微睡を 知りて揺れにし 白躑躅




微睡を 知りて揺れにし 白躑躅




「お早う、カイ! あら関心ね、ちゃあんと起きてるじゃない! 」

「……これが「ちゃあんと起きてる」にカテゴライズされる状態に見えるのか? 」


 衝撃の幕切れから、一夜。一睡も出来なかった重い目を向け、諸悪の根源に毒づく。今までとはまた大きく違うベクトルで中々憂鬱な朝である。

「ぜんっぜん見えないわね! 何よそのクマ! マンガみたいじゃない! 」

 そう笑うウロの方に気にしている様子は微塵も無いが、昨日の「頬に冷たい空気事件」は大きく僕の平常心を乱していた。だってあれは。見間違いで無いならば、あれは。


「何? もしかして昨日のでそうなっちゃったの?たかがほっぺにキ」

「うわーーーーーっ!! 」

 何のことは無い、とでも言うように紡がれかけた言葉を、みっともなく大声を張り上げて慌てて遮る。やめろ、こっちはそういうのに全く慣れてないんだぞ!そんな間抜けな僕の様子がいたくお気に召したのか、ウロは機嫌よさそうにひと回りしたかと思うと、更にずいと距離を詰めた。くそ、昨日はこれくらい平気だったのに。



「あっれー? どうしたのかしら? やっと私の魅力に気が付いた? 」

 くそ、ニヤニヤと得意気な顔が何とも腹立たしい。

「うるさいな! そ、そう言うウロはどういう気持ちでああしたんだよ! 少なくとも僕が嫌いだったら、で、できないだろ! 」

 格好悪いながらも、何とか苦し紛れに言い返す。ウロにダメージは与えられないだろうが、何も言わないよりはマシだ。主に僕の気分が。


「そ、れは……」

 どうせ効き目など有りはしない。そう高を括って放った負け惜しみ。しかし僕の見立てとは違い、それを受け取ったウロが想定外に言葉に詰まった。斜め下を見て、きゅっと口を結ぶ。ハの字の眉は何とも恥ずかしげだ。あれ?これでは、まるで。

「ウロ、まさか照れてるのか? 」

 途端かあっと染まる頬。嘘だろ、図星かよ。と言うか幽霊も頬が染まるのか。


 女子にそんな反応を終ぞされた事の無い僕には刺激が強すて、遂にはこちらまで赤面してしまった。そして朝っぱらから何ともこっ恥ずかしい空間と化した部屋をどうにかできるスキルが勿論僕に有る訳も無く、ただただむず痒い時間だけが過ぎていく。本当、何だこれ。どうしてこうなった。



「あ、あのね、今日! やりたい事があるの! 雑用! 」

 そんな沈黙を、素っ頓狂な大声で破ったのはウロだ。声は上ずっているが、立ち直りが僕より早かったらしい。

「やりたい事? 」

 話しかけられたことで僕のほうも何とか言葉が出た。情けない、と言う言葉は受け付けないので悪しからず。



「そう。私一人じゃ無理だから、アンタに手伝ってもらおうと思って」

「まあ、いいけど。どんな事なんだ?街の散策か?あと食事とか」

「それも魅力的だけど、今日は別件よ。家でできるわ。むしろ家のほうがいいかも」

 気を取り直して昨日の反応を見て推測した候補を論うも、どうやら全て違うようだ。家で済む用事か、一体何だろう。化粧…は物理的に無理だし、ゲームも料理も同じ理由でまず却下。


「うーん。駄目だ、分からない。一体何だ?教えてくれよ」

「ふふ、よくぞ聞いてくれたわね! 」

「いや、聞くしかないだろ」

「今日私がやりたい事……。それはズバリ、読書よ! 」

「読書? 」

 はて、読書。読書とはまた予想斜め上の変化球だ。そんな僕の表情を見てか、ウロが待ってましたと言わんばかりに意気揚々と話し出す。


「昨日街をあんたとブラついたでしょ。その時女の子が話してたのよ、今超来てる小説があるって! 」

「小説、小説なあ……」

 探せば図書館辺りが仕入れているかもしれない。無ければ……まあその位は買ってもいいか。しかしジャンルは何だろう。万一コッテコテの恋愛小説だったりしたらカウンターに持って行ける自信が無い。確か最近巷で流行りの海外小説があった筈だ。あと猫関連も何冊か。頼む、その辺であってくれ。そんな思いを込めて、ここで質問を一匙。


