第3話 砦

 そんなこんなで日々は過ぎていき、青かった麦が黄金色に変わりました。

 丘のうえから見下ろせば、そこは一面金色に埋まっています。陽の光を浴びて輝く麦畑のみごとなこと!

 ともすると、ほんものの黄金より美しいかもしれません。お姫様は、いつも黙って、敬虔な気持ちで風に波打つ金色の輝きを眺めていました。


 ここのところ、お姫様は少しずつ血色もよくなり、元気になってきました。

 仕事仲間になったおかみさんや娘っこたちからいろいろ教えてもらって、百姓仕事にも少しずつ慣れてきました。お姫様は刺繍や飾り縫い、自分の国でみんながやっている髪の編み方を教え、娘っこたちは若い娘の間で流行っている帯の結び方を教えて、みんなでちょっぴりおしゃれになって、たまに町の小間物屋に繰り出したりもします。

 こうしてお姫様は、人と触れ合う喜びを知りました。今まで誰にも顧みられたことがなかったのでうれしさもひとしおです。世間知らずのせいでよくとんちんかんなことを言ったりしたりしますが、それでみんなが面白がるとお姫様にはそれがまた新鮮で楽しくなってしまいます。


 出歩くようになると杖をだんだん邪魔っけに思うようになってきました。何よりびっくりしたのは、つい自分の部屋に杖を置きっぱなしにしたら、それでその日一日、特に問題なく暮らせてしまったことでした。杖を突かなくてもお姫様は歩けるようになってきたのです。少しふらついたりよろけたりはしますが、何歩かおきに、何かにちょっと掴まって姿勢を立て直せば問題はありません。その「何歩かおき」というのも、日を追うごとに歩数が増えてきているのです。

 可愛いロバにも乗り降りできるようになり、世話だって一生懸命やっています。


 麦が金色に染まり始めたころから、王様は野良に出なくなりました。時々、村々を回って麦の貯蔵の様子を確認しに行ったりはしますが、帰ってくるとまた難しい顔をして考え込んでいます。鋭い目をした老若男女がとっかえひっかえやってきては王様と、それからなぜか奥付きのあの侍女に何かこそこそと話し、その後手紙のようなものを渡し渡されています。それは麦の刈り入れが終わって、収穫高がだいたい決まったころまで続きました。


「王様はどうなさったのですか」


 お姫様が尋ねると、侍女は答えました。


「十日後、王様は多くの国々のお偉い方々と一堂に会し、小麦をどこへどのように売るかを決めるので、そのご準備をなさっているのですわ。どの国も選りすぐりの賢い方が遣わされるので、どのような手を使われるか予測するのは大変なのです。嘘もつかれますし」


「嘘を?」


「はい。国を守るためという大義がおありなので、皆様それはそれは壮大な嘘をつかれます」


「あの……私の生まれ育った国も嘘を?」


「国とはそういうものですから」


「では王様も?」


「おそらくは」


 みんな嘘をつくのが当然という事実に、お姫様はきっと困った顔をしてしまっていたのでしょう。侍女は、まるで教師のような口調です。


「もし私が隣国か、そこそこ近い国の王でしたら、こんなに穀物がたくさんとれている国は喉から手が出るほど欲しいですわ。今のうちに兵を出して征服し、自分の国の一部にしてしまいます。この国にはまだ兵力らしい兵力はありませんもの」


 それはそうです。まつりごとに関することは何の教育も受けなかったお姫様ですら、もし自分がこの近くの国の王だったら、他の国と一緒になって攻め、小麦も領土も取り上げて、ここにいる人たちを奴隷扱いするだろうと思えるのですから


「ただ、もしどの国もそう考えている、ということが幸運なのです。そういう国々がお互いににらみ合って動きにくくなっているからこそ、綱渡りのような危うさでこの国は一つの国になれたのですわ。これからも綱渡りをやっていかないとこの国はすぐに消えてなくなります。そのときにはきっと私たちも無事ではいられないでしょう」


