第48話 浅野昴、出番なし
瞬時に反応したのは谷田部だった。
数秒でケントに追いつき、後ろから羽交い締めにする。いつの間にか集まっていた野次馬も、ケントを取り押さえるのに参加し、黒いスーツの群れがケントの周りを覆っていた。
昴はそれを確認すると、すぐに梨花に電話をかけた。会社にいたらしい梨花は、すぐに行くと言った通りに、コートも着ずに数分でやってきた。カツカツとハイヒールの音を響かせ、豊満な胸の下で腕を組んで、黒スーツの群れの前で立ち止まった。
背後からたちこめるドス黒いオーラに、黒スーツの集団はモーゼが海を真っ二つに割ったかのように、ザザザと音をさせて横に避けた。
梨花は、その美貌の顔に冷たい笑顔を纏い、目だけに怒りに燃やしケントを睨みつけた。
「あなたね、私の可愛い沙綾に不埒な真似をしたのは」
まるで歯軋りが聞えそうなくらいドスの利いた声に、辺りはしんと静まり返る。ケントは逃げる気も喪失したのか、ボカンとして梨花を見ていた。
「神崎さん、あなたの部下が沙綾のことをこの男に漏らしたみたいですよ」
「なんですって?! 」
「寺井さん、さっき撮った動画を神崎さんに見せてあげて」
「は、はい! 」
結菜が両手で献上するようにスマホを差し出すと、梨花はその動画を見てみるみる眉毛と目が釣り上がっていった。
「伊藤健人、24歳。本籍東京都〇〇〇市、無職。父親静夫、55歳。△△工場勤務。母親喜美子、54歳。服飾店でパート。兄弟なし」
暗記していたのか、梨花がケントの個人情報を大声で話し出す。
「な、な……」
「自宅近くの市立の幼稚園、〇〇〇小学校、〇〇〇中学校卒業、高校は都立□□高校入学。途中2回留年するが卒業できず。最終学歴は中卒。趣味でバンド活動をしているが、ライブ活動は3回のみ。集客率15%から17%、つまり身内しか聞きに来ていないのね。短期のアルバイトをたまにしているが、今は無職。実家でスネかじり」
「ウワアッ、24で親に養って貰ってるとか恥ずかしい」
結菜が軽蔑の視線を向け、野次馬の女子達もザワザワしている。
「う、うっせーよ! 」
「ちなみに、父親の務めてる工場は、KANZAKIの下請けの下請けだから。あと、母親のパート先はうちの親戚がやってるアパレル会社が卸してる店だわね」
「は? 」
「ご両親が無職になったら、家族皆仲良く無職ね」
梨花がニッコリと微笑むと、ケントの顔色がどんどん悪くなる。
「そんな訳……」
「ご両親に聞いてみるといいわ。ちなみにうちの叔父、神崎和成。アパレル会社KKのデザイナー兼社長だから」
「えっ?! あんた、カズの親戚だったの?! なのにそのセンスって……」
結菜にジロジロと上から下まで見られて、沙綾は居心地悪そうにモジモジする。
カズというのは神崎和成のデザイナー名で、ブランド名にもなっている。ちなみに沙綾の洋服にもカズの物は沢山あるようだが、可愛すぎて着れないと、沙綾がカズの洋服を着ているのを昴は見たことはなかった。
「おじさんの洋服は可愛すぎるんですよ」
「可愛い格好を他の男に見られるのは嫌だから、部屋着で着て欲しいな」
「カズって、そこそこハイブランドじゃなかったっすか? 」
「そうよ。それを部屋着にしろとか、浅野さん頭沸いてるとしか思えない。部屋着にするくらいなら私が欲しいわよ」
ほんの少し前までは、昴のことを身体で落とすとか言っていたらしいが、もう綺麗さっぱり昴のことは眼中にないらしい。それは喋り方や態度からもよくわかる。
「もし良かったらいいですよ? 着ないのももったいないので」
「本当?! やだ、あんたってば実はいいやつじゃないの。今度家に遊び行くわ。いつにしよっか」
スマホのスケジュール管理アプリを出して日程調整しようとする結菜に、沙綾は「いつでもお休みは暇です」と返し、昴は「二人の時間が減る! 」と不機嫌さを全開にする。そんな三人を呆れた顔で見た梨花は、話をケントのことに引き戻した。
「お友達が出来て良かったけど、今はこっちの話をしましょうか。沙綾、あなたはどうしたい? この、伊藤健人君、恐喝と暴行未遂で警察に突き出してもいいし、叔父さん達に手を回してもらってみんなお揃いの無職一家にしてもらってもいい」
沙綾は首を横に振った。
