甘き日に 花弁震るや 花水木
甘き日に 花弁震るや 花水木
「はあ……」
店を出て、幾度目かの溜息。あの後結局日取り決めに、という事でLIMEまで交換してしまった。僕が、女の子と。つい先日まで考えられなかった事だ。本当に一体何が起こっていると言うのだろう。もしかして色々ありすぎて逆に運でも向いてきているのだろうか。
「……あんた、さっきから溜息ばっか。何よちょっと話し込んだからって」
あまりにあんまりな異常事態に悶々と理屈を探していると、頭上からウロの不機嫌そうな声が掛かった。当たり前か、目当ての小説を前に結構なお預けを食らっていたのだから。しかし不慣れなりに会話を切り上げて帰路についているのだ。少しの溜息くらい大目に見てほしい。
「仕方ないだろ、女の子とあんなに話すなんて初めてだったんだから。ああいうのは不慣れなんだよ」
「……」
返答が無い。ただの怨霊のようだ。これは本格的に機嫌が悪いのだろうか。おふざけ思考を早々に切り上げて、件の怨霊もといウロの表情を伺うべく顔を上げる。
「あっ馬鹿! 見るんじゃないわよ! 」
慌てて手を突き出してくるも、時既に遅し。というか突き出しすぎて僕の体にめり込んでしまっている。これでは意味が無いのではなかろうか。
「いや見るだろ、今の流れだと。うわ、このめり込み方バグみたいだな」
策士、策に溺れたり。いや、策も何も只の目隠し失敗だけど。彼女の防御が華麗に空ぶったのを良い事に、構わず顔を覗き込む。あれ、機嫌が悪いと言うよりはへこんでいるような顔だ。はて、今までの流れでそうなる要素があっただろうか。
「ウロ、どうかしたのか? 元気ないぞ」
「な、何でも無いわよ! ただ……」
「? 」
ウロにしては珍しく歯切れが悪い。……正直思い当たる節は無いが、僕が目を離しているうちに何かあったのかも知れない。それに僕が気が付かなくてこうなった。うん、有り得る。万一のことを考えて、ウロを刺激しないよう何でもない風にもう一度口を開く。
「ただ……何だよ? 」
「わたしは……私は女の子じゃ、ないのかなって……」
「え? 」
彼女の何とも掴めない回答に、思わず間抜けな声が出た。ウロが女の子なのは当然のことだ。それを何故今更。ウロが女の子でなければ僕はキスひとつであんなに慌てたりしないし、初対面でかわいいだの何だの思わないに決まっている。
「いや、女の子だろ? まさか今流行の男の娘とか」
「そんな訳無いでしょ! だって今アンタ女の子とあんなに話すの初めてって言ってたじゃない」
わたしだって、たくさん喋ってるのに。そう言われて初めて、気が付いた。僕、かつてないくらい女の子と喋ってたのか。幽霊だからか出会い方がぶっ飛びすぎていたからか、無意識のうちに会話をノーカンにしてしまっていたらしい。
「そっか。小鳥遊さんとよりよっぽど長く喋ってるよな、僕たち。ごめんごめん」
成程、そこが今回の引っかかりに繋がっていた訳だ。女の子の心、難しい。規格外の出会いが原因といえど流石にノーカン扱いは失礼だったか、という事でさしもの僕も直ぐに謝る。真面目に謝ったら朝の比ではない位会話に支障が出る気しかしないので少々軽めに為ってしまったのはご愛嬌だ。
ウロの方も強く糾弾するつもりが無かったのか、特に機嫌を悪くすることも無くすい、と体勢を変えた。彼女なりの仕切りなおし、という所だろう。
「分かったなら良し! 今日は見逃してあげる。ね、早く帰りましょ! すぐにでも中身が知りたいわ! 」
切り替えを直ぐに済ませてくれたらしい彼女が、僕の手にある本を指して興奮気味にまくし立てる。ははあ、これは相当楽しみにしてるんだな。