「……タイトル、聞いていいか? 」

「『孤独のレイシ』って言ってたわ。ヒロインと恋人がすっごい切なくて超泣けるらしいの! ね、ね、いいでしょ? いいわよね! 男に二言は? 」

「ありません……」

 からの、撃沈。危惧した展開の上即逃げ道を塞がれた。あれおかしいな、デジャヴが凄い。



 かくして僕は、常になく重い足取りで本を探しに行く羽目になったのだった。







 突然だが僕は本が好きだ。図書館は勿論足しげく通っているし、本屋でもかなり小説を買う。つまり、どちらの人にも顔が割れていると言って良い。カウンターで「好みだと思う」と新刊をお勧めされたくらいだ、割と色々覚えられている方なのだろう。


 そこで恋愛小説を借りるか買うかしろと言う罰ゲームのしんどさ、お分かり頂けるだろうか。最早罰ゲームというより拷問に近い。一生モテそうにない僕が、恋愛小説。しかも多分キラキラしたやつ。こんな拷問有っていいのだろうか。いや、よくない。絶対に。


「ほら、早く行きましょ! なくなっちゃうわ! 」

「本は逃げないよ、ウロ。入る前にちょっと心の準備を」

「逃げるし無くなるわよ! 誰かが買っちゃってたらどうするの! 」



 不毛な考察をつらつらとしている内に辿り着いたのは、図書館ではなく本屋の前。図書館、と言う選択肢を結局最初から除外したのは、電話を持ってウロと会話することで「お使いさせられた男感」を出す、という手が図書館では使えないと気付いたからだ。そこ、ダサいとか言うな。

「あーもう分かった分かった、財布出すから待ってて」

「急いで、超特急! 」


 横の怨霊に急かされつつ、しぶしぶ本屋に足を踏み入れる。すると、恋愛小説コーナーを探すまでもなく目的の小説が特設コーナーに陳列されているのが目に入った。今来てる、というのはどうやら本当らしい。

「ウロ、あれだ」

「え、どれ!? 」

 あれだ、と言う言葉に反応した筈のウロはと言えば、何故かキョロキョロと見当違いな所を探している。いや、あるだろ。目の前に。



「これだよ。へえ、映画化するんだ。……なあ、これ映画見ればよくないか? 」

「よくない! こういうのこそカツジで読むべし! って言うじゃない! 」

 いや、聞いたこと無いけど。僕のささやかな抵抗は空しくも一蹴された。これ以上の抵抗は無駄だと悟り、僕もやっとこさ潔く小説を手に取った。

「OK、じゃあ行こうか」

「待って! 一番上よりちょっと下の取った方がいいんじゃない? 」

「君、意外と細かいなあ……」


 仕方ないので二番目に積まれていたそれに手を伸ばす。…瞬間、誰かの手が触れた。ヤバい、まさかポスト案件か?未だ分からない事ではあるが、条件反射的に謝罪が口を衝く。

「うわ! すみません! 」

「い、いえこちらこそ……あ! 」

 あれ、何か思って他のと違う。違和感を覚えるほどに嫌悪感の無い声に思わず顔を向けると、見知った顔が目に入った。

「あれ、小鳥遊さん……? 」

「麗海さん! よかった、お会いしたかったんです! 昨日はお礼も言えずじまいで」



 明るい話し声ににこり、と昨日は終ぞ見られなかった明るい笑顔を添え、首を少し傾げて一言。なにそれ可愛い。非モテに効く。とりあえず、無事なようで何よりだ。世間話のような流れに、僕も一応それっぽく返す。


