山査子の 香に訪いを 知りにける




山査子の 香に訪いを 知りにける




 僕の言葉に、どうも、と平坦な声が応えた。声の主はどう見てもここのパティシエである乃慧琉さんで間違いない。僕たちのオーバーリアクションを意に介した様子の無い彼を改めて観察する。


 色素の薄いさっぱりとした短髪に白い調理服。腕まくりしたそれから覗くがっしりとした腕。眼鏡の奥の瞳は常と変わらず非常に静かだ。うん、通常運転。

「えっと、珍しいですね。乃慧琉さんが持って来て下さるなんて」

「樹慧琉が話ついでに持って行け、と」

「な、なるほど……」




 至って簡素な回答に頷くしかない。しかし、そう言えば。先程乃慧琉さんは事件に心当たりがあると言ってはいなかっただろうか。ウロもそこに思い至ったらしく、再度乃慧琉さんの眼前に詰め寄った。

「で、あんた。さっきの話は本当?スカ情報だったらただじゃ置かないわよ」

「それが人に物を尋ねる態度か」


 あんまりな尋問に思わず言葉が出るが、乃慧琉さんはまたもや意に介していない様だ。何だこの人、めっちゃ強い。

「自分も又聞きみたいなものなんで、詳細を知ってるわけではないですけど」


 じ、と切れ長の目が此方を捉えると、ぐぬ、とウロが押し黙った。さしもの彼女も乃慧琉さんの前では調子が崩れるらしい。感心する僕を他所に、乃慧琉さんは静かに言葉を紡ぎ始めた。




「麗海君の通っている大学前のマンションで、不審な落下物がよくあるって最近専らの噂です。何でも若い女性が通るときに集中していて、最近は落下物が悪戯の域を越えてどんどん酷くなってるとか。昨日なんてとうとう土の入った植木鉢が人めがけて落ちたって話ッスよ」

 あ、それ僕だ。若い女性じゃないけど。


「へえ。結構有力そうな情報じゃない、ケーキ職人」

「乃慧琉さんな。有難うございます、乃慧琉さん。多分僕たちが探してたのはその事件で間違いないです」

 僕の言葉に乃慧琉さんが軽く頷く。怪しんでもおかしくない質問だと思うが、深追いはしないでおいてくれる様だ。幽霊が見えるともしかしてこういった手合いにも慣れっこなのだろうか。


「……。あ、そうだ」

 呑気に考えを少しズレた方面へ飛ばしていると、徐に乃慧琉さんの目が見開かれた。そしてしばしの沈黙。ここに来て初めて出る乃慧琉さんにしては大きな反応に、軽く固まる。え、何だろう。やっぱり怪しかったとか?横目

でウロを見遣ると、僕と同じく固まっていた。いや、お前も固まるのかよ。これじゃ怪しさ全開じゃないか。アイコンタクトで訴えてみるが、汲み取る余裕が全く無いらしく一向に動かない。


 そんな僕たちの間に走る緊張に気が付いているのかいないのか、乃慧琉さんは手にしていたランチセットをそっとテーブルに置き、ふ、と息を吐いた。

「ランチ、忘れてました。温かいうちにどうぞ」

「あ、はい」

 セットを置ききって、一言。固まったままの僕たちを尻目にそのままさっと向きを変えて、厨房へ。


「……」

「…………」

「……そこ!?」

 ウロが空中で器用にずっこけた。乃慧琉さん、恐るべし。




 乃慧琉さんの背を見送り、気を取り直してパスタをつつく。春キャベツと烏賊のぺペロンチーノだ。キャベツの甘みと烏賊の風味が味付けと相まって非常に美味しい。


「ったく、無駄に緊張したわ……」

 パスタを味わっているらしいウロが疲れたように呟いた。ウロの前にはランチセットを少しずつ盛った取り皿を置いている。ちなみにお皿は乃慧琉さんが持って来てくれていたものだ。乃慧琉さんの抜かりなさ、プライスレス。