「わかったから。ったく本は逃げないぞ? 落ち着けって」
「~逃げないけど! 待ちきれないんだもの! 」
やれやれ、これは帰ってからも骨が折れそうだ。そんな思いを胸に、僕は改めて帰路を急ぐ事にしたのだった。
「ただいまー」
「お帰り! さ、読みましょ! 」
僕の日常らしからぬ騒がしい外出から、少し。帰って早々ウロは窓辺を陣取った。本を読むなら窓辺がセオリーでしょ!との弁だが、一体何処経由で仕入れた知識なのだろうか。そろそろウロの情報源が心配になってきた。
「OK。で、どうすればいい? 僕の役目って、あとはページ捲り要因くらいだろ? 」
手始めに、とりあえず問う。体勢とかはどうするんだろう、僕が普通に捲るのを覗き込むのでは体勢的にウロの方がキツい気がする。幽霊が筋肉痛やらになればの話だが。
「あの、ね、カイ。後出しになって悪いんだけど、その……」
意外や意外、ここに来て僕の軽い質問に息巻いていた筈のウロが言い淀む。これはもしかして少し厄介な要求でもあるのだろうか。しかし、どのあたりに?後は本を読むだけだ、そんなに難しいことでもないだろうに。
「実は私、字が読めない、って言うか……」
「え? 」
じが、よめない。確かにそれは大問題だ。もしかして識字率が低い時代の幽霊だったりするのだろうか。僕のそんな呑気な考察は、次の爆弾発言によって彼方へと吹っ飛んだ。
「だから、読んで欲しいのよ、カイに。所謂音読ってやつで」
「は!? 」
音読。恋愛小説を。僕が。
「はあああああ!? 」
「ううっ。そ、そんなに大声出さなくてもいいじゃない! 」
「いや出すわ!! 」
間髪入れず、思わず叫ぶ。買出しとは段違いの苦行に叫ばないほうがおかしい。マジか、マジなのか。
「なあ……やらなきゃ駄目か?どうしても? 」
僕は思わず綴るようにウロへ問いかけた。しかし悲しいかな、状況を打破する方法は音読意外に有り得ない。
「カイ、おねがい……」
ウロもウロで必死らしく、こちらを綴るように見つめている。いや、綴りあってどうするんだよ。
「…………」
二人にとって引くに引けない状況に、しばしの沈黙。しかし、今度は何とか僕の方が早く立ち直った。そして折れた。
「小さい、声でだからな。よく聞いててくれよ」
途端、ウロの顔がぱあっと華やいだ。うん、偉いぞ僕。あとは心を無にして音読するだけだ。それだけ、それだけの事。大した事無い。何とか言い聞かせて本を手に取った。
「よし、じゃあ読むぞ」
意を決してページを捲る。途端飛び込んできた恋愛っぽさ全開の文字列。
「ぐっ!? 」
「何!? どうしたのよ! そんなに凄いの? 」
「う……っ、なん、でも、ない。読むぞ。……『恋とか、愛だとか。そんなのまやかしの硝子細工だって思ってた。あなたに、逢うまでは。あなたか好き。私の世界が、変わってしまう位。変わる世界を、望む程に』」
初っ端に書かれていたのは主役らしい女の子の台詞。つまり、女の子言葉だ。試合開始直後の全力ボディブローくらいの体感ダメージ。これはヤバ過ぎる。
「うん、うんうん! 」
大ダメージを負った僕とは逆に出だしで心を大層掴まれたらしいウロは、僕の不振な様子もなんのそので続きを促すように身を乗り出した。ふわりと僕の前に髪の毛が舞う。朝のひと悶着はウロのなかでさっさと消化されきってしまったのか何なのか、この至近距離でも動揺する素振りはゼロだ。何だよ、さっきまで女の子がどうとか言ってた癖に。
「はあ……。『三月二十九日、雨。春の陽気を含んだ雨は、存外やさしく降り注いでいた。何の変哲もない広場。そこで過ごす何度目かの春。そんなありふれた日常に降ってきた一つの非日常。それがきっと私にとっての彼で、彼にとっての私だったのだと思う』――」