 お姫様は自分の顔が青ざめてくるのがわかりました。侍女はいつものようににこっとしました。


「そうならないように王様も私も頑張っておりますから、お信じ下さいませな」


 そのとき、王様が向こうの回廊を渡っているのが見えました。

 いつも以上に髪はわしゃわしゃで大あくびしています。服は相変わらずのぼろぼろで、さらに青いインクの染みだらけです。何か書きものをしていたようです。

 これまで野良に出ていた日々は活き活きしていたのに、なんだか赤銅色の肌まで少し褪せて見えます。王様は厨房の方へ行ったかと思うと、コップを手に、のそのそと戻っていきます。召使たちを呼んで持ってこさせればいいのに、お茶か何かを自分で取りに行ったようです。

 お姫様は王様がいなくなった後、侍女に言いました。


「その話し合いのときには王様はどんな服を着ているのですか」


 ご覧になりますか、と言われ、がらんとした衣装室へついていったところ、そこで見せられたのは、ぽつんとかかった式典服でした。ななんだかぱっとしない生地とかたちで、サッシュもリボンも、ピンでとめる勲章も今のところはないということです。

 でも、お姫様が残念に思ったのはそこではありません。

 この服がどこかから買ってきた、つまらないお仕着せに見えたからでした。

 衣類の流儀は国によって違います。

 王様や国のみんなが着ている粗末なシャツは、お姫様が知る限りの国々の服とは裁ち方も襟ぐりの形も裾も違います。ここでは婚礼などとても大事な儀式のときは、男の人は新しいシャツに長い上着を羽織ってきれいな色の飾り帯をつけ、女の人も新しい服を下ろして、その上から見事な織り模様の布をふんわりと巻き、さらにその上から飾り帯を何本かつけて長く垂らします。

 お姫様は最初、ここの人々が着ている衣類が、儀式の服にいたってもいかにも未開の地の人らしく粗野に見えたのですが、いつの間にかそれがしっくりきて、この人たちにはこれが一番似合って素敵だと思うようになったのです。


 王様はお姫様が見てきた男の人の中では一番体つきが立派です。

 こんなお仕着せより、この国なりの服のほうが見栄えがするはずなのです。


「今日からわたくしも野良には出ません」


 気がつけばお姫様は侍女に宣言していました。

 このころにはお姫様は自由に何をしてもよいことになっていたので、特に言う必要もないのですが、言わずにいられなかったのです。


「お願いです。腕のいいお針子を今すぐ十人ほど呼んでください」


 そしてすぐにお針子が集められました。お姫様はそのお針子たちを連れ、王様と同じように部屋に閉じこもって何かを始めました。

 何日か経つと、いろんな国章をつけた立派な馬車が何台もやってきました。いろんな国の名だたる賢臣たちが降りたって、これから数日お城に逗留するのです。しかし、お姫様はちょっと挨拶をしただけでそれ以上彼らと顔も合わせず、ずっと部屋に籠っていました。

 澄ました顔こそしていますが、彼らは王様が旅の疲れを労いもてなしたときもどこかしら馬鹿にした顔をするわ、この城のお客用の部屋に泊まって大威張りするわ、世話係の侍女たちの肌の色に文句をつけるわで、当然、召使たちには蠅や蚊のように嫌われていました。しかし、お姫様はそんな話に耳を傾ける余裕はありませんでした。

 

 話し合いの当日、たくさん勲章や金のモールやサッシュをつけた偉そうな人々が、

大広間の大きな大きなテーブルについていました。今日はここで話し合いです。席に置かれた文書には丁寧な図や数字、文章が書き綴られていて、一様に皆目を皿のようにして読み、ひそひそと話しています。

  そこへ王様がやっと現れました。

 おざなりに立ち上がって王様を迎えた人々は驚きました。

 昨年の王様ははどこの馭者の着古しかと思われるような礼服姿だったので、そこから先ず蔑むつもりでいたのですが、今年は全く違う服装です。

 真っ白いシャツにも、その上の黒の上着にも艶のある白い糸で刺繍がされています。それは麦と、畔に育つ草花を紋のように描き、この国に古くから伝わる模様と組み合わせたものです。飾り帯は、金糸銀糸が織り込まれ小さな宝石が縫い付けられています。そこに去年は失笑をかった古ぼけた剣が吊るされていますが、こうして見ると古色豊かな名剣に見えてくるのが不思議でした。

