迷い路 染める桜の 花のあと







 タルトを食べ終えて、残りのコーヒーを味わって。お昼時に席を占領するのは頂けないという事で、僕たちは一度店を出た。繁盛店のかき入れ時だ。できるだけ邪魔はしたくない。店を離れる前に一度裏手に回り、乃慧琉さんにタルトの感想を伝える。……ウロのことを笑えないレベルの壊滅的な伝え方になったのはご愛嬌だ。感想、難しい。


「ねえ、カイ。今何時? 」

「12時過ぎ。もう少し時間を潰したほうがいいな。どうする? ウロ」

「えっとね……」


 店を出て暫く会話をした所で、不意にウロがもじもじしながら右を見る。視線を辿って行き着いた先に見えるのは、いかにも女の子らしい雑貨店だ。わあ、レベル高い。入りづらい。しかし状況から見て恐らくウロは入りたいと思ったのだろう。僕の予測を裏付けるように先程からそわそわと忙しない彼女に、察してしまった僕ははあと息を吐く。言外の要望に乗るか、乗らないか。ここは僕の男が試されている、かも知れない。



「あ、ああー、ああいうとこ、入ったこと無いなー? あの雑貨屋。後学の為にも一回行ってみるかな。ウロ、ついて来るか? 」

 ここまで来て、流石の僕でも引けるものか。さりげなさを装って、何とか彼女を店へと誘う。少々強引な感じがするのは僕のスキル不足だろう。交際経験ゼロは伊達じゃない。

「し、かたないわね! 付き合ってあげる! 感謝なさい! 」


 だがウロはそのあたりを気にする余裕が無いくらいに興奮しているようで、怪しむことなくあっさりと僕の言葉に引っかかった。こいつめ、タルトを食べる前と同じ顔をしるじゃないか。

 もしかすると、僕をたたき起こして連れ出したのは散策をしてみたかったから?ふとそんな疑問が過ったが、こちらとしてもなかなか有意義な時間を過ごせたような気がするので、思い至らなかった事にして歩き出す。こういうときの沈黙は金だ。折角だし楽しもうじゃないか。腹をくくってドアを潜る僕に、ふわふわと嬉しそうな彼女が続く。ああ、いいかもな。こういうの。そう思ったのも、やはり彼女には秘密にしておこう。何だかはっきとりしない、しかし悪くはない感情を胸に、僕は未知への扉を勇んで潜ったのだった。







 雑貨屋を、ウロの心行くまで一巡り。それでも余った時間で双方の目的地を粗方回った頃合で、もう一度時計を見る。13時45分。そろそろいいだろう。

「ウロ、そろそろ」

「そうね、行きましょうか」

 呼びかけた声に是を示す彼女を見遣りながら、僕はこれから見えるだろう対象に思いを馳せた。恐らく恨みの買いすぎで自壊寸前だろうその人。死期を目前にする彼、いや彼女?はどんな人なのやら。樹慧流さんに案内された席に着き、じっと待つ。


 ――カラン。


 ドアベルが鳴った。さあ、鬼が出るか蛇が出るか。それを知るのは、多分神やらその辺りだ。




迷い路 染める桜の 花のあと







 14時まで後5分を切った、麗らかな晴れ間。そんな昼寝日和の景色を背にして、向かい側に待ち人が座る。何のことは無い、どこにでもいる普通の女性だ。垂れ気味のぱっちりとした瞳。肩の上で切り揃えられた黒髪に、花柄のワンピース。その上に淡い色の上着を羽織っている。年の頃から言って同じ大学かもしれない。まさか、同年代の女性が死に掛けていたとは。恨み仲間と言うものが、何とも身近にいたものだ。視線がかち合って、一瞬。朗らかな天候にそぐわぬ空気が、僕らの周りに満ち満ちた。