「まあ僕たちが早とちりしただけだけどな。」

 ウロに半分同意しつつ、残りのパスタに着手した。ああ、美味しい。

「にしても、よ!雰囲気ありすぎでしょ、あのケーキ職人」

「乃慧琉さん」

 一応名前で呼ぶよう促すが、受け入れる気はないらしい。ケーキ職人が、ケーキ職人、としきりにぶつくさやっている。


「でもほら、かなり進展があったじゃないか。マンションの落下物、十中八九野良関係だぞ」

 現場は野良黒紙の発見場所近くで、被害者側から犯人の特定が難しい手口。おまけに大怪我の危険性も高い。普通に考えてビンゴだ。


「そうだけど……。犯人が特定しづらいのには変わりないわ」

 難しい表情と共に言葉が返ってくる。ううん、確かに。

「落下物があるまでひたすら待機、って訳にも行かないしな」


 ターゲットが若い女性に多分絞られているらしい、という情報はあるが、該当する一般人に囮をして貰う訳にも行かないだろう。被害者が通るのを待つ、と言うのも正直気分が悪い。しかし僕や裏海さんは男だし、ウロに至っては不可視だ。


「うーん、進展したと思ったんだけどなあ」

「簡単に進展したら苦労しないわよ」

 これだから素人は、とでも言いた気な弁である。くそ、ぐうの音も出ない。




「さ!微妙な話題はこの際置いといて、メインディッシュと洒落込むわよ! 」

 止まってしまった会話をジェスチャーで脇に避け、ウロが手を叩く。どうやら食事に本腰を入れるつもりのようだ。

「いや、メインはパスタだろ。もう食べ終わっ」

「うるっさいわね!女のメインはデザートなのよ、デザート! 」


 覚えておきなさい!と指が突きつけられた。ちなみに指と違い目線は既に皿の上のタルトへと縫いつけられている。

「つくづく正直だなあ、君」

「正直で結構!それでスイーツにありつけるなら上々よ」


 そう言うが早いか、ウロはいそいそとタルトの攻略に取り掛かった。今日イチ生き生きしている、気がする。レイシはどうした。色気より食い気か。

「……ああ、そう言えば」

「ふぁい? 」

 タルトを口に入れた?ばかりだったらしいウロがもごもごと租借しながら顔を上げる。おお、リアル。普通に生きている人間が食べてるみたいだ。


「今日って元々本を買いに出かけただけだったんだよな、僕たち。そう考えるともの凄い脱線だと思わないか? 」

 僕の言葉に、ウロが頷いた。

「そうね。全くだわ、本当。どうしてカイと一緒だとこう次から次へと事が重なるのかしら。全部スムーズに済んだ試しがないじゃない」

 そう言いつつ、また一口。


「にしても、ほんっと美味しいわ。あのケーキ職人、岩みたいな癖にやるじゃない。こういう時ってあれでしょ?手を叩いてヘイ、ここのシェフを呼んでくれないか?ってやるんでしょ。テレビで見たわ」

