朝露に 夜を惜しむや 金盞花




朝露に 夜を惜しむや 金盞花




「おはよう、ノロマ。早速雑用の出番よ、準備しなさい! 」

 ああ、夢オチならどんなに良かったか。

 昨日とは所変わって僕の部屋、敷き詰めた万年床の上。そこで普段は絶対にありえない女の子の声が響く。女の子のお目覚めボイスに、窓の外からはチュンチュンと雀の鳴き声が響く平和な朝を体現したような清清しいロケーション。しかし残念ながら寝不足気味の僕にとっては朝日が目に沁みてすこぶる痛いだけの騒音環境に他ならない訳で。


「うるさいなあ、あと4時間……」

「長い! 今何時だと思ってるの!? 」

 迷わず二度寝と洒落込もうとした僕の試みは、僕の芳しくない反応にご立腹らしい幽霊に悲しいかな遮られた。



 促されて時間を確認する。午前、8時。今日も僕の体内時計は正常だ。

「何時ってまだ8時じゃないか……じゃ、僕てっぺんまで寝るから」

「も! う! 8時! 嘘でしょ、信じらんない! 無精者、インドア根暗、寝ボケ天パ! 」


 声と共にちらちらと眼に入る、音もなく荒ぶる少女の手足。どうやら彼女――ウロは必死に僕を起こそうと奮闘しているようだが、いかんせん実体が無い。彼女の手は結構早い時間から、僕をすり抜けては荒ぶってをひたすら繰り返している。めんどくさい。非常に。


 もういっかい寝て起きたら現実に戻ってないかな、ないか。辛い。


「あんたこんな所までノロマな訳!? 起きなさいよ、起きろ、起きて、起きてよ、起きてってば! 」

「うるっさいなあ……い、痛たたたた」

 実体が無いと言えど耳元でわめかれると煩いのは変わらないらしく、そろそろ限界らしい僕の頭が悲鳴を上げた。あまりのキンキン具合に、耐えかねて重い瞼を開く。


「っわ!? 」

 瞬間、顔前にドアップで広がる美少女の顔。

 ……近いな、もう。悔しい話だが、幽霊相手に少しときめきついでに目が覚めてしまった。何となく、何となくだが負けた気がする。案の定というか何と言うか、僕の表情から何かを悟ったらしい件の幽霊は勝ち誇った笑みをにっと浮かべた。

「やっとお目覚めね、ノロマ。さ、お出掛けよ! 」



 僕の厄日期間はまだまだ明けそうに無い。







 無駄に喧しい幽霊に根負けし、結局予定外の時間に家を出る。ああ、まだ太陽があんな所に。折角の休みなのに。肩を落とした僕とは対照的に、ウロはと言えばきょろきょろと落ち着き無く周囲を見回してせわしない。


「見てノロマ、あそこ警備員が立ってるわ! 何かあるのかしら! お宝? 」

「いや、どう見ても普通の大学だろ。何も無いから。あとウチでは皆警備員さんじゃなくて守衛さんって呼んでるかな」

「ウチ? 」

「ここに通ってるんだ、僕。今は春休みだけど。大学生だよ、大学生」

「ダイガクセー! 」


 僕がとりとめも無いウロの質問に答えると、何がそんなに面白いのか、彼女はほわー!なんて奇声を上げてしきりに敷地内を覗き込み始めた。何だ、そんなに珍しいものでもあるまいに。



 昨日も思ったが、ウロは近代的な装いの割に所々のイントネーションが怪しい。コミュ障、とか大学生、とか。もしかして想像以上に昔の幽霊だったりするのだろうか。あれ?でも警備員は普通に発音できてたな。ああ、あとインドアとか。

「ノロマ」

「ん? 」


 そんな事を考え始めて、直ぐ。ウロの呼びかける声に取り敢えず立ち止まる。同時に感じた、足元への違和感。……多分、何か踏んだ。足を退けた先で目にしたものは、白くて大きな謎封筒。予想外のそれに、つい印字を読み上げる。