読み進めること数十分。何とか第一章を読み終えた頃には、僕の体力はもはや風前の灯も等しかった。物語を要約するとこうだ。繰り返す日常を嫌いつつも色々諦めていた主人公『レイシ』が、通い慣れた広場でひとりの青年と出会う。お互い印象の良くなかった二人だが、いつしか共に過ごす時間がかけがえのないものになり……。
言っては何だが今のところセオリーど真ん中で風変わりなところは見当たらない。王道さがウケているのか、はたまたどんでん返しありきか。しかし少なくともウロはさわりからがっつり心を掴まれたようで、聞き終えてなおずっと物語を反芻するように目を閉じている。悪霊スマイルが影を潜めている今なら若干恋する乙女に見えなくもない。
「ありがと、カイ。すっごく良かったわ! これがムネキュンってやつ? 」
「……かもなあ」
未知なタイプの疲労が凄まじいが、ウロがご満悦なようで何よりだ。でももう二度とやりたくない。正直寿命で死ぬ前に恥ずか死にそうである。よし、次は逃げよう。絶対に。
「疲れちゃった? ごめんね、カイ。うーん、物が触れれば水くらいは持って来れるのに。…ね、やっぱりダメそう? それなら無理には……」
「……」
物語の世界から帰ってきて僕のぐったり振りが流石に気になったのか、しょんぼりとした様子で話しかけてくるウロに決意が早速大きく揺らいだ。くそ、僕も大概現金だな。こうなってしまってはもう降りることなど無理と言うものだ。諦め半分、庇護欲半分。そんな気分で、ウロに言葉を投げかける。
「大丈夫。毎日……はキツいけど。週1くらいならできると思うよ。」
「ほんとう?」
そう言う僕にウロはぱっと笑って、嬉しそうに僕の周りを1周した。ゆらゆらと進む彼女の髪が、スカートと共にふうわりと揺れて僕の視界を掠める。嬉しいと体が動く性質なのかも知れない。ちょっと可愛いかも、と過ぎった感想を角に追いやり、朗読中に考えついた手を打ってみるべく口を開く。
「それでさ、週1になっちゃう代わりと言っては何なんだけど。空いた日は僕と読み書きを勉強してみないか? 自分でも読めるようになったら便利だろ、色々」
「ベンキョウ? 」
「そう。自分で読めるって楽しいぞ。僕が音読するよりずっと沢山読める様になるし」
ウロにとってこの提案は予想外だったのか、つり気味な紫が大きく見開かれた。簡単では無いだろうが教材なら図書館やそれこそ本屋にあるし、音読と言う名の公開処刑に比べれば教える方が僕からすれば苦ではない。乗ってくれればかなり気が楽なのだが、さてどうだろう。
「いいの? やりたい、やりたい! 」
これは僥倖、どうやら乗り気になってくれたらしい。本屋についた辺りと同じテンションだ。
「ねえ、ベンキョウしたら雑誌も読める? 」
「うーん、大体はいけるんじゃないか? 読み仮名がふってあれば割とすぐ読めるかも」
僕にとって嬉しい方向に転がった話をすかさず進める。そうだ、読み仮名。我ながら良い所に気がついた。
孤独のレイシも幸い全ての漢字にふってあるタイプだし、これは予想以上に音読刑が短くなるかも知れない。
「そうと決まれば行動あるのみだな。ウロ、図書館に行こう。ドリルとかあると読めるまでが早いぞ」
「オッケー! 」
よし、順調。僕の人生史上一番上手い誘導だ。今日は何だか運が良い。気がする。常になく上向いた気分を胸に、僕は本日二度目の外出と洒落込んだ。
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