泡沫の 玉玩ぶ 彼岸花
泡沫の 玉弄ぶ 彼岸花
結局追いつくまでにしこたま体力を使い、ウロの背中を捉えた頃には肩で息をする羽目になっていた。何なんだ、もう。勿論裏海さんの姿など欠片も見えない所まで遠のいてしまっている。まさか、一刻も早く裏海さんから離れたかっただけじゃないだろうな。疑惑を視線に乗せてウロを睨むが、彼女の気には留まらなかったようだった。先程とは打って変わってご機嫌な顔で僕に向き直る。
「やあっと追いついてきた! ふふ、やっぱりあんたノロマだわ」
「……悪、かった、な! 」
息が上がって上手く言葉が出ないのがなお歯がゆい。くそ、この悪霊娘め。
「やだ、そんなにバテちゃって。普段から運動なさいな、もう少し」
「ったく誰のせいだと……! 」
「カイ! 携帯携帯」
いたずらっぽく耳に当てるジェスチャー。そうだ、怪しまれないための常套手段だっけか。大人しく指示に従って、遅まきながら通話中を装う。
「もしもし」
「今更もしもしなの? あんたって本当面白いのね」
間抜けに映っただろう行動に、にんまりとウロが笑う。くそ、人相悪いな。悪霊か。正直全く言い足りないウロへの毒づきは一先ずこの位にして、僕は説明を受ける筈だった事件の顛末を聞くべく話題に挙げた。
「あのさ、俺が飛び出して行った後はどうなったのか教えてくれる約束だろ? あれからどうなったんだ? 黒紙とか犯人とか。小鳥遊さんは無事なのか? 」
「もう、質問が多いわよ。ゆっくり教えてあげるから、ひとつずつになさい」
「じゃあまずは小鳥遊さんの安否から」
迷わず一つ目。やはり安否は真っ先に気にかかるものだろう。
「大げさね、勿論無事よ。まあ犯人と面識がないかとか警察で色々聞かれてたみたいだけど? 同じサークルの先輩だったらしいわ、アレ」
気持ち悪!とでも言いたげにウロが身震いする。
「先輩? 」
「と言っても彼女にとっては顔見知り程度の男で、犯人側はそうじゃなかったって言うよくあるパターンよ。直接的な面識はほぼゼロって言って良い位のうっすい知り合い。アツーイ片思いを彼女相手にしてたのに、彼氏なんかできちゃったものだから脳内でお付き合いまで行ってたぶっ飛び馬鹿が一人勝手に大激怒ってのが今回の事件の原因。あー本当無理。一番嫌なタイプ」
続けて犯人を思い浮かべたのか、ウロはゴミムシに向けるような目つきで虚空を睨んだ。だから怖えよ。
「で、次はどうする? 何が知りたいの? 」
「そうだな。犯人像は分かったし……黒紙の投函は止まりそうか、とか」
気を取り直して次の質問に移る。正直かなり気になっていた所だ。犯人がお縄についても彼女宛の恨みが送られ続けるなら根本的な解決にはならないが、そのあたりは一体どうするのだろう。
「気になるって言ったらそこでしょうね。でも安心なさい、大丈夫だから」
気になったことを遠慮なく口に出した僕に、ウロがまたもや人の悪い笑みを向けた。うわあ、解決法の大体の方向性が分かった気がする。
「あのクソ野郎がここから先を引き受けるんだけど。腕だけは確かだからそこは信頼していいわ。で、解決の方法ね」
笑みが一層深くなる。もうほぼほぼ怨霊だ。
「まず犯人から被害者への恨みを急に断つなんて無理って事くらいは分かるわよね? 」
ウロの説明に、まずひとつ頷く。それが出来たらあんな介入なんて要らないしな。
「息の根止めるなら話は別だけど、そんな事はどうでもいいわ。早期解決が望めないなら長丁場を前提に考えるのが妥当。これも分かる? 」
「うん、分かるよ。でもそれじゃあ被害者がまた不幸になるだけだよな? 」
理屈は分かる。だが、長丁場ともなればそれに比例して黒紙の投函の回数も多くなるだろう。一々回収すればキリが無いし、何より何件も重なると絶対に手が回らない。しかし溜め込んで回収というのもかなりリスクが高いんじゃないだろうか。そんな疑問が首を擡げたが、そのあたりは口に出さず、一先ずウロの説明を待つ。
「宜しい。よく分かってるじゃない。で、ここからが肝よ。長丁場にするには被害者が影響を受けないような中継点が必要になるの。黒紙の行き来を管轄する、それこそ郵便局みたいなね」
郵便局。言い得て妙だ。直接投函させないよう管理する地点を作るのか。しかし、どうやって?そんな僕の胸の内を察してか、ウロがにい、と得意げに笑って口を開いた。
「どうやって作るのさ、って顔ね。ここからがクソ野郎の領域よ」
「裏海、さんの?」
「そう。中継点が要るって言ったでしょ。あいつが「それ」になるの。ああ見えて筋金入りの本職だから、その位朝飯前って訳。あいつにとってはね。まず犯人と接触して強引に後々の宛先を全部書き換えて、自分を中継点に設定する。あとは『配達不可』で突き返して恨みを差出人に残らずリリースしてやるだけ。そこまで行けば後は犯人が自分の撒いた恨みで勝手に自滅してくれるわ。で、あいつの容量を超えて一度に入ってきた時だけ私が食べて補佐するって手筈。それが今回みたいなケースを受け持つ時のやり方よ。どう、分かったかしら? 」
