口元に 梔子添えて 華墨食む




口元に 梔子添えて 華墨食む




 彼女の話を要約するとこうだ。


『野暮用を済ませて帰路についていたら、眼下に死にそうな足取りの天パが見えた(僕の事かよ、失礼だな)。興味を引かれて近づいてみると何と言うことでしょう、頭上のポストが満員御礼! 矢も盾もたまらず爆笑していたら、想定外に僕に気付かれてしまった。そこからかみ合わない会話を経て、今に至る』


 つまり、ポストが満杯になって死ぬんだ死ぬんだとそればっかり僕が考えていた所に、タイミング良く彼女が通りかかって笑っただけなのだ。僕のポストを見て。……ポストを見て。

と、言う事は。



「やっぱり見えてるんじゃないか、僕のポスト! 早く言えよ! 」

「やあね、見えてないなんて一言も言ってないじゃない。大体、見えてない人間があんな言い方すると思う訳?察しが悪いわね、ノロマ」


 そう言ってからからと笑う彼女は、正直僕よりずっと生き生きしている。駄目だ、勝てない。何だよこいつ口が回るな。幽霊の癖に。せめてもの抵抗に恨みがましく視線をやると、彼女は口角をまたにんまりと持ち上げた。

「ねえ、あんた、そのままだと死ぬわよ」

「だろうね」

「ねえ、死にたい?それとも死にたくない? 」


 さも愉快そうに言葉を紡ぐ。まるで新しい玩具を手に入れた悪ガキの様な表情だ。至極愉快。いや、僕のほうは全然愉快じゃないんだけど。

「死にたかったらこんな悲惨な顔してると思う? 」

「しないわね。でも、元からそういう顔って線もあるわ」

 うるさいな。



「……助けて、あげよっか」

「え?」

 からかいからの、唐突な提案。余りに突拍子のないそれに思わず彼女を見遣る。が、その表情はやはり変わらず愉しそうだ。程なくしてつい、と彼女の指が上がる。示す先は僕のポスト。

「困ってるんでしょう? 「それ」。私ならどうにかできるわよ。ね、してあげよっか。させなさいよ」



 言葉と共に、笑みが深まる。瞬間、彼女の肌を虫が這ったように見えた。また日常が遠のいていく気がして、慌てて目を擦る。あれ、何も無い。見間違いであることを祈り、続きを促す。

「どうにか、って具体的にどうするのさ? 言っておくけどこのポスト、見えはするけどそれ以外は全然ダメだぞ。触れすらしない。中身をどうこうするなんて以ての外だ」

「そ。あんたは、ね」


 何とも余裕綽々だ。まさか彼女はこのポストについて僕よりよほど情報を持っているのだろうか。だとしたら、一体何処で?何のために?

 思案に耽る僕をひとつ嗤ってから、彼女が指していた指を僕のそれに近づけた。何を、と声を上げる間も無く、ひと撫で。触れる、引き抜く。持ち上げる。そして――



「ふふ、もーらい」

 小さく舌を出した彼女の口に、薄い「封書」がするりと消えた。







「食べ、た? 」

 僕は唖然として彼女を見る。「封書」を食べて舌なめずりする口元が、やけに印象に残った。

「うーん、この味は……逆恨み!ご愁傷様ね」

 言うが早いか、彼女がご馳走様!と勢い良く手を合わせる。何とも美味しく無さそうだ。いや違う。そんな事より、今のは?


「君、一体何を? 今、どうやって」

「普通に過ごせばこれで大体今日一日は生き長らえるわよ。おめでとう」

 やっぱり話を聞いてくれない。いや待て、今何と言った?ギリギリ拾った彼女の言葉を混乱した頭で何とか租借する。今の言葉が嘘で無いなら、つまり。


「生き長らえる? まさか、僕が? 」

「あら、察しが良くなったじゃない。進歩よ、ノロマ」

「さっきから黙ってればノロマノロマって。僕にも一応名前があるんだけどな」

「聞いてないもの。自己紹介も遅いわねえ、ノロマ」

 にべもない。




 どういう仕組みかは分からないが、彼女の言葉を借りるとどうやら僕は今日一日無事に生き長らえるようだ。少なくとも。


 気を取り直して彼女を見遣る。勝気な瞳と目が合った。正直かわいい。幽霊じゃなかったら、生身の女の子だったら。直視できないかもな。何とも緊張感のない感想だが、一度気が緩んでしまったらそんなものだ。仕方が無い。命が当面繋がった余裕からだろうか、僕の恩人になったからだろうか。最初に感じていた彼女への恐怖は既に大分希薄になっている。

