも今日一日はオールフリーになっちゃいました」
『ほんとですか!?あっ、いえその……』
僕の暇という言葉への、明らかな喜び。まさか。
『もし良かったら、なんですけど!昨日のお礼にお茶なんて……どうですか?美味しい紅茶の店、知ってるんです。商店街に入る少し前にある所で』
「え、ええ!? 」
まさか僕の「まさか」が女子関連で、しかも良い意味で当たる日が来ようとは。あまりの衝撃にさっきから語彙力が死んでいる。
『ご迷惑だったら断って頂いて結構ですので……!小説のお話なんかも伺いたくて、ええと』
「……」
オチャヲシテ、シュミノオハナシ。ヤバい、次元が違う。俺の知ってる次元じゃない。パンクする頭で、僕が返した言葉は。
「……あー、い、いまきたところ……。んん、いや、僕も今来たんです? 」
いかにもお洒落で上品なカフェの前で、ぶつくさと独り言を垂れ流す不審な天パ。誰あろう、僕である。衝撃のLIME電話を終えて先ず僕が行ったのは、小鳥遊さんの指定してくれたカフェの立地詳細の確認と距離から弾き出した所要時間のチェックだった。
そう、取り付けてしまったのだ、約束を。外で、二人きりで、女子と。未知の領域であるそれに、先程から実りのない非リア丸出しの合流予行演習を幾度となく繰り返していると言う訳だ。流石に到着が約束30分前は早すぎた。
「あー、た、小鳥遊さんらしい素敵な店ですね……?いや、碌な親交も無いのにこれは引くか」
女友達はおろか、男友達も碌にいた試しがない。待ち合わせってどうするんだ?会話の取っ掛かりは?今まで意識した事の無い場面を無い頭で考えてはコレジャナイを幾度したのか考えるのも億劫なレベルである。悲しいかな、ガチぼっち。
「ウロと会う時は意識した事も無かったんだけどなあ……」
あ、あいつはいつも無許可で突撃!お前のアホ面!を僕にかまして来るからその辺りの気遣いが必要ないのか。
納得した所で、また一つ新パターンが僕の脳内で展開された。ううん、どうだろう。……。
「…いや!それは無いわ!気持ち悪!」
思わず大ボリュームで叫んだ所で、傍に不穏な気配が流れた。
「……なんか萎えた。帰るわ」
「ま、待ってくれよ!答えは……」
「普通こんなムードの所で告る!?最低!触んないでよ! 」
「いっって……! 」
言い争う男女と、告白だの返事だのと言う単語。もしかしなくても、あれだろう。僕は察した。やらかした、と。女性に置き去りにされた格好の男性が、怒りを込めて僕へ視線を寄越す。
「最悪なタイミングで訳分かんねえ声上げやがって……!てめえ、死ねよ! 」
「す、すみません……」
ズコン。案の定、僕の頭上でそれなりの質量を持つだろう音が響いた。僕の気持ち悪!が図らずも彼の一世一代の告白を邪魔してしまっただろう事は想像に難く無い。素直に謝るが、時すでに遅し。彼の青春も僕のちょっとかさの減ったポストも帰っては来ない。嗚呼、無常。
「すみません!お待たせしてしまいましたか? 」
「いいいや全然!ここら辺にはあまり来た事が無いので新鮮で! 」
「ふふ、ありがとうございます」
彼と彼女と僕の不幸なバッティングから長針が半周しない程の時が過ぎて、今。遂に来てしまった待ち合わせの時は、身構えていたのは何だったんだ?と言うレベルでつつがなく過ぎ去った。そのまま流れる様に店に入り、何とも華奢な装飾の椅子に腰を下ろす。
白と薄いピンク、ラベンダーが散りばめられた店内と、透明な蓋に覆われたなんか凄いケーキ。窓辺には花が活けられ、お客さんは若い女性だらけ。ザ・場違いだ。アウェイが過ぎる。余りの落ち着かなさにまごまごと座り直していると、気遣う様な声が僕に掛かった。
「ごめんなさい。こういうお店、苦手でしたか? 」
「苦手、では無いですけど。不慣れなもので、はは……」
何とか笑顔を浮かべて小鳥遊さんに向き直る。片方の髪をイヤリングの下がる耳にかけ、昨日よりちょっと濃いめの唇に何だか首回りに透け感?の有る服。所謂「大人っぽい」服装、と言うやつだろうか。あれ?朝会った時はそんなだったか?