「合格、通知? 」

「……ごめん、ちょっと声を掛けるのが遅かったみたいだわ。ノロマ」


  ――スコン。


 掛かる声に重なのは、頭上からの聞き慣れた音。程無くして、音の発信源らしい制服姿の女の子と目が合った。あ、泣いた。ヤバい。

「す、すいません……! あ!」

「……逃げちゃったわね。あーあ、ご愁傷様」

「ああ……」



 かくして今日も、僕は朝っぱらから満期解約の危機である。






 お出掛け早々初恨みを買った正門を離れ、心は痛むが気を取り直して繁華街の方角へ進む。周りに人は……まだいないな。近場が無人であることを確認しつつ、一般人には見えていないだろうウロに声を掛ける。

「そういえばさ、……ウロ」

「何よ? 」

「僕に何かして欲しいことがあったんじゃないのか? ほら、雑用の出番だって言ってただろ、朝」

「? 」


 よし、反応有り。ウロがこちらを向いた今がチャンスだ。ゴタゴタと逸れまくった所為で聞きそびれていた本題を聞き出すべく、彼女に向き直って駄目押しにもう一言。

「封書を抜き取って貰えるなら是非聞いておきたいんだけど? 」



 短い付き合いだが、昨日今日でウロについてひとつだけ理解したことがある。それは、彼女は『はっきりと明確に、順序立てて問わないとこちらから投げた質問には答えをくれない』と言うことだ。会話の流れに沿っていればギリギリ答えてくれるようだが、それ以外は壊滅的と言っていい。

 どうも見る限りウロはこちら側が彼女の言外のニュアンスで色々察している前提で話をしているらしく、一度下手を打ってしまうと永遠に会話がかみ合わない。喧しい割に言葉を惜しむのだ、この幽霊は。何だよ本当、察してちゃんか。言いたいことは多々あるが、僕も二度手間は御免なので恥と不条理感を捨てて言葉を尽くす。


「どうかな、ウロ 」

「あー……ああ、そうだったわね。忘れてたわ。御免なさい」


 帰って来たのは、予想外に色良い返事。捻りの無いすっきりとしたそれに、僕も思わず言葉が落ちた。

「意外と素直だなあ、君。」

「意外とって何よ! ……まあいいわ、話してあげる。さあ、耳の穴をかっぽじってよく聞きなさい! 」

 今度はイメージ通りの文言だ。しかし漫画でしか聞いたこと無いぞ、それ。







「恨みの、回収? 」

「そう!それが私達のお仕事なの。あんたは私のことただの幽霊だって思ってるみたいだけどね」


 繁華街に繋がる道の脇にあるベンチ。そこに座って本日の「雑用」が何なのか、これから何をするのか改めて説明を受ける事になった。これわざわざ外でしなくても良くないか。返せ僕の睡眠時間。その前に私達って何だ。集団なのか。組織かよ。恨みって物騒な回収物だな。疑問と文句は尽きることが無いが、取り敢えず大人しく続きを待つ。


「あんたの言う封書……私達は「黒紙」って呼んでるけど。あれが人から届く恨みとかやっかみとか、まあ所謂黒ーい気持ちの塊って事くらいは理解してるわよね? 」

 是。話の腰を折らないよう、黙って頷いた。

「アレってさ、ほら。溜め込み過ぎると死ぬじゃない? ほんっとに恨み買って仕方ない奴ならまあ因果応報で片付けられても文句言えないけど。そうじゃないのに死ぬとかだとやりきれないわよね? 」

「だな」


 今度は思わず声に出る。僕だって恨み殺されるレベルの「恨み買い」な覚えは無いし。深く恨まれるようなことを仕出かしたのならともかく、一期一会ならぬ一期一恨な恨みばかりなのだ。これで殺されては何ともしょっぱい。



「恨みの中でもそういう理不尽なやつとか、ヤバい逆恨みとか。あと宛先に届かずに落ちちゃった野良黒紙とか。そういうのを回収するのが、主な業務って訳。で、肝心の回収なんだけど。見える系の奴ならいいんだけど、ええと、私達って普通の人には見えないじゃない?そこであんたの出番。今回は回収対象とコンタクトを取って、私の補佐をなさい!拒否権はなし!ああ勿論、昨日言ったそれ以外の雑用も明日以降どんどんこなして貰うわよ」


