第47話 神崎沙綾、また捕まる
年末の仕事納めの日、沙綾の会社では恒例の大忘年会がある。この日ばかりはどの部署も残業を禁止し、できる限り出席するようにと推奨している。
沙綾はこの日も定時上がりだったが、別に忘年会に参加する予定ではなかった。昴は忘年会に顔を出すとは言っていたが、二次会などには出ずになるべく早く帰ると聞いている。
今日は一人で夕飯だし、何か食べて帰ろうかと考えながら会社を出た瞬間、ガシッと腕をつかまれた。
驚いて振り返ると、ケントがやや引きつった顔で立っていた。いつものニヤニヤ笑いや人を見下したような表情はなりを潜め、似合わない安そうなスーツを着ていた。
「は……離して」
「話がある」
「私はありません」
「俺! おまえと別れたつもりはないから!! 」
「ハ? 」
いきなりのケントの爆弾発言に、沙綾は思わずマジマジとケントを見てしまった。
「おまえ、いきなり転校とかして、別れ話もなんもなかっただろ。だから、俺は別れたつもりはない。だから、おまえは俺の彼女だ」
何を突然?
沙綾は言葉も出なかった。
7〜8年も前のことだし、言ってしまえば沙綾はケントに纏わり付かれて賭けの対象にされただけで、付き合いに応じたことは一度もなかった。
彼女であったことは一度もない。
それが沙綾の認識だった。
「私……付き合うなんて一言も言ったことなかった……です」
「ハアッ? 意味わかんね。付き合おうっつったら、おまえOKしたじゃんか」
「してません。付き合おうも言われてません」
「俺らデートもしたし、チューだってしたろ。セックスはしなかったけど、その手前まではしたよな?! あれで彼女じゃないとか、なに? 俺が遊ばれた感じ? ゲロ地味子のくせに」
「連れ回されただけです。私の意思じゃない……です」
会社の人間が通り過ぎて行く中、沙綾はケントに腕をつかまれたまま怒鳴られる。沙綾は一応反論はするものの、身体は震えて蚊の鳴くような声しか出なかった。
みな、沙綾達に一度は視線は向けるものの、忘年会の時間が迫っているせいか誰も仲裁に入ってくれない。
「とにかく! おまえは俺の彼女だから。なんなら結婚してやってもいいぜ。おまえみたいなん、誰も相手しないだろうしな。おまえ、この会社の社長の親戚なんだろ? ちょちょっと口きいて、俺のこと雇ってもらってくんない? おまえの為に音楽諦めて、定職についてやるからよ」
会社の人間にすらバレていないのに、なんでケントに沙綾の親戚のことがバレたのか?
この男が意味不明なことを言い出したのは、沙綾の素性を知ったからで、沙綾に利用価値を見出したのだろう。
「……ちゃんと彼氏います」
沙綾は、お腹に力を入れてハッキリと言った。唇は震え、涙が溢れそうになるが、必死に我慢してケントを睨みつける。
昔、人見知りで人の目を見て話すことができなかった沙綾は、ノーと言えなかったからケントに好き勝手されたのだ。今度こそはしっかりと意思表示しなければならない。
「誰だよ! 呼んでこいよ! そんなんいるわきゃないだろ!! 」
「呼んだ? 」
沙綾の腕をつかんでいたケントの手を引き離した手が、沙綾を引き寄せて抱き締めた。嗅ぎ慣れたグリーンウッドの香りに、沙綾は我慢していた涙が溢れた。
「あんた……」
「沙綾の彼氏の浅野だけど。前も会ったよね。なに人の大事な彼女に触ってくれてんの? ってか、接触禁止宣告受けたよな? 弁護士から話がいった筈だけど」
「じ、自分の女に会うのの何が悪い!おまえみたいな男が、こんななんの取り柄もない地味な女に惚れる訳ねぇだろ。ってか、こいつ使ってコネ入社でもしたのかよ。てめえも勘違いしてんじゃねえぞ。てめえに価値なんかねぇんだからな! 」
「クソがッ!! 沙綾は俺の彼女だっつの! 」
昴がケントの胸ぐらをつかんで殴ろうと腕を振りかぶった時、その腕を谷田部に止められた。