「……成程、な」
分かった、ものすごく。それだけに末恐ろしい。この解決法を取れば、犯人は勝手に自分の積み重ねた恨みに身を焦がし、地獄の扉を自ずと叩く。自業自得とは言え非常にエグくはないだろうか。なまじ黒紙を溜め込んだ人間の末路を知っている側からすると、先が真っ暗どころの話ではない。正に地獄への一本道強制ルートだ。
「……確かに被害者にとってはまたとない解決だろうけど、ちょっと厳しくないか? 」
抱いてしまった思いの丈を、堪らずウロに投げかける。投げかけた所で代案のない僕にはどうしようもないのだが。
「何よ、死ぬまで相手を恨みさえしなければちょっと運が悪くなる位のものじゃない。逆恨み馬鹿には勿体無い位の温情措置だわ。ったく甘いんだから」
投げかけた僕のそれに、ウロが今度はじとりとした顔で僕を見遣った。表情からして、彼女の言葉の続きは甘い上に察しも悪いわねノロマ、と言った所だろう。そうか、途中で恨むことを止めればただポストの嵩が増えるだけなのか。それなら普通にしっぺ返しで収まるレベルかも知れない。言葉を交わしているうちにいつの間にか見えてきた我が家を前に、一人納得する。
「色々教えてくれてありがとな、ウロ。ここまでで大丈夫だよ」
「あらそう? 意外と聞きたがりじゃないのね。私が食べるあたりを突っ込んで来るかと思ったのに」
言われて一瞬の、思案。そういえば割と大きい突っ込みどころを普通に受け入れてたな。
「いや、そこは何度も見てるし今更と言うか。そういうものなんだろ? 多分」
「まあね。私も突っ込まれたところで答えられないし。気がついたらあいつがいてこれ食え! だったから正直なところよく分かってないのよ。黒紙の何たるかとかどう使うとどうなる、とかは聞いてるけどその辺りはからきしね」
「いいのか? それ」
会話を続ける間に、結局玄関前まで着いてしまった。何だかとても久しぶりの我が家のようで、ちょっと感慨深い。これが帰郷か。「帰郷」を前にして、家まで送ってくれたウロに向き直る。結局ここまで送ってくれたのだ。別れの挨拶くらいは一応しておいたほうが良いだろう。
「じゃあ、ここで。また明日な、ウロ」
いや、もう「また今日」かな。そんなことを考えている僕をよそに、ウロは何故かびっくり顔だ。
「明日も会うの? 」
「会ってくれないと困るよ。ほら、僕死んじゃう」
予想外のウロの問いに、苦笑しながら頭上を指差す。何せ一案件一通の約束だ。日が開いて生きている自信が無い。ウロもそれに気付いたのか、直ぐにお馴染みの意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうだったわね。本当、私がいないと駄目なんだから。今日よりずーっと色々こき使ってやるから、覚悟しておきなさい! 」
えっへん!とでも言いたげに彼女が胸を張る。うん、元気そうで何よりだ。
「お手柔らかに。明日は今日みたく朝早くからたたき起こさないでくれよ」
「アンタはもう少し生活リズムってのを考えなさい。休み明けに地獄を見るわよ、このままだと。ダイガクセーでしょ」
それらしくご高説を垂れるウロを相手に、お返しとばかりに僕も胸を張って高らかに言い返す。
「おいおい、僕がわざわざ一コマ目を取ると思うか? そこはぬかりないさ」
「そんな事で胸張らないの! じゃ、明日も朝に来るから」
あ、さ、に、ね。そう言いながら手をかざして、ポストから一枚。
「はい! これで今日の分終わり。今日はお疲れ様」
「うわ! 色々あってすっかり忘れてたよ。サンキュー」
「それと、最後に一つだけ」
「? 」
「……無理するなって結構怒っちゃったけど。カイがいないと駄目だったと思うわ、彼女。だから、ありがと。……ごめんね」
恐らく僕のポストの嵩を割と増やしていたであろう厚さのそれを口に当て、消え入りそうに付け足したウロの言葉。想定の外のそれに、僕は思わず目を見張った。
緩みに緩んでいた空気が、すこしだけ張り詰める。よく考えれば、今日の仕事は人の命が懸かっていたのだ。たまたま上手く事が運んだだけで、僕の選択で彼女が死ぬ可能性も十分あった。自覚した途端どっと汗が吹き出る。何故今まで思い至らなかったのだろう。
固まってしまった僕の様子を見かねたらしいウロが、こちらに向き直った。
「そんな顔しないの! 心配しなくてもあんなのにはそう出くわすものじゃないから大丈夫。さっきみたいに気楽に構えてなさい。じゃないと私も楽しくないわ。……折角あんたと会えるのに」
「え? 」
先程とは違う意味で、固まる。瞬間、頬に感じた冷たい空気。
「じゃあね! 寝坊したら恨むから! 」
「お、おいちょっと待てって!」
慌てて呼び止めるも、時既に遅し。僕の勘違いでなければ、幻覚でなければ、今のは。
結局僕は衝撃ですっかり吹き飛んでしまった諸々を欠片も掴めぬまま、悶々と夜を明かしたのだった。
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