 わかった?と腰に手を当てながら、説明を終えたつもりらしいウロがドヤ!と言わんばかりにふんぞり返る。説明にしては何とも大雑把が過ぎないだろうか。まあ、分かったけど。しかし、だ。ここで一つの疑問が僕の中で首を擡げた。



「今日の……コンタクト? さ、相手に見えなくても問題ないんじゃないか? 下手にオカルトに引き込まれるより勝手に回収して貰えたほうが良いと思うんだけど。正直僕いらなくない? 」


 分からないままパシリだなんて御免だ。と言うことで、思った疑問を素直に口にする。すると、ウロにはあーっとため息をつかれて大げさに肩を落とされた。何ださっきから、わざとらしいな。


「あのね、恨みやっかみってのは多種多様なの! すごいの! 面倒臭いの! 一回こっきりで終わんないのだっていーっぱいあるんだから! 回収対象からおかしいとことか、心当たりとか聞けたらある程度の予測もできるし根元の解決もしやすいけど、それってコンタクト取ってないと無理でしょ? ずっと張り込んで見張ってるわけにもいかないし。そのせいで回収対象の取りこぼしとかアフターケア不足がある訳よ」

「アフターケア? 」


 何だそれ、本格的に組織臭い。そこの説明が早く欲しい。何か色々言われたし。彼女の回答に更に増えてしまった疑問に思いを馳せるも、悲しいかなウロの熱弁は続く。

「何度も出向いたり張り付いて無駄骨折るより、あっちから「助けて」して貰った方がやりやすいの! そのくらい頭回してよね、ノロマ! こっちだって回せる手には限度があるのよ、限度が! 無駄足踏んでのんきしてられるほどお気楽じゃないんだから! 大体――」

「分かった、分かりました! 僕が悪かった! やるよ補佐! やらせてください!」



 放って置けば何巡もしそうな彼女の声を遮って、僕は話に強制的に区切りをつけた。申し訳ないが、これ以上の噴火は勘弁だ。あとそろそろ助けて貰わないと僕の寿命が危うい。

「本当ごめんって! なめてました! このとおり! 」

 ウロが怯んだ所で、すかさず謝罪の追撃を試みる。縮みたてピチピチの死期がまさに今迫っているのだ。ウロの愚痴に変わりはじめた説明を聞き続けるより今日やることの詳細を聞き出す方が今は先決だろう。組織っぽい疑惑は……またの機会に突っ込んでみるとして。そんな思惑を胸に指した、逃げるように攻めたここでの一手。さあ、これで彼女がどう出るか。良いほうに転がらなければ、多分今日で僕は現世とおさらば、である。



「……。分かったなら、いいけど」

 結果は、『良』。良かった、一先ずは命拾いだ。







「早速だけどさ、もうセッテイングしてあるんだろ? そのコンタクトとやら」

 決めの一手から、少し。一度静まった空間に、話題逸らしついでに話が前に進むよう質問を投げる。こちとら初心者だ。正直セッティング位はしていてくれないと困る。と言うのが本心なのは秘密だ。僕の本心には幸か不幸か気が付かなかったらしいウロが、若干感心したように言葉を紡ぐ。

「あら、あんたにしては察しがいいじゃない。じゃ、行くわよ! 」

「はいはい」

 さあ、出発だ。


 見慣れた道を、ウロに促されて歩き出す。聞く所によると回収対象とは喫茶店で落ち合う手筈になっているらしい。僕にとって非常に有難い話なのだが、そういえば幽霊なのにどうやってここまで漕ぎ着けてるんだろう。やっぱりあれか、組織か。組織の斡旋なのか、オカルトな感じの。




 幽霊を道しるべに、恨みの郵便回収業務。補佐だけど。どうやら僕の厄日期間はものすごい非日常の中に産声を上げてしまったようだ。







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