日溜まりに 真黒い影の 弟切草




日溜まりに 真黒い影の 弟切草




 所変わって、大学構内の図書館。教育学部が有名なお陰か、館内のスペースをふんだんに使用した教材コーナーがすぐに見つかった。若干圧倒される品揃えだ。指導法が印字された教員用ワークの列の下あたりがドリル系コーナーのようで、こちらも勿論結構な数が揃っている。


「わあ、ドリル? って沢山あるのね。ぜーんぶ読み書き用? 」

「いや、読み書き……国語はこっからここまで。ここからは算数。で、理科、社会……。わ、もう英語のも入ってるんだな」

 流石教育学部御用達。そう続けつつ1つ手に取ってみる。ひらがなカタカナドリル、入学準備向け。このあたりで良いだろう。


「ねえカイ、これ携帯の絵があるわ。何で? 」

「ああ、これか。へえ! 凄いぞウロ。勉強用のアプリだってさ」

「ええ、何それ! そんなのある訳? 」

「みたいだな。しかも無料だぞ」


 勉強用の、スマホアプリ。僕の時代じゃ考えられなかった代物だ。帰ったら見てみるか。そんな事を呑気に考えながら、手早く貸出手続きを済ませ帰路につく。……が、何か物足りない気がして僕はふと足を止めた。何だろう。このこれじゃない感。



「? どうかした? 」

「いや、何でもないよ」

「ふーん……? 」

 足を止めてしまったのが気にかかったのか、ウロが不思議そうに僕の顔を覗き込む。うーん、平和だな。そう思い浮かべて、一瞬。これじゃない感をぶち抜いてぐわりと首を擡げた違和感に、僕は思わず言葉を溢した。


「……待てよ。平和? 」

 平和。平穏、ピースフル。こんなものは、昨日の使い走りでは終ぞ湧かなかった感情だ。やはり何かおかしい。モヤモヤすると言うか、何かが歯抜けになっている、と言うか。考え込む僕の頭上に、やはり不思議そうな顔をしたウロがすい、と移動した。そして、僕へ一言。


「本当どうしたの? ぼーっとしてさ。ああ、分かった! 黒紙でしょ。さっきの分貰ってなかったものね、そう言えば」

 言うが早いか、ウロが思い出したようについと身を乗り出して頭上に手をかざした。ああ、さっきの音読分で一つ処理してくれるのか。今に限っては的外れだけど、食べてもらえるならまあ良いか。……。…………。


「ああ、有難う……それだ!? 」

「え!? 」

 それだよ、ウロ!それ!そう続いた急な僕の大声に、いただきますと言いかけていただろうウロの動きがびくりと止まる。


 そうだ、黒紙。昨日一昨日とあんなに話題に上がっていたそれが今日は会話で全く触れられていなかった。これをおかしいと感じていたのだ、僕は。昨日まで会話の内容は大部分が黒紙がらみと言っても良かった。それなのに今日は単語すら上がっていないなど違和感の塊と言って良い。ここは聞いておくべきだろう。固まったままのウロに向き直り、何にも無い風を装って質問を投げかけてみる。カマかけ、と言う訳ではないが一応だ。



「なあウロ、今日は黒紙追跡とかしなくていいのか? 」

「えっ」

 話しかけて、黒紙を話題に引きずり出したその瞬間。びくっ、と今度はウロの肩が跳ねた。たまたま触れていなかったのか、それとも態と逸らしていたのか。正直半々だと思っていたのだが、答えはこの分だと後者で間違いなさそうだ。


「えっと、その、ほら! カイ、毎日アレとかあんたも嫌でしょ? だ、だから今日は休憩、というか……」

 僕の追及とも呼べないへなちょこの話題振りにさえあからさまに泳いでいる目に、取り繕うようにつらつらと続く言葉。嘘つくのド下手だな。正直か。しかしこの嘘の吐けなさは、此方にとって好都合だ。黒紙の話題を意図的に逸らしていた理由のしっぽが何か掴めるかもと言う下心も込めて、もう少しウロをつついてみる。


