第2話 ものごとのはじまり

 翌朝、お姫様は着替えの時に金や銀、宝石で飾られていない質素な服を支度されてまたまた驚いてしまいました。侍女たちが着ているのと大して変わらない、とても地味な服です。


「わたくしの服はどこですか」


 侍女はにっこりと答えました。


「お輿入れにお持ちになった服は着ないようにとの王様のお言いつけです」


 何と意地悪なことを、と思いながら、お姫様は木綿の質素な服に着替えました。鏡の中の自分は、まるで市場の物売り娘です。

 侍女は杖を王女様に手渡しました。


「お食事の支度ができております。食堂へお越しくださいませ」


 お姫様は不承不承に杖を突いて歩きだしました。そして、気づきました。

 体が軽いのです。

 杖を突いて歩いてもふらふらよろよろだったのが噓のように足さばきも杖さばきも楽なのです。

 侍女は言いました。


「毎日お召しになっていてお気づきにならなかったのでしょうが、姫様のお持ちになったお召し物は鎧と同じくらい重くて、温かくも涼しくもなかったのです」


 本当は、お姫様は、この平民の服の着心地と軽さには悪くない心持ちでいたのですが、由緒正しい王家の娘として、それを認めてしまってはいけない気もします。だから、少しツンとして言ってみました。


「鎧と同じように重いのなら、きっと鎧のように、わたくしの体も、王女としての尊厳も守ってくれていたはずです。この服では危ないではありませんか」


戦場いくさばでもないところで鎧をつけているなんて、縛られて暮らしているも同じですわ。お困りのとき、ご自身で立ち上がることがお出来になる方がよろしいかと」


 それを聞いてお姫様は、王様の意地悪な言いつけと侍女の説得があったからこの服で我慢してあげるのだ、と自分に言い訳し、少し安心しました。


 朝食の席に王様はいませんでした。とっくに野良へ出て仕事をしているというのです。

 王様が、です。

 一番偉い人のはずなのに、です。

 お姫様はお給仕の者に何度も聞き返してしまいました。

 お昼近くになって野良着姿の王様が帰ってきました。王様は、貧相な身なりのお姫様を見て臆面もなく言いました。


「うん、よく似合っている。可愛らしいぞ」


「そうでしょうか」


「ごてごてした服着てたおまえは、木偶でく人形みたいだったからな」


「そう……なのでしょうか」


 そこへ侍女が進み出て、さっそく王様に尋ねました。


「靴の泥は落としましたか」


 王様に対する態度というより、やんちゃ坊主を注意する教師のような口調です。


「今日はちゃんと落としたぞ」


 王様はちょっと得意そうです。でも、靴以外は泥だらけでした。

 侍女はお姫様に囁きました。


「王様はいつも泥靴でうろうろなさるので、もし見かけたら姫様もしっかり王様をお叱り下さいませね」


「わたくしが?」


「はい。それが姫様のお役目の一つです」


「あーあ、口やかましいのが増えるのか」


「えっ、わたくしはそんな……」


「ちゃんとやってくだされば私も姫様も口やかましくは申しませんよ」


 王様は、やれやれといった顔です。王様は、お姫様にお城の中と庭を見て回ってどこに何があるかを覚えるようにと言い残して、また出掛けてしまいました。そこで、お姫様はこつこつと杖を突いて、侍女の案内でいろんなところを見て回りました。故郷ではお城の奥でひっそり暮らし、お輿入れの道中もずっと馬車に乗っていてほとんど歩いていなかったお姫様は、ちょっと歩いただけでへとへとです。

 この国へやってきて、二日目と三日目はこんな調子でした。

 

 四日目の朝食後、お城の中も庭も覚えてしまったお姫様は特にすることはありません。それで、手持ち無沙汰にしていると、朝の仕事に一段落をつけて戻ってきた王様と鉢合わせしてしまいました。王様は、なぜか草のきれっぱしが入った小さな籠を持っていて、お姫様に渡しました。そして、きょとんとしているお姫様に見せたいものがあると言いました。

