尽きし日の 残り香纏う 夕化粧




尽きし日の 残り香纏う 夕化粧




 尽きそうな寿命、それをどうにかできる目の前の幽霊。そう来れば、起こす行動はひとつだ。


「黒紙の処理、前借りさせて下さい! 」

 ジャパニーズ土下座。美しき日本の文化。この状況ではこれしかないだろう。雑用はまだこなせていない。むしろ今からが本番と言うところな訳で。つまり今の状態では報酬をくれ!とは言えないのだ。そこで、前借り。周りからヒソヒソ聞こえる気がするが、命には代えられない。もうどうでもいい。


「あんたねえ……」

 案の定頭上からは追い討ちの様に呆れ返った声が降ってきた。しかし、いくら僕だって命は惜しい。基本ツイてないけど。死ぬよりマシだ。そんな思いを胸に、呆れているだろう彼女の顔色をちら、と伺ってみる。あれ、何だかいけそうな雰囲気。



「……ほんと、馬鹿なんだから」

 そう言ったかと思うと僕の前に屈む様な気配がして、不意に髪の毛が視界の横にちらついた。あれ、もしかして、もしかするのだろうか。

「うーん、薄味。さしずめアクシデント系かしら。一瞬恨まれた、ってとこね」

 食べている。黒紙を。と、言う事は。


「僕の寿命、ギリギリセーフ? 」

「そういう事。良かったわねー、私がいて」

 まさかのまさか、大当たり。正直予想外の事態にぽかんと口を開ける僕を尻目に、恩を着せるような文言を放りながらウロは手をひら、と翻した。その手には黒紙がひい、ふう……。


「あれ、さっきのと併せて全部で3つ? いいのか、そんなに大盤振る舞いして」

 僕一つたりとも役に立った覚え無いんだけど。視線で問う。

「ひとつは私の不注意の分。あとは……うるさいわね、いいから有難く食べられておきなさいよ! この馬鹿、ノロマ! 」



 ぽかぽかと殴られたが、すり抜けるので勿論全く痛くない。怨霊、荒ぶれり。何なんだ、一体。疑問は思い切り残ったままだが、取り合えず僕は運よく死に損なった、というのは確かだろう。目の前に変らず陣取るウロに、僕は改めて感謝の意をこめて口を開いた。

「まあいいか、有難うウロ。助かったよ」

「何よその言い方! 軽いわ、誠意が無い! 」

「ええー、じゃあウロ様! このご恩は一生、一日一瞬たりとも忘れません。必ずやこの恩義に報い――」

「重い。気持ち悪い」

 どうしろと。







 空から鉢事件から、数えること約数分。気を取り直して張り込みとやらを再開する。ウロの言によれば、まずは張り込み場所を決めるべく、小鳥遊さんを尾行するらしい。


「なあ、ウロ」

「何? 」

「尾行って言っても肝心の小鳥遊さんはもう見失ってると思うんだけど、一体どうやって追いつくんだ? 」

 見失ったの大体僕のせいだけどな。辺りはとっくの昔に真っ暗闇で視界も悪い。今から探すと言ったって、どう突き止めるつもりなのだろう。そんな疑問をぶつけると、ウロは不敵にふふんと微笑んだ。

「ふふ、任せなさい! ウロ様に不可能はない、ってね! 」

 いや、あるだろ。




 疑念の目を向ける僕にちょっぴりイラっと来たのかむすくれ始めたウロから、ややあって『黒紙は記録された「宛先」をどこまでも追尾する』、と言う追加情報が齎された。件の黒紙は、対象が生きていさえすれば地の果てでもどんな形になってでも飛んでいく。らしい。つまり。

「一度食べちゃった黒紙の宛先は私に筒抜けって訳。私の中に居たって、お腹の中でずうっと宛先に飛んで行きたがってるんだから。ほんと、いい根性してるわよね。下手したら差出人より根性あるんじゃない? 」

「ええ……」


 さっきプライバシーだの何だの言ってなかったか?被害者の方は配慮ゼロかよ。今回はそれで助かったけど割と嫌だな、その機能。そんな感想を溢す僕には目もくれず、ウロはすいすいと空を泳ぐ。そして、一つの高い建物の前で進行を止めた。