「あの、私を助けてくれるって聞いて来たんです。病院も御払いも駄目で、誰に相談しても取り合ってもらえないし。私、もうどうしたらいいのか……! 」

 重苦しい空気から這い出そうともがくように、しかし這い出し切れないように。向かいに座る女性が堪え切れないように言葉を紡ぐ。その視線は常に辺りを伺い、表情はこの世の終わりのように暗い。そんな様子に、僕はちら、と俯く彼女の頭上を見遣った。ああ、これは深刻そうだ。


 女性の頭上に鎮座しているのは、今にも溢れそうに詰まったポスト。凄い、よく死ななかったな、彼女。しかしコンタクトを取れたのはいいが僕はどう言葉をかければいいのだろう。ウロに視線でそれとなく促してみる。


「あの黒紙、同じのが何通もあるでしょ。見える? ああいうのは同じ差出人から何度も、ってタイプよ。兎に角身に覚えがないかまず聞いてみなさい。あと、継続的な恨みみたいだからどこかで異変があった筈だわ。それがいつごろかも聞き出して」


 僕の意図に奇跡的に気が付いてくれてらしい彼女から、存外的確な指示が下った。それに小さく肯定の意を示し、正面に向き直る。

「こんにちは、初めまして。ええっと……」

「小鳥遊、明日香です」

「ありがとうございます、小鳥遊さん。僕のところにいらっしゃったって事は、何か身の回りでおかしなことが起きてるんですよね? 」

 詳細を話すよう僕が促すと、女性は少しずつ言葉を搾り出し始めた。



「はい。聞いて、下さいますか…。最初は少し違和感がある位だったんです。信号に引っかかるな、とか欲しかったものが目の前で売り切れて、ついてないなあ、とか。よくある話でしょう?私もあまり気にしてなかったんです。でもそんなのがずっと続いて、最近はどんどん酷くなってきて。頭がぼーっとしたかと思うと、赤信号の横断歩道に立ってて轢かれかけたり、崖の前で落ちかけてたり! ビルの、屋上とか、駅とか、ほか…・・・にも、たくさん! もう、何が何だか! 」


 話すうちにどんどんと取り乱していった女性は、そう言うとくず折れて泣き出してしまった。さらに聞くところによると、おかしなことへの恐怖で最近は外出もままならないらしい。今日は相当な勇気を振り絞ってここまで来たのだろう。わあ、辛いなあ、それは。僕なら自分の頭がおかしくなったのだと思ってしまうに違いない。げに恐ろしや、恨みの力。


 困りごとの詳細は分かったが、ウロに指定された項目は空欄のままだ。さて、どうするか。考えた所でど素人の僕に妙案が降って来る事などやはりなかったので、申し訳ないがもう少し踏み込んで聞いてみる。

「こんな時にすみません。何か身に覚えはあったりしませんか?たとえば逆恨み、とか。何でもいいんです」

「……いいえ」


 最早人間相手に感情を揺らす余裕すらないのか僕の不躾な言葉に気分を害する様子もなく、小鳥遊さんは力なく首を振る。雲行きが良くないな。しかしここで更に踏みこまねば解決策も得られまい。今度こそ激昂されるのも覚悟の上で、僕は踏み入るような言葉を紡いだ。

「では、違和感を感じ始めた時期は? その辺りに環境が変わるような出来事は? 話しづらいかもしれませんが、聞かせて頂けませんか。そこから何か分かるかも知れません」

「たぶん去年の夏、位から。その時は丁度……そうだ、丁度彼と付き合い始めた頃です。告白して、それで。でも、うざいって振られて……今はもう。まさか関係ないですよね?だって、そんな事で」


 僕の覚悟に反して、今度もまた彼女の力ない声が僕に返される。僕を見つめる視線はまるで綴るようだ。どうなんだろう。まさかその元彼氏が?いや、まさか。ウロを見ると、何とも真剣な面持ちで思案をしているようだ。今ので何か分かったのだろうか。そうであって欲しい。







