蜘蛛の糸 手繰るを望む 霞草




蜘蛛の糸 手繰るを望む 霞草



「なあ、ウロ。今のって……」

 すっかり動かなくなった黒紙を掴む後姿に、僕は思わず話しかける。……返答は、ない。そんな彼女の反応とも呼べない振る舞いに、ウロにとってあれは見られたくない物だったのかも知れないな、とぼんやり考えた。実際もし先程の姿を初対面で見ていたら、僕は脱兎の如く逃げ出していただろう。正直想像に難くない。しかし僕は今逃げずにここに居て、ウロも去らずに留まっている。それが事実で、絶対だ。


 先程までの気安い関係を保つために、守るために。ここで話を逸らすのは簡単かも知れないし、踏み込めば薮蛇になる可能性すらあるかもしれない。でも、でも。ここで逸らしてしまえば、きっとウロは二度と本当の意味で僕と向き合ってはくれない。とも思う。それは嫌だと思うくらい、僕は既にウロとの付き合いを心地良いと感じていた。だから、僕は。ウロが傷ついてしまわないよう、言葉を選んで呼びかけることを選んだ。 


「……具合、悪くなったりしないのか?正直びっくりしたぞ」

 勇気を出して、一瞬。僕の言葉に、ウロがややあって振り返る。その顔や身体からは既に這い回る蟲の姿が消えて久しい。すっかり元通りになった顔の彼女が言葉を紡ぐのをじっと待っていると、ややあって口が歪に動いた。


「変な奴ね、あんた。気持ち悪くなかった訳? 」

 ぶすりと、言葉で一刺し。皮肉気な言い方をしているが、表情がそれに釣り合っていない。僕を態と遠ざけようとして失敗しているだろうウロの表情に、つくづく正直だな、と若干場違いな感想が過ぎる。


「量には驚いたけどさ、モノ自体は初日にも見てたし。それに多分黒紙を何とかする為にああいうのが出てるんだろ? なら気にするだけ損ってやつだ。と思うぞ、僕は」

 えっへん。彼女の精一杯だろう虚勢に、僕はこれ見よがしに胸を張ってやった。蟲がちょろっと出たくらいで、ウロの性格が変わっているでもなし。そう考えれば、見た目のインパクト程気にすることもない。そんな思いを、多分に込めて。伝われ、伝われ。止めに視線にも思いをあらん限りに乗せて、しっかりとウロを見つめる。帰ってくる視線と、見詰め合うこと、少し。



「ほんっと、変な奴。」

「! 」

 僕の考えがウロに正しく伝わったのか、ふっと場の空気が軽くなった。よし、やったぞ僕。この分だと、もう普通に話をしても大丈夫だろう。正直何とも肝が冷えたが、結果オーライだ。


「君が言うかな、それ。……あと、その黒紙。何なのか位は聞いていいか? 」

 ウロと普通に話せて、正直嬉しい。そんな気持ちをひた隠しにしつつ、僕は平静を装って微動だにしない黒紙を指差して問うた。先程のウネウネ具合は相当なものだったし、何よりポストから逸れているものなど見るのは初めてだ。


「前に言ったでしょ、野良黒紙って。今回のがそれよ」

 僕の質問に答えて、大人しくなったそれをぴら、と一振り。野良黒紙。昨日雑用の説明を受けた時に聞いたような、聞いてないような。僕の記憶が曖昧な事に目ざとく気が付いたらしいウロが、はーっとオーバーリアクションで応える。このちょっと腹立つジェスチャー、何気に久しぶりだ。


「ったく話を全っ然聞いてないのね。見ての通り、宛先に届かないまま落っこちてる黒紙よ。放置しておくと結構ヤバいタイプだから、発見したら即回収」

「……黒紙ってどうやってでも相手に届く物じゃなかったか? そう説明された気がするんだけど」

 先の説明と矛盾するような説明に、すかさず突っ込みを入れる。どこにいるのかかなり詳細にバレると昨日ウロ自身から聞かされたのだ。この矛盾は非常に看過し難い。

「あー、そこは覚えてるのね。でもそれは誰を恨めばいいのか差出人が分かってる時に限るの。野良はそこが分かってないタイプの恨みよ」


 僕の指摘に、げえ、と黒紙の味に顔を顰めながら返しの一言。なるほど、宛先が分からないものか。確か本人が分かっていないのなら黒紙も届きようがない。さしもの僕も、その説明で一旦は納得しかけた。……しかし、だ。

「でもそれっておかしくないか? 黒紙を出すくらい恨んでるのに、相手が分からないなんてさ」

 多大な被害を被っただろう相手を、覚えていないだなんて。どう考えてもおかしい。そう思っての僕の再びの質問に、今度はウロが僕へ質問を返す形で言葉を放り投げた。


「じゃあ聞くけど、あんた物陰から銃で撃たれたら正確に犯人を恨める自信ある? 」

 問い返されて一瞬面食らうも、返されたそれを真面目に考えてみる。狙撃、しかも物陰からか。よほどのヘマを犯人がしない限り、僕の方からは多分姿すら拝めないだろう。……。