「依頼人はこの先ね。あら、いいアパート!オートロックじゃない」


 様子からして、どうやら目的地に到着したようだ。視界に入ったのは、大学近くの大通りに面して建つ、女性専用アパート。築年数のそんなに経っていないこの辺りにしてはお洒落な外観と、女性の好みそうなカラーリングの映えるエントランスが街灯に照らされて何とも入りづらい。正直、僕にとっての場違いナンバーワンスポットだ。入ったことは勿論、今まで近寄ったことすらない、そんな場所。ここは確か広さも家賃も中々だった筈だし、彼女結構いいとこの子だったんだな。湧き出る感想はそこそこに、パシリを遂行するべくウロに向き直る。



「じゃあ私は中を覗いてくるわ。あんたは外をお願い」

「オーケー。部屋番号は? 」

「黒紙の精度を舐めるんじゃないわよ! そこもバッチリなんだから」

 うわ、怖。まるで当然の如く追加された衝撃の事実に、思わず自分の頭上を見た。相も変わらずポストに我が物顔で鎮座している黒紙。これ、そこまで精密なのか。


「黒紙を飛ばす奴が居たら即追いかけなさい。依頼人に届いたか確認したら私も直ぐにあんたを追っかけるから。見逃したら恨むわよ」

「……了解」

 衝撃覚めやらぬ中、返事をしてふと考える。やけに人間との役割分担が手馴れてないか?まるで何度も場数を踏んでいるかの様だ。もしかして、今までにもこうして人間と組んだことがあったのだろうか、彼女は。



「なあ、別れる前に一つだけ、いいか? 」

「手短にしなさい」

「ウロ、君は黒紙の回収で僕の前にも人間と組んだことがあるのか? 凄く手馴れてるように感じるんだけど。分担とか」

「そこ聞くの? まあいいわ。私の雇い主ね、人間なのよ。そいつと止む無く何回か」


 何を今更?とでも言いたげな、件の幽霊。……いや、初耳なんだけど。しかしなるほど、雇い主が人間か。それならコンタクトの前段階までこぎつける手段も説明がつく。まだまだ他にも謎は残っているが、一つ解決だ。しかし。

「なあ、ウロ。黒紙さ、その雇い主と組んで回収するんじゃ駄目なのか? 絶対僕とよりやりやすいだろ、色々」

「無理ね。お断り、怖気がする、冗談じゃないわ! 」


 当然行き着いた僕の言葉に反応して、ウロがあのクソ野郎!と壁を殴る。お約束の如くすり抜けてるけど。どうやら彼女と雇い主は、壊滅的に仲が悪いらしい。ちゃんと知識のある人の方が組むの楽そうだけどなあ。世の中とは上手くいかないものだ、何とも。

「この回収が成功したら会わせるつもりだけど、本当クソ野郎だから。基本無視でいいわよ、あいつの減らず口。ああもう、思い出して腹立ってきた」

「そこまで言うのかよ」







 ウロと二手に分かれて、アパートの外からの様子見に入る。今この場では正直どう見ても僕が一番の不審者状態なのだが、まあ仕方が無いだろう。物陰に隠れ、周囲を伺う。春休みがまだ明けていない事もあり、大学周辺であるこの辺りはいつもより静かだ。


 さて、恨みを発している当人がうまく出てきてくれるかどうか。あまり考えたくは無いが、遠くから黒紙が飛んできているというケースも充分に考えられるのだ。そうなれば僕は晴れて唯の不審者である。最悪前科一犯。泣きたい。



「はあ……ウロの勘を信じるしかない、か」

 犯人は近くから小鳥遊さんを見ている、とはウロの弁だ。どうもこういった種類の恨みを発する人間はちょくちょく対象の様子を見に来るものらしい。勝手に近づいてきて、勝手に覗き見て、勝手に新たな恨みを募らせ、勝手に黒紙にして置いていく。ひたすら迷惑だ。トップレベルで係わり合いになりたくない。

「あー、寒っ」


 今夜は冬に逆戻り、とお天気お姉さんが言ってたっけ。春め、裏切ったな。







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