 服地に芯をできるだけ入れずに作っているので体の動きに沿い、はっとするほど美しい儀礼服で、王様によく似合ってした。

 にやっとして開口一番、王様は言いました。


「待たせて大変失礼した。ではさっそく議題に入ろう」


 様々な国の使者は口々に要求と交渉条件の提示を始めました。

 その話し合いの最中、お姫様とお姫様付きの侍女はカーテンの陰に作られた小さな控えの間で、じっとみんなの話を聴き、薄い布地から覗いていました。

 お姫様はいくつかの国の言葉や詩歌、お裁縫やおしゃれ、そしてこの国においてはあまり役に立っていない礼儀作法についてはしっかり知っていました。でもまつりごとのことはさっぱりで、みんなが何を言っているかさっぱりわかりませんでした。それで、恥を忍んで教えてもらおうと侍女を見、彼女の顔がいつもと違い、なんだか恐ろしいほど真剣な表情を浮かべているのに気が付きました。ときどき溜息を吐いたり唇を噛んだりしています。お姫様がここにいるのも忘れたようです。

 お姫様の訝し気な眼差しに気づいたのか、侍女が慌てていつものにこやかさを取り戻しました。


「申し訳ございません。多くの人の命がここにかかっているのでつい聴き入ってしまいました」


 それから食事や短い休憩を挟んで、話し合いは何時間も続きました。

 お姫様は厨房を、侍女はお給仕を手伝って中座しながらも、ずっと聴き続けました。ほとんど王様は喋らず、他の国の言い分を聴き続けています。お姫様はわからないなりに一生懸命わかろうとしていましたが、ついうつらうつらしてしまいました。


「嵌った!」


 侍女が独り言ち、お姫様は目を覚ましました。


「え? 何が起こったのですか」


 侍女はしてやったり、といった様子でとてもうれしそうです。


「今、王様が仕組んでいた筋書きに、全員が嵌りました。ここからは早いので、よく聴いておかれるとよいでしょう」


 侍女の言う通り、そこからは王様の独壇場です。

 過不足なくすべての国の言い分を纏めます。

 その論点を組み木のように噛み合わせ、やすりをかけてなめらかに丸めていきます。

 嘘を嘘だとあげつらわず面目を失わせないよう上手にいなし、国に帰って報告するときにちょっとだけいい気分になれるような譲歩もします。

 

 全体から見ると圧倒的に得をするのはこの国になるようになっています。かといってそれをひっくり返そうとするとどこかに大きな理不尽が出て諍いが起こるようになっているので……そしてちょっぴり手土産もないわけではないので、誰も何も言えません。

 こうやって王様はかっちりとすべての国の損得を組み上げ、そこで約定を交わしました。

 やっぱりお姫様にはよくわからなかったのですが、王様がとても賢い人で、この国にとって唯一の砦の役割をしているのだというのはわかりました。そして、腑抜けたようにぼんやりして、しばらく立てませんでした。

 それは、度を越えて素晴らしいものを前にしたときに言う、魂が抜けてしまう、という例えそのままでした。


 さて、よその国の使者たちを慇懃無礼に労ってお帰りいただいた日の夜、国中がてんやわんや、大変な慌ただしさでした。

 設えが一気に変わり、そこかしこに花が飾られます。

 まるで、お輿入れのときのようです。


「何が始まるのですか」


 お姫様が尋ねると、奥付きの侍女は晴れ晴れと答えました。


「これはこれは! 私としたことが申し上げておりませんでした。国を挙げての収穫祭の準備ですわ。収穫のお祭りは、姫様のお国でもなさるでしょう? 私たちの国では王様がを追い返した翌日にお祭りをやるということにしておりますので」


「ではもしうまくいかなかったら?」

 

「そのときはお祭りどころではないでしょう。だからお祭りができるのは、私たちの頑張りが報われたしるしです」


 侍女はうっとりと幸せそうです。

 ふと、お姫様は前々から思っていたことを尋ねてみました。


「あなたは、本当は何者なのですか」


「私は姫様付きの侍女ですわ」


「あなたは、ただの侍女ではない気がします。なんだか、いろんなことを知り過ぎているような」


「この城は召使の数もとても少なくて、一人一人が多くのことをこなしているのです。王様が農夫や灌漑掘りをしているのと同じですわ」


 侍女は今までに見たことのない風にやっと笑いました。少し誰かに似ています。


「姫様が王妃になられましたら、お話しする日も来るかもしれません」




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