「ないな、絶対無理」

「そう言う事よ」

「な、成程なあ……」


 うわあ、実に分かりやすい。地獄の追尾機能にそんな欠点があったとは、正に目から鱗だ。

「味からすると誰かに大怪我させられたみたいだけど、きっと犯人を見てないのね。どうしようもない怒りをすっごく感じるわ」

 顰めた顔をそのままに、ウロが続ける。大怪我、とは実に物騒だ。


「……それは放って置けないな。状況的に犯人はのうのうと逃げおおせてるんだろうし」

「そこもだけど、一番怖いのは『宛先探し』よ」

「宛先探し? 」


 あてさき、さがし。会話の中へ急に割り込んできた聞きなれないフレーズに、思わず首をかしげる。僕の反応はウロの想定内だったらしく、今度は直ぐに説明が入った。


「さっきの黒紙がしてた動き、変だったでしょ? あれが『宛先探し』が始まる直前の状態なの。宛先探しって言うのは……そうね、黒紙が自分の意思で動き始める、というか。簡単に言うと黒紙自体が独立してどいつに投函されればいいのか探し始めるのよ。差出人の意思に関係なくね」

「それであんなにウネウネしてたのか。」


 先程の尋常ではない動きは、ウロの言葉を借りれば差し詰め宛先探しの準備運動といったところだろう。まるで無理やりに生命でも吹き込まれたかの様な不気味な動きを思い出し、思わず身震いする。



「結果ちゃんと恨むべき人間に入り込むならいいんだけど。ああなった黒紙って結構せっかちらしくて、切羽詰ると誰彼構わず入るのよね。行き場を無くして凶暴化してるのも多いから、入られたら絶対大きな不幸に見舞われると言っていいわ。間違われた方はとんだとばっちりって訳。いくらカイでもコレクションしたくない代物でしょ? そんなの」

「人を黒紙コレクターみたいに言うなよ」


 突っ込むと、クスクスと笑いが漏れた。何とも不謹慎際まりないと思うのだが、最後のはウロなりの黒紙ギャクだったらしい。微妙なところでボケを挟むなと言う意をこめて眉を寄せつつ、会話を続ける。


「と、言うかさ。話を聞く限り今のってウロ的には見過ごせないんじゃないか? もし通り魔的に怪我させてる様な奴が近場にいるんだとしたら、ここらで野良が無限に増え続けるぞ」

「そうなのよね、でも一通だけじゃ何とも言えないし」


 気安い雰囲気から、一転。僕の言葉にウロが考え込むような素振りを見せた。先程の慌てようからして、野良に入られるとかなり悲惨な事になるのは間違いない。僕はウロが付いていたから何とかなったけど、この人通りの多い場所に野良がウロチョロしていたら結構な人数がとばっちりを受けてしまうのでは無いだろうか。だとしたら、この町の一大事と言っても良い。ここは駄目元で参加交渉を試みるべきだろう。善は急げと早速ウロに直談判を試みる。


「……なあ、ウロ。やっぱり僕が手伝うわけには……」

「私の話聞いてた? 」

 残念、一刀両断。彼女は想定以上に僕を巻き込みたくないようだ。しかしここで引けば僕は道行く人を全て見捨てたような心持ちになってしまう。それはかなり嫌だ。だからせめて、泣きのもう一押し。


「危なそうなら即引っ込むから! せめて変な事が無いか話を聞くとか、そういうのだけでも」

「……」

 らしくない僕の食い下がりにあしらいそびれたらしいウロが、今度は長めの沈黙を場に落とす。もしかすると耐えかねた僕がもういいと言うのを狙う作戦に切り変えたのかも知れないが、僕だって今回ばかりは引けない。ここまで僕に教えたのはウロなのだ。責任を取って巻き込んで貰わないと困る。


「ウロ」

 もう一度、次はしっかりと目を合わせて呼びかける。すると、ウロの目がわずかに泳いだ。

「頼むよ、見て見ぬ振りなんてできない。このままじゃ勝手に始めるぞ、僕」

「……はあ」



 見詰め合って、否、にらみ合って、暫く。沈黙を破ったのは、じとりとした目のウロが吐いた大きな溜息だった。……これは勝った、のだろうか。期待半分疑問半分で視線を返した僕に、彼女の視線が改めて差し込まれる。


「ったく、あんたが野良と出会ったのが運の尽きよね。なんでこう変なのばかり引き当てるんだか」

「!! 」

「聞き込みだけよ。あと、聞く人間もよく選ぶこと!いかにもな不審者に声掛けたら全力で呪うから」

「って事は」

「あそこまで聞いたらあんたはこうなるって気付かなかった私の負け。仕方ないから参加させてあげるわ。ただし! 私といる時だけね」

「それで充分だ、ありがとう! 」


 事実上の、ウロの根負け宣言。それを勝ち取れた喜びに、僕は思わずウロの手を取るように大きく動いた。が、彼女の手を掴もうとしても実体の無いそこを通る手は当然空を切るに決まっているわけで。


「うわ、冷た。」

「あんた私が幽霊って忘れてない?」


 何とか参入を勝ち取った僕に贈られる副賞は、結局彼女の冷たい視線と相成ったのだった。








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