 ――虫の件を除けば、だが。


「で? 」

「え? 」

「名前よ、名前! あれだけ文句垂れたんだからきちんと教えなさい。じゃないとずっとノロマよ、ノロマ! 」


 彼女の言葉に一気に引き戻される。名前?そうだ、さっきうっかり何か口走った気がする。しまった、墓穴を掘った。と思うも時既に遅し。彼女は興味津々と言った面持ちで僕を見ている。逃げたい。



 何を隠そう僕は自分の名前が死ぬほど嫌いなのだ。名は体を表しすぎているというか。ノロマ呼ばわりか名前呼びか。僕にとっては正直究極の二択。できればどちらも選びたくない。やっぱり逃げよう。


「私はウロ、「孤独少女」ウロ。特別に呼び捨てでいいわ。喜びなさい? さあ、あんたの名前を聞きましょうか」

 退路を即塞がれた。まさか分かってて言ったんじゃないだろうな、ちくしょう。


「……かい」

「かい? 」

「芥だよ。麗海、芥」

「うらみ、かい」


 ぽかん、とした顔で彼女が鸚鵡返しをしてきた。口が半開きのまま止まっている。これは良くない、何とも嫌な静寂だ。程なくして大きく噴出す音。ああ、だから嫌だったんだよ!

「そんなポスト引っさげてウラミ……ウラミ、カイって! これ以上なく恨みが、買え、買えそう……やだもう、あんた、笑い死に、させる、気!? も……無理!! 」


 身体を折り膝をつき、今にもゲラゲラと転げまわらんばかりの勢いで笑い上げ始めた。息も絶え絶えとは正にこの事。つーか息絶えるのかよ。幽霊だろ。

「失礼な奴だな! 大体、君の名前だってどうなんだよ。「ウロ」は兎も角「孤独少女」ってあり得なくないか? 自分で孤独とか少女とか! 」


 苦し紛れに言い返す。名前をコケにするのは僕の正直ポリシーに反するが、この笑われ様だ。少し位反撃したくもなる。うん、仕方ない。案の定彼女――ウロは笑いを引っ込め、恨めしそうに此方を見遣った。あ、やばい。ポスト案件じゃないか、これ。


 ――スコン!


 少し強めの音を立てて、ポストに封書が入る。なにこれまがまがしい。

 厚さは無いが何だかいつもの封書と仕様が違う。生者と亡者の差だろうか。あまりの違いにどっと冷や汗が噴き出た。文字通り、目に見えて寿命が減った気がする。こんなのを持って死んではろくな死に方ができそうにない。



 視線をポストから空にやると、いつの間にかとっぷりと日が暮れている。確か長らえた寿命は今日一日。そして駄目押しのいわくつき封書追加。ああ、死んだな。最悪だ。

 じとり、と睨む紫と目が合う。

「あたしだって好きで孤独少女~なんて言ってるんじゃないわよ。折角あんたのことおやつ……もといタダでちょっと助けてあげようと思ったのに! 」


 私にしては珍しく!と続けながら地団太を踏む動作を取る。勿論踏めていない。これはもしかして本気で助けようとしてくれてたのか。流石に少し罪悪感が首をもたげた。死ぬ前に謝っておこう。

「あんたみたいな根暗の性悪、もうタダじゃ助けてあげないんだから! 」

「うん、ごめん……んん? 」


 予想外の彼女の言葉に謝罪が疑問系で半端に途切れた。あれ、結局助けてくれる方向に話が進んだ気がする。ここはもうひとつ感謝の言葉でも追加しておくべきだろうか。タダではないっぽいけど。そんなことを考え始める僕を余所に、彼女はなおも口早にまくし立てる。


「ふん、今更謝ったって遅いわよ、このノロマ! 本っっ当ノロマ! バカノロマ! でも私はあんたと違って心がひろーくて義理堅いの。一度言ったことは絶対にやり切るわ。だから助けてやるわよ。その代わり――」

「その、代わり? 」



 その代わり、何だろう。今日何度目か分からない嫌な予感がする。ニマリ、彼女の口の端がこれでもかと上がった。

「延命は、一度に一通分ずつ。対価は私の気分次第。まず雑用は大前提として。鉄砲玉、パシリ、伝書鳩に、下僕……ふふふ、何させてやろうかしら。せいぜい私に寿命を掌握されるがいいわ! バーーーカ! 」


 前言撤回、こいつへの感謝は当面やめておこう。星空をバックに高笑いする幽霊を見て僕は強く心に刻んだのだった。







 ちなみにこの後生きて朝を迎える為ひとつ甘んじてからかわれたのだが、僕の名誉の為に割愛しておく。






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