「いや、そんなの今更だろ? そもそも昨日みたいな厄介なのにはそう出くわさないってウロが言ってたんじゃないか。軽い感じのなら別に大丈夫だよ」

 念押しの如く人助けにもなるしさ、と敢えてライトな口調で続けてみるが、ウロは何やら難しい顔で固まってしまった。しまった、これは誘導失敗か。……しかしおかしいな、夜別れた時はこんな扱いじゃなかった筈だ。それとなく今日の回収を匂わせていたし。


 そんな事をつらつらと脳内で組み立てていると、不意に目前のウロが動いた。悩むように逸らした眼に、もじもじと後ろで組まれる両手。そして、極めつけのへの字口。これはもしかして、観念してくれたのだろうか。そんな期待を抱く僕の前で、ウロがようやっと口を開いた。



「えっとね、カイ。実は私あれからまあまあ絞られたのよ。あまり一般人を巻き込むな、的な……」

「え? 」

 言葉を探す様に紡がれた言葉に、少なからず意表を突かれる。が、絞ったであろう人物にはすぐ思い当たった。


「それって……裏海さんに、か? 」

 僕の問いかけに、コクン、とウロの首が縦に動く。ああ、やっぱり。大方昨日言っていた僕への「例の」言伝もきっと同じような内容だったのだろう。結局聞いてないけど。意外にも、と言うと失礼かも知れないが、割と常識人な内容だ。


「私達の仕事に、馬鹿やった訳でもない一般人を巻き込んで何かあったらどうするんだ、って。……今回ばかりは私もアイツと同意見なの。あんたを危ない目に遭わせたくない」

 だって、死んで欲しくないもの。続けざまにそう言うと、ウロはしおらしく顔を伏せてしまった。すっかり離散してしまった気安い雰囲気に、何とか戻らないものかと話題を手繰り寄せる。

「オーケー。分かったよ、ウロ。じゃあ今日は勉強だけにしておこう。ほら、早く取り掛かれば読めるようになるのもすぐだぞ、な? 」

「うん、ありがと」


 承諾の返事と少し強引な話題転換でウロの顔に笑顔が浮かんだのを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。さて、そうと決まれば早速帰宅だ。家の方向に目を向けると、不意に地面に落ちている何かが目に入った。


「ん? 」

 何だ、あれ。地面に落ちた、大きめの物体。嫌に気になってしまったそれを、目を凝らしてよく見てみる。……黒い、便箋。黒紙そっくりだ。どうしてあんなところに?よけた方がいいんじゃないか?取ろう、取らないと、絶対取るんだ。死んでも、取る。取る。取る。取る。強迫観念にも似た思いに突き動かされ歩を進めた、刹那。

「カイ、駄目!触らないで! 」



 ウロの声に我に返り、僕は拾う直前でぐっと踏みとどまった。なんで、どうして。どうしてこんな見るからに物騒な物を拾おうとしてしまったのだろう?自分を突き動かしたわけのわからない衝動への恐怖に心臓が暴れるように鳴り、次いでとんでもないことを仕出かしかけたような感覚に襲われる。そのまま訳も分からず立ち尽くしていると、程無くして黒いそれがウネウネと形を変え始めた。


「うわ、何だこれ。気持ち悪い……! 」

 うねうね、ぐねぐね。自分の理解を遥かに超えた気味の悪い物体の挙動に、思わず後ずさる。その動きは、禍々しさは、昨日の犯人から出てきたそれの比ではない。例えるなら、まるで怪談話に出てくる『呪いを具現化したモノ』のようだ。一度でも見たり触れたりすれば、ただでは済まない類のモノ。


「カイ、離れてなさい! 絶対よ! 」

 あまりの事に固まった身体を動かせない僕の背に、ウロの鋭い声が届く。彼女の必死の警告に是と答える間もなく、ウロが「それ」へ飛びついた。



「おい、待てよウロ! いくら君でも……! 」


 あぶないぞ。思わず口を突いて出た言葉が、直後に飛び込んできた光景に半端なまま消える。僕の視界いっぱいに広がった、ウロの身体を這う無数の蟲、蟲、蟲。あまりの光景に叫び出しそうになるのを必死で堪え、僕はいまだに増え続けるそれの出所を必死で探った。もし黒紙から出ているのだとしたらウロが危ない。一体、どこから出てるんだ?蟲の這う方向を捉えて、見る事幾許か。


 黒紙、違う。地面、でもない。――この方向は、まさか。



「ウロから、出てる? 」







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