「今の小鳥遊さん、何か違う……」
「えっ」
声に出して、後悔。ヤバい、明らかに黒紙案件だ。この短時間で二通は流石に辛い。慌てる僕を尻目に、彼女が下唇を噛み締めて俯く。
「へん、ですか……? 」
「い、いやいや!朝の感じも可愛かったけど今日は大人っぽいと言うか!似合ってます! 」
慌てて取り繕うも、そこはかとない墓穴を掘った感は拭えない。寧ろ逆に今の発言は輪を掛けて気持ち悪く無かっただろうか。だらだらと噴出する冷や汗に、知らず背筋が凍る。死ぬ、物理的に。これ以上フォローになり得る言葉も浮かばない、多分ポストにそう隙間も無い。最早これまでか。覚悟を決め掛けた僕の耳が、しかしぽつりと落ちた声を拾う。
「……嬉しい」
「は、え? 」
嬉しい?まさか。がばりと上げた視線の先で、染まる頰ひとつ。駄目だ、心臓に悪過ぎる。
「あの、麗海さんは……好きですか?こう言う服」
死ぬ。死んでしまう。今回は、精神的に。非モテの非リアにこれは酷だ。男子に向かって、女子がこの質問。これじゃあまるで、女子が男子に多少の好意を持ってるみたいじゃないか。いや、絶対無いけど。この場合どう答えればいいんだ?考えてはみるが、無論最適解になど行き当たりはしない。
「あ、あー。特別感があっていいなって思います!す、好きですよ! 」
しまった。自意識過剰、最悪だ。君は僕に気があるだろ?僕の前だから着飾ってくれたんだろ?って思ってそうな阿呆の返答だ。死にたい。
「よかった……!似合ってないんじゃ無いかって正直不安で。麗海さんがお好きなら、大丈夫ですよね」
「えっ」
僕が思い描いていたのは、勿論黒紙直行ルート。しかしながら、返ってきたのは予想の範疇から大いにぶっ飛んだ好感触だった。うそだろ、まじかよ。内心衝撃でバグりそうになりながらも、何とか言葉を続けて放り返す。
「あ、だ、大丈夫ですよ!本当!素敵です! 」
「えへへ……」
会話の中身うっすいな、と言う勿れ。ここに至るまでの過程で僕の心臓はスクラップ寸前だ。小鳥遊さんは今日の服が友達とかの前で着ていいタイプかどうか僕との約束ついでに確かめたんだ。そう言うことにしよう、うん。そう小鳥遊さんの返答に推測を立てて何とか精神を落ち着ける。よし、大丈夫。先ずはこれ以上の墓穴を掘らない内にこの話題から前へ進まねば。
「……? 」
話を進める見当を付けようとして、直ぐ。頭をフル回転させているはずの僕はあっさりと再び蹴つまずいた。……次の、話題。あれ、話題ってどう探すんだっけ。ウロといる時は確か話題が尽きなかったのに。ってまたウロ基準か。いや仕方ない、ウロ以外同年代っぽい知り合いいないもんな。
対面している小鳥遊さんに失礼だろう自己完結の堂々巡りを繰り返しながら、視線を動かし話題を探る。くそ、何か有れ。早くしないと気まずいじゃないか。焦燥ばかりが折り重なる僕の視線の先に、やっと引っかかるものが見つかった。机上の冊子。メニュー、これだ。
「わ、わあ!ここって結構色んなメニューが有るんですね。てっきりケーキ中心かと思ってました」
「びっくりですよね。夜はお酒もいただけるそうですよ」
「へえ! 」
やった、会話成立。後はメニューを二人で見つつ本題に入れば無問題だ。何とか乗り切った僕的な山場を乗り越え、ほっと一息。安心ついでに漏れた笑みに、彼女の綺羅綺羅しいそれが重なった。
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