 感情の吐露を受けて、針を一周。それからもう少し話を聞いて、僕たちはひとまず彼女と別れた。あの黒紙の量で別れていいのか?と思ったが杞憂だったらしい。溢れんばかりの黒紙は半分以下に減っている。

「うげ、えぐい。最悪の味ね。勝手な恨み極まれりって感じ。開けてやろうかしら」

 彼女から抜き取った大量の黒紙を食べながら、傍らのウロが顔を顰めた。美味い不味いってあるんだな。と、いうか。


「見れるのかよ、中身」

「まあね! プライバシー? が何とかでほんとの有事意外は見ちゃ駄目なんだけど」

 見れば早いのに、ほんっと下らない。非効率。そうぼやきながらも彼女が次の黒紙を口に運ぶ。

「勝手な恨みって、どんな? 」

「期待はずれ、勝手な彼女像の押し付け、それにかこつけた逆恨みってとこね」



「彼女像? それって、例の元彼が小鳥遊さんを恨んでるって事か? 」

「ああ、御免なさい。そういう意味での彼女じゃないわ。平たく言うとぼくのおもってた「たかなしあすか」とちがう! って事ね」

「……はあ」

 なるほど。納得だ。


 つまり、恨みの発生源の中に実際の小鳥遊さんとはかけ離れた勝手な「小鳥遊明日香」像があって、それにそぐわない小鳥遊さんに一方的に恨みを募らせている訳だ。小鳥遊さんからしてみれば何とも迷惑な話である。話を聴いて苦虫を噛み潰したような顔に仕上がっただろう僕のそれを観察しながら、ウロは慣れたものよ、とでも言いたげに息を吐いた。


「よくあるのよね、こういうの。こういう手合いは大体交際相手、親、あとストーカー、横恋慕……ああ、あと今回は元彼。このあたりが容疑者かしら? 」

 溜息をついた表情はそのままに、何のことは無いとでも言う様に慣れた様子でウロが容疑者候補を挙げていく。どれが当たりでも嫌なラインナップだ。もれなく後が面倒臭い。

「さて、と! 」


 会話がひと段落着いたところで、ぱん!と手を合わせたウロが立ち上がるポーズを取った。どうやら本格的に動く心積もりらしい。というか不味くても手は合わせるのか、律儀だな。

「行くわよ」

「行くって何処に? 」

「決まってるでしょ。張り込みよ、張り込み」


 ニヤリ。人の悪そうな笑みで小鳥遊さんの向かった方角を指差す。ひとつ間違えると祟りそうなご尊顔だ。悪霊か、お前は。

やっぱり僕も同行かよ。呆れ半分、諦め半分でウロに続こうとした、刹那。



 ガシャン!



 派手な音を立てて僕の真横で何かが割れた。下げた視界に脈絡なく飛び込んできたのは、よく見るタイプの植木鉢。どうやら頭上からの来訪のようだ。え、何で?普通に怖い。土パンパンに入ってるし。

「なあウロ、これって彼女の恨みの影響とかか?」

 あんまりにあんまりな想定外の事態に、僕はうまく回らない首を動かし何とかウロに視線を向けた。ギギ、と音がした気さえする。ウロ、君はあるよな心当たり。いや、あると言ってくれ。


「違うわね」

 対するウロは何だか気まずそうな面持ちだ。いや、何だよその顔。そんな僕の頭の中を他所に、やはり心当たりのあるらしい彼女が重くなったらしい口を開く。

「あんたの黒紙、忘れてたわ。そろそろ寿命ね」


 僕の寿命?寿命、寿命……そうだ。今朝縮んだんだった。どうやらタイムリミットが本格的に近いらしい。

「なあ、それってヤバくないか? 」

「ヤバいわよ」



 僕より少し早く悟っていたらしいウロに、この鈍感、とジト目で言われる。お前だって今の今まで忘れてたろ、人のこと言えるのかよ。そうは思うも、時既に遅し。僕の命は、風前の灯だ。吹き消されるか、持ち堪えるか。全てはウロの思うままだ。

 さて、どうしよう。








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