「いや、僕は少し出しゃばっただけですから。殆ど裏……改さんがしてくれた事ですよ。お礼を言って貰うような事なんて本当できませんでしたし」

「そんな事ありません! 探偵さんから聞きました、麗海さんが命がけで犯人を引き付けて下さったって。貴方は私の命の恩人なんです、どうかお礼だけでも言わせて下さい」


 僕の何ともしょっぱめな返答にそう言って、彼女が垂れ目がちの大きな瞳でじいっと僕を見た。うわ、なんだこれ。女性からの慣れない種類の視線に何とも居た堪れなくなる。そんな状況に所謂攻め込んだことの無い兵士系の僕が長時間耐えられる訳も無く、堪らず逃げの話題へ全力ダッシュと洒落込んだ。


「あの、ええと。小鳥遊さんも小説を買いに来たんですよね? 」

「はい! 『孤独のレイシ』。麗海さんもご興味がおありなんですか? 」

「い、いや知り合いに頼まれてと言うか、はは……」


 逃げからの、まさかの会話成立。まさか興味あります!とも言えず、視線を空に彷徨わせる。うわあ、ウロが凄い渋面。仕方ないだろ、本当の事なんだから。しかし小鳥遊さんも小説を読むとは。勝手ながら親近感が湧いてきた。


「小鳥遊さんも小説がお好きだったりするんですか? 」

「大好きです! もしかして、麗海さんも? 」

「はい。恋愛物はあまり馴染みがないんですけど、それ以外なら結構手を出してます」


 例えばこの先生の本とか、あとこの先生は全作。棚に陳列されている本を指し、更に何作か見ているものを挙げてみる。

「わあ !その先生の本、私も全部読んでます !と言っても伏線とか全然気が付けないタイプだから毎回推理を外しちゃうんですけど」

「それは僕もですよ。自前の思考力じゃ一生気付ける気がしない」

「すっごく分かります! 」


 あれ?何だ、予想外に会話が弾むぞ。女子との会話最長記録かも知れない。偉大なり、小説の力。

「まさかこんなに話の合う方が近くにいただなんて」

 僕が少しばかり残念だろう感慨に耽っていると、小鳥遊さんがぱっ、と花咲くような笑顔を再び僕へ向けた。何だろう、このままでは好感度が高いように錯覚しそうだ。何とか表面上は平静を保とうとはしているが、僕は一体どんな表情になっているやら。


「ええと……光栄です? 」

「ふふ、麗海さんて面白い方なんですね。あの、もし良かったらなんですけど。この後お暇だったらどこかでお話しませんか? 昨日のお礼もしたいですし」

 笑顔コンボからの、ドコカデオハナシ。未知の文言に一瞬思考が停止した。それって、まさか。所謂、お誘い。


「……カイ」

 そこまで邪推したところで、不意に掛けられた声にはっと我に返る。そうだ、今日はウロと過ごす予定なのだ。不義理はいけない。しかも小鳥遊さんは他意なく誘ったろうに、今僕は何て勘違いを。これだからモテないんだな。

 通常運転に戻った思考で考えを纏め、今日の予定を改めて引き直す。うん、やっぱり今日は帰った方がいい。せっかく誘ってくれたのを断るのは少々心苦しいが、今回は致し方ない。まあ、次回があるかと言えば恐らく無いだろうけど。そんな考えを蔓延らせつつ、僕は非常に申し訳ないながらも小鳥遊さんへの断りの文面を脳内で練り上げた。


「……麗海さん? 」

「すみません、今日はこれから小説を届けて一緒に読む約束をしてるんです。楽しみにしてるだろうし、早く行かないと」

「そう、ですか…… 」


 案の定、僕の言葉を受け取った小鳥遊さんの表情が沈む。正直良心に刺さる表情だ。しかし一瞬の後、小鳥遊さんは意を決したように此方を見据えた。え、なんだこれ。


「あの! ご迷惑でなければ、なのですが! 」

「は、はい? 」

 間髪入れずに掛けられたまっすぐな声に、思わず背筋を伸ばす。今の彼女には、そうさせる何かがあった。気迫的なあれだ。気迫が凄い。そんな彼女の口から、真剣そのものな声色でまたも言葉が放たれる。しかしてその、内容は。



「今度……また、お誘いしても良いですか? 」



 うそだろ、まじかよ。








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