 お姫様が王様についていくと、やさしい目をしたロバが一頭、回廊の柱に繋がれていました。その脇には粗末な鞍が置いてあります。

 訝しんでいるお姫様に、王様は籠の中の草はアザミの芽で、ロバの好物なのだと教えました。このぼさぼさしたけだものに与えろというのです。

 ロバは食べたそうにじっと見ています。

 お姫様は籠のまま食べさせようとしましたが、王様は手から食べさせろと言います。手を嚙みちぎられたらどうしようと思うととても怖かったのですが、王様は有無を言わせぬ顔つきです。お姫様はどきどきしながら、言われたようにアザミの芽を一つ摘み、そっとロバの前に出しました。この毛むくじゃらのけだものは噛みつくこともなく、むしゃむしゃと食べてしまいましたが、そのとき大きな舌がお姫様の手に触れ、よだれで濡れました。しかし、お姫様は汚いと思う余裕もなくぼーっとしています。この怖いけだものが、自分の手からものを食べ、喜んでいることが信じられなかったのです。そして、もっと欲しい、とこちらへ首を伸ばしてくるロバを見ると、じわっとうれしくなりました。

 お姫様はほんの子どものように、笑顔で王様を振り向きました。王様はしたり顔でうんうんと頷きます。

 籠のアザミをすべてあげてしまうと、今度は王様は、ロバにブラシをかけるように言いました。

 触ると嫌がるところ、強めにごしごしやると喜ぶところなどを教えてもらって、おっかなびっくりですが何とかお姫様はブラシをかけ終えました。ロバは喜んでお姫様の胸に頭を擦り付け、お姫様は悲鳴を上げて転んでしまいました。王様はもう立っていられないくらい笑って、それからお姫様を助け起こしました。


「こいつはお前が気に入ったそうだ。もっと撫でてくれ、だとよ」


 お姫様は感じたことのない気持ちでした。

 ロバが怖いのと、ちょっぴり可愛いのと。

 王様にすごく笑われたのと、この人を笑わせるのは案外悪い気はしないのと。

 王様はロバの背中に鞍を置き、お姫様の杖を脇に括りつけました。


「じゃあ、乗れ。行くぞ」


 おろおろしているお姫様を、王様は人形のように軽々と持ち上げ、ぽんと鞍の上に座らせました。お姫様は恐ろしさで固まり、ロバは訳知り顔でとことこと歩き始めます。馬車しか知らない身にとっては思った以上の揺れで、お姫様は慌てて鞍の前橋ぜんきょうに掴まりました。

 王様は手綱をとって歩いています。

 お城を出て、貧しくも活気に溢れた街を通ると多くの人に馴れ馴れしく声をかけられます。王様は快活に返事し、お姫様は内心びくびくしながら会釈しました。そして、小さな声でお姫様は王様に尋ねました。


「あの、一つ伺いたいのですが」


「いくつでもいいぞ」


「街の人々はなぜ、礼儀を知らないのでしょう。言葉遣いや態度が、王様に対して不敬ではありませんか」


「ああ、俺は王と言うより、一平民から担ぎ出された世話係みたいなもんだからな。あんなもんでいいんだ。国なんて最初は烏合の衆から始まってるし、お偉い王族だってもとを辿ればその辺の人だろ?」


 そう言われればそうなのです。

 お姫様はそんなことを考えたことがありませんでした。王様は続けます。


「うちは別に国にならなくてもよかったんだ。まともに統治してくれる国があればそっちへ組み込まれてもよかった。その方がはるかに楽だったと思う」


「では、なぜそうなさらなかったのですか」


「他の国に組み込まれると楽だってのは、まつりごとを机上で考えるときの話でな。実際はそううまくはいかん。よく考えろ、この辺りに、俺たちみたいな肌の色の人間を、まともに扱う国があるか? 同じ人間として対等に見てくれるか?」


 ロバを引いている王様の顔は見えませんでしたが、お姫様ははっとしました。お姫様自身が、肌の色の違う人を貶めてきた側の人間であるということに気づいてしまったのです。道端の人々は二人が何を話しているか気づかずに賑やかに挨拶してきます。お姫様は苦しい気持ちになって俯きました。王様はいちいち手を振って人々に答礼しながら、話を続けました。


「俺たちは、戦やら圧政やら、いろんな理不尽から逃げてきた人間の集まりでな。出身とか肌の色とかは気にしないんだ。肩を寄せあって荒れ地を開拓して、やっとうまく行き始めたとこだ。そんで、この場所を奪われたり逃げ出したりしなくていいように立ち回ってたら、国になっちまったってわけだ。ははは、こんな前途多難なとこに連れてこられて、おまえも大変だな」


 王様は固い話を和らげようとしたのか、それともお姫様がしゅんとしてしまったせいか、最後はおどけた口調になりました。

 お姫様が静かになってしまったので、今度は王様が質問する番です。今までどんな暮らしをしていたのか、何が好きで何が嫌い、何ができて何ができないのかを尋ねられ、お姫様は正直に答えました。王様は何でもうんうんと聞いています。他愛もない自分のことを興味をもって聞いてくれるなんて、父君母君にもなかったことです。お姫様は、ロバの背にいることが怖くなくなっていました。