「浅野さん、暴力は駄目っす! 」
「そうです! 浅野さんが殴ったら、浅野さんが捕まっちゃいますよ」
谷田部の後ろには結菜もおり、スマホで動画を撮っていた。
「沙綾への暴行未遂、暴言吐いてたから名誉毀損とかの証拠もバッチリ撮れてます。これ、警察に持っていけば、証拠はバッチリですよね」
「な……」
「それ、俺のスマホに送ってください。神崎さん……沙綾の従姉の神崎さんに後で動画送るので」
「浅野さん、私は浅野さんのアドレス知りませんよ。だから今回だって谷田部さんに連絡して浅野さんに連絡してもらったんですから。あぁ、でも別に浅野さんのアドレスはもう知りたくもないので、沙綾のスマホに送っておきます」
どうやら、ケントにからまれている沙綾を見かけた結菜が谷田部経由で昴に連絡してくれたらしい。しかし、ちょっと言い方が酷い気がするが、特に気にした様子のない昴は、「それでよろしく」と口調も素っ気ない。
昴の体温に包まれ、結菜の軽口を聞き、沙綾の涙も引っ込んできた。
「あ、沙綾の従姉の神崎さんって弁護士さんだから。うちの会社の顧問弁護士の一人だけど、沙綾の為に個人的に動いてくれてる。君に連絡した弁護士、神崎さんの事務所の人だから。沙綾に何かあれば、彼女がすぐに対処すると思うよ」
昴は、沙綾の余計な情報を漏らしてしまったであろう弁護士に内心舌打ちしながら言った。それこそ、梨花にクレーム物の案件だ。
「あれ、警察にも親戚いるとか言ってなかった? 従兄弟紹介してって話した時」
「いますね。伯父と従兄弟二人が警察関係です」
四人で飲んだ時に、結菜に公務員の従兄弟はいないのかと聞かれ、警察関係者ならいると答えていた。
「警視庁の人だっけ? 」
「警視庁じゃないですよ。警視の長。役職名です。母方の伯父ですね。従兄弟は警視……だったかな? 」
警視庁と警視長を混同しているようなので、今の話の流れとは関係ないが訂正しておく。
「なんか凄そうな親戚関係っすね。神崎さんになんかあったら、警視長と警視が動くんすね」
「まさか……公私混同は……しないと思いますが」
沙綾は過保護な親戚の面々を思い浮かべた。
沙綾が心身共に病んだあの時期、神崎の親戚はお金の力で、須賀家(母方の実家)の親族は国家権力で沙綾をあのような状況においやった人物達を特定し、社会的に抹殺しようと動いたらしい。
しかし、沙綾が頑としてケントの名前をいわなかった(口に出そうとすると嘔吐してしまう)のと、あまりに沙綾が同級生に認知されておらず、存在すら知られてないか、全く興味ももたれてなかった為、沙綾が誰と何があったのか、イジメられていたのか、そうでないかすらわからなかったそうだ。
それこそだいぶたってから、アバウトな内容のみを沙綾がポツリポツリと話せるようになり、なんとなく概要は把握したものの、やっとその出来事を乗り越えようとしている沙綾に詳しく話せとも言えず、親戚一同見守ることにしたとか……。
「他の人達はわからないけど、
「それは社長もですね。姪っ子ちゃんが沙綾だって知らなかったから聞き流してたけど、姪っ子ちゃんが可愛くて仕方ないとか、アレやコレやプレゼント買おうとして怒られたとか、やっすいネクタイピンを見せびらかして、姪っ子ちゃんから貰ったって自慢してきたり、常に姪っ子ちゃんネタを突っ込んでくるんですよね。だから、うちら秘書課の人間は、社長の機嫌が悪い時は姪っ子ちゃんネタをふれってのが鉄則です」
なんか、伯父がすみません。
そして、そのやっすいネクタイピンは、初めての給料で買ったやつだと思います。実際、値段はお手頃価格でした。
沙綾が気まずげにネクタイピンの値段を思い出していると、いきなりケントが脱兎のごとく逃げ出した。
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