「二度と私の前に現れなかったらそれでいい」
「ハァー、沙綾は本当に優しいんだから。あんたの数年間をズタボロにした奴なのに……。伊藤健人君、聞いた?あなたはどれを選びたい? あくまでも沙綾に執着するなら、犯罪歴をご所望かしら? それとも経済的制裁がご所望かしら? 」
ケントはブンブンと首を横に振った。
「二度と沙綾の前に……」
「沙綾?! 」
「沙綾さんの前に現れません」
「了解。じゃあ、事務所でちゃんと誓約書を書いてもらおうかしら。ちゃんと法的拘束力のある手順で」
ケントはぐったりと項垂れると、梨花に促されて歩き出した。ケントの後ろは、梨花の後ろかに控えていた弁護士事務所の面々が固めた。
野次馬達の数人(主に中年以降の男性会社員)は忘年会の会場になっているホテルへ足を向けたが、ほとんどの者達は昴達をチラチラ見ながら散会せずにいた。
「浅野さん、浅野さんの彼女って……」
野次馬の中から、若林寧々と松尾佳奈がオズオズと出てきた。
「そう、この神崎沙綾よ。びっくりよね」
「結菜、あなたこのこと知ってたの?!」
「まぁ、最近ね」
「だってあなた……」
「あ、結菜ちゃんは今は俺の彼女だからね……って痛ッ」
谷田部が結菜の肩に手を回し、結菜に思いきり手の甲を抓られていた。
「浅野さんは……この子にお似合いだと思うわ」
「そんな訳ない! ……って、佳奈も言ってたよねぇ? 」
沙綾がKANZAKIの関係者であると思い出したのか、若林は思わず出てしまった言葉を松尾のせいにする。
「寧々! 」
「だって、佳奈言ってたじゃないのぉ。神崎は仕事もトロいしぃ、いるだけで目障りだってさぁ。マジ、早くクビにならないかって、わざと神崎の仕事ミスしたりしてるってぇ」
「してない! 言ってない! 嘘ばっか言わないでよ! 」
言い合いを始めてしまった二人に、沙綾はどうしたらいいのかと昴を見上げる。
「まぁ……ほっとけばいいんじゃないかな? 沙綾は忘年会行かないんだろよね。家まで送ってくよ」
「大丈夫です。途中でお夕飯食べてから帰ろうって思ってたし」
「何よ、忘年会で食べればいいじゃないの。どうせ立食なんだから、サクッと食べて帰ればいいわ」
「そうっすよ。忘年会は無礼講だから、上司に挨拶とかする必要ないし、ただ飲みただ食いっす」
「いや、一応会費あるからね」
「2000円とか、あのホテルの立食食べれる値段じゃないっすよ」
「忘年会参加するんなら、絶対に俺の側離れないでね。もう今日ので沙綾が俺の彼女だってバレただろうから、もう隠さなくて良いよね? 」
昴は、しっかりと沙綾の手を握って恋人同士をアピールしした。まだギャーギャーやっている若林と松尾はおいて、忘年会をするホテル方面へ四人で歩き出した。
「ウワッ、浅野さん顔がニヤケ過ぎですよ」
「だって、これで表だって他の男に牽制できるし、会社で話しかけたりもできるから」
「だからって、会社でイチャイチャとかしないでくださいね」
「え? うちは社内恋愛禁止じゃないよ」
結菜と谷田部は信じられないものを見る目で昴を見た。
「まさかとは思いますが、社内でイチャイチャするつもりじゃないですよね? 常識ある大人として」
「……イチャイチャってどこまで?例えば……ハグしたりキスしたりとか?それはさすがに人目のないところでするよ」
「人目がなくても会社は駄目です」
沙綾が耳まで赤くして消え入りそうな声で言う。
「非常階段とか、西階段はおすすめっすよ。逆に会議室は駄目っす。何気に女子がチョロチョロしてますから」
「何をすすめてるのよ! とにかく、そういうふうに手を繋いだりとかですよ」
いづれ役に立つかもしれないと、昴は谷田部の言ったことを頭にメモしておく。
今回のことは沙綾には怖い思いをさせてしまったが、完全に自称元カレを排除できたし、あれを見ていた誰かが昴と沙綾の関係を大体的に広めてくれるだろうから、結果的には良かったんだろう。
そして夕飯を食べるだけと、沙綾が忘年会に参加したことにより、爆発的に二人の関係は周知されることになった。しかも、昴が沙綾にべた惚れという、沙綾にしたらいたたまれない方向で。
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