 雑然とした街を抜け、しばらく歩いていくと、一面の麦畑に出ました。本当に見渡す限り、穂が出始めた青い麦です。

 風が吹くと麦が揺れて、畑全体がビロードのように光ります。緑の輝きに風の軌跡がはっきり見えます。


「きれい」


 お姫様は見とれてしまいました。

 これほどまでに美しいものは見たことがない気がします。


「俺もそう思う」


 王様もロバも立ち止まって、お姫様に感嘆する時間を作ってあげています。


 また少し行くと、百姓のおかみさんたちが木陰で一休みして、お昼を食べていました。


「さて、ここで降りるぞ」


 王様はお姫様をロバから降ろすと、おかみさんたちに言いました。


「おい、このお姫さんに手伝わせてやってくれ」


「えっ」


 あまりにもいきなりでお姫様は持ってきた杖をぎゅっと掴みました。


「あの、わたくしは足が悪いのでお手伝いはちょっと……」


 おかみさんたちは、その言葉も聞かず、わいわいとお姫様を取り囲みました。


「あらかわいらしい! お人形さんみたい!」

「遠い国から来たばかりで大変ねえ、ちゃんと食べてる?」

「ねえ、うちのパン食べてみてよ」

「じゃあ、うちの蜂蜜をつかうといいわ」


 お姫様は早速座らされました。肌の黒いおかみさんの白い掌からパンをもらい、麦わら色のおかみさんからは茹で玉子をもらい、といった調子でおろおろとしているお姫様に、王様は言いました。


「何か言うことがあるんじゃないのか」


「えっ」


「人に何かをしてもらったら何て言うんだ?」


「ありがとうございます……」


「俺に言うな、そこの親切なご婦人がたに言え」


 お姫様は、おかみさんたちにお礼を言いました。おかみさんたちは、お姫様ににこにこして見せ、王様には、お姫様にはもっと優しい言い方をしろと食って掛かりました。王様はわかったわかったと適当にいなし、お姫様にあのロバは夕方の鐘が鳴れば自分で城に戻ってくるから乗って帰ってくるように、と言うと、すたすたとどこかへ行ってしまいました。わたくしには無理です、とお姫様は叫びたかったのですが、王女は叫び声なんか上げないものなので、泣きそうな顔をしただけでした。

 杖をついていてもできる仕事なら、とおかみさんたちが任せてくれたのは、麦畑の縁に植わっていたすももの木から、熟れた実をもぐことでした。

 お姫様は何度か転んで、体ですももを二つほど潰してしまいましたが、頑張って手が届くところはみんなもいで、籠に入れました。幹にしっかり掴まれば、踏み台に乗るのもそこまで怖くないということもわかって、お姫様がぐっと手を伸ばすと、おかみさんたちは大仰に声援を送りました。


「皆さんの方がなんでも上手にできるのに、なぜわたくしを褒めるのですか」


 そう言うと、おかみさんたちはこう返事しました。


「初めてやってみたことを褒められたら、もっと頑張ろうって思えるでしょ? あたしたちも、あたしたちのだんなも、姫様をあたしたちに預けたあの王様もみんなそれは同じ。そうやって何でもうまくなっていくのよ」


 その日の夕方、踏み台の使い方がうまくなったお姫様は、ロバの背に何とか乗れました。途中まではおかみさんたちと連れだって、そして街に入るとお姫様は一人です。でもそんなに怖くはありませんでした。ロバはとても落ち着いていて頼もしく感じましたし、門のところで、王様が檻に入れられたライオンのようにうろうろしているのが見えたからです。深窓の姫君に無茶をさせたという気持ちがあったのかもしれません。


「ただいま戻りました」


 お姫様はロバから降ろしてもらって帰りの挨拶をしました。


「お疲れさん。畑仕事はどうだった」


「楽しかったです。みんなによくしてもらいました。明日は、わたくしもなにかおいしいものを持って行ってふるまいたいのですけど、よろしいでしょうか」


「よろしいよろしい。厨房の連中と相談しとけ」


 王様はロバの鞍に結わえられた麻袋に入った十個ほどのすももとお姫様の服についたくだものの汁とに気づきました。


「おまえ、えらくいい匂いがするな」


 お姫様は王様が自分のすぐ近くでそう言ったので、ほっぺたが少し熱くなるような気がしました。

 

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