「どんなの見たんだよ」


 大方ステレオタイプの映画か、それを捩ったネタでも見たのだろう。振りの大袈裟具合を見るに後者だろうか。何故か今のがお気に召したらしいウロが再度手を広げる。


「ヘイ、ここのシェフを呼んでくれないか! 」

「居ますけど」

「びゃっ!? 」

 乃慧琉さん、恐るべし。







「……すみません、驚かすつもりは無かったんですが」

 心持ち申し訳無さそうに見える表情で乃慧琉さんが言葉を続けた。いつの間に背後に居たのだろうか。全然気が付かなかった。

「あああんた本当にいい加減にしなさいよ!?心臓飛び出るかと思ったじゃない! 」

「あるんスか、心臓」

「気持ち的にはあるわよ!? 」


 余程驚いたのか、おばけドッキリでビビり散らしている芸人レベルの顔でウロが突っ込みを入れる。おばけなのはウロの方だけどな。 

「自分のタルトタタンを褒めて下さってたみたいで。有難うございます」

「見かけによらず超自由なのねあんた…。まあうん、美味しかったわよ。凄く」


 割と本気の突っ込みをこれまた意に介することなく、乃慧琉さんが会話を進め始めた。ウロはと言えばげっそりと諦めた様な面持ちだ。強い、強すぎる。しかし、普段あまり厨房から出てこない乃慧琉さんがまたテーブル付近に居るなんて、どうしたのだろう。


「あ、もしかしてうるさかったですか?ごめんなさい、静かに……」

「いえ。逢引き中失礼かとは思ったんですが、さっきの事件について思い出した事があったので」

「「逢引き!? 」」

 疑問に思って、数瞬。乃慧琉さんの口から淡々と紡がれた単語に、今度は二人揃って引っかかってしまった。これでは良くあるラブコメのワンシーンだ。非常に恥ずかしい。


「違いましたか。すみません、仲が良さそうだったもので。それで、本題ですけど」

「あ、はい」

 と思えば本題から大きく逸れた話題に動揺し切る間もなく、即ぐいぐいと話を引き戻される。ウロの言う通り、自由というかマイペース感が凄い。そんな僕の胸の内を知ってか知らずか、彼の口がまたしても淡々と開かれる。そして。


「落下物が落ちてくる日と時間帯。結構規則性があるらしいッス。平日は回数はまちまちで夜か早朝、休日は頻度が高くて今の所日のある内だとか。まあ、住んでる人から聞いた話で恐縮ですけど」

 そんな情報を残し、それじゃあ、とだけ言い残して乃慧琉さんは再び厨房へと引き返していった。まるで嵐だ。サイレント気味の。だが今の話のお陰で今度こそ事件が進展した気がする。幸い今日は休日だし、まだまだ日も高い。


「なあ、ウロ」

「行かないわよ」

 バッサリ。擬音を付けるならそんな感じで切り捨てられた。


「ええ!?何でだよ。折角凄く進展したのに! 」

「馬鹿!聞き込みだけって言ったでしょ!現場に突撃してどうすんのよ! 」

「あ」

 忘れてた。そんな間の抜けた考えが乗った僕の顔をウロが見逃す筈も無く、ギリギリと音が出そうな勢いで睨み付けられる。




「あ・ん・た・ねえ~!! 」

「ごめん、ごめんって!ついうっかり! 」

「うっかりで済んだら私らなんて要らないのよ! 」


 怒号と共に、机をひと叩き。勿論、すり抜けてめり込んだ。これがまたウロの逆鱗に触れたのか、彼女の顔は正に般若のそれと化している。

「わ、悪かったよ。行こうとか言わないから。な、ウロ」

「……ぜっっったいよ」

「はい……」


 ウロの剣幕にまさか逆らう訳にも行かず、内心しぶしぶながらも大人しく帰る支度を始める。後ろにはお前は縄張りを荒らされた猫か、とでも言いたくなる風情のウロ。


「絶対絶対現場に行かせないんだから…」

「そんなに威嚇しなくてももう行かないって。あそこまで分かれば後はウロと裏海さんで何とかできる、だろ? 」

「そう言う事!あいつと私の二段パンチを食らいたくなかったら大人しくしてる事ね」


 ふん!とウロが大きく顔を斜め上に逸らした。これも中々のオーバーリアクションだ。

「まあ今日の主な目的は読書…と読み書きの勉強だったし、帰ってそれでもやろうか」

「いいわね、決まりよ!そうと決まったら善は急げ!ささ、カイ。駆け足! 」

「切り替え早いな!?ああもう、待ってくれよ! 」


 このせっかち幽霊め。そんな言葉を何とか飲み込んで、僕は財布を手に会計へと急いだのであった。




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