第44話 浅野昴、期待する

 今日はクリスマスイブ。

 世の中はクリスマス色一色だが、平日の為今日ももちろん仕事だ。


「浅野さん、今日飲み会があるんですけどぉ、いかがですかぁ」


 営業事務の若林寧々が、クネクネとシナを作りながら言ってきた。

 昴は若林の方を見ることなく、出来上がった企画書を部長にメールしてからパソコンの電源を落とした。


「今日は彼女とクリスマスするから無理かな」

「エーッ、ほんの一時間くらい良くないですかぁ? せっかく今日はいつもより早めに終わったんですしぃ」

「いや、彼女とクリスマスのが大事でしょ」

「じゃあ三十分」

「刻んでも無理なものは無理だから」


 昴が帰り支度をしている横で、若林は昴の袖を引っ張って「行きましょうよぉ」と上目遣いで可愛らしさをアピールしている。そこへ帰り支度もすんで、後は帰るだけになった谷田部がやってきた。


「お疲れ様っす。あれ、浅野さんも飲み会行くんすか? 」

「行く訳ないだろ」

「ですよね。可愛い彼女がおうちで待ってるのに、クリスマス合コンとか有り得ないっすよね。俺も彼女はいませんけど、さすがにクリスマスに合コンは侘びし過ぎて嫌っすね」


 ただの飲み会ではなくて、合コンだったのかと、昴はうんざりとしたため息を吐く。会社は社内恋愛禁止ではないから、恋人のいない者達が積極的に合コンを開催しているのは知っていた。


「若林さん、彼女持ちを合コンに誘うのはどうかな? 彼女に疑われて逃げられたら嫌だから、合コンとか絶対にありえないからね」

「浅野さんなら、逃げられても地の果てまで追いかけて行きそうですよね」

「そんなことありえな……」

「そうだね。縋り付いて泣き落とすだろうな」


 わざとらしくブルブル震えて言う谷田部に、馬鹿なことを言うなと若林が一睨みしたところで、昴は若林の言葉に被せ気味に頷く。


「ですよね。浅野さん、彼女の前では人格変わりますもんね。もう、足の先まで舐めそうな感じ」

「それ、ご褒美でしょ」


 昴の恍惚とした笑顔に、言った谷田部までドン引きし、若林は目を見開いて硬直している。


「いいんすか、こんなとこで無駄話してて」


 いち早く復活した谷田部が時計を指し示すと、昴は慌てて鞄を持って立ち上がった。


「じゃ、また明日。若林さん、今日は平日だからあまり羽目を外さないようにね」


 スキップする勢いで帰って行った昴をあ然と見守っていた若林は、谷田部のネクタイを力いっぱい引き寄せた。


「グエッ! 首しまるから。ってか、顔近ッ! なに? 仕事場でチューはまずいっしょ」

「谷田部さん! 浅野さんの彼女に会ったことあるんですか?! 」


 いつもの語尾をわざとらしく伸ばした喋り方ではなく、どちらかと言うとドスの利いた声で若林は谷田部に迫った。


「……まぁ、あるっちゃある……かな? 」

「誰?! 何課の人?! 」

「いやぁ、俺からは言えないなぁ」


 若林がグイグイとネクタイを引っ張り、あわや顔と顔がくっつきそうになったところで、谷田部のネクタイを横からひったくる手があった。


「あんたら、何してんのよ」

「結菜ちゃん! 」

「まったく、おっそいっつうの! 」


 結菜は谷田部のネクタイを整え、谷田部の胸をドンッと小突いた。


「ごめんて。今日は俺のおごりだから」

「当たり前でしょ! わざわざクリスマスに谷田部さんに付き合ってあげるんだから」


 結菜と谷田部のやり取りを横で見ていた若林は、「エッ? エッ? 」と言いながら二人を交互に見、結菜が谷田部の腕に腕をかけて引っ張った途端、「エーッ?! 」と大きな声を上げた。


「寧々うるさい」

「だって、結菜、浅野さん以外カスとか言ってなかった?! 」


 結菜はちょっと斜め上を見ると、綺麗な顔を歪ませて鼻を鳴らした。


「あー、浅野さんがカスだった……みたいな」

「酷えな、結菜ちゃん」

「だって、あれ、沼でしょ。浅野さんの恋愛沼過ぎる。私にはちょっと重いし無理」

「……そんななの? 」


 結菜は沙綾の名前を出さずに、先週四人で飲んだ時の話を若林にする。


「とにかくね、浅野さんがべた惚れ過ぎるの。私はもういいや」

「結菜ちゃんには俺がいるしな」

「いや、谷田部さんは暇つぶしだから」


 この後、結菜と谷田部は二人で飲みに行き、若林はクリスマス合コンで昴の恋愛沼話を暴露して、その日のうちにその話は会社中に広がった。


 そんなことは知らないし、知ったとしても気にしない昴は、早足でマンションに帰宅した。鍵を持っていたが、チャイムを鳴らして沙綾が鍵を開けてくれるのを待つ。


「おかえりなさい」

「ただ……」


 ドアを開けてくれた沙綾を見て、昴は思わず言葉をなくす。


 サンタ帽をかぶり、黒いニットのワンピースを着た沙綾は、控えめに言って最高だった。欲を言えば、ミニスカサンタの衣装なんか着てくれたら……、いや、多分理性が保てる気がしないからそれは駄目だ。


「ど……どうしたの、それ」

「クリスマスですから」

「うん、クリスマスだね」


 沙綾は、昴の手に別のサンタ帽をのせる。


「ケータリングの食事届いてますよ。先にお風呂入ってきてください」

「沙綾は? 」

「お先にいただきました」

「残念、一緒に入りたかったな」

「……冗談は止めてください」


 昴は沙綾にグイグイ押されて風呂場に直行させられる。すでに部屋着や下着は脱衣所にスタンバイされていた。


 なんか、夫婦みたいだな。


 昴は身体を洗ってから湯船に浸かり、幸せを噛みしめる。

 電気のついた部屋も、ただいまと言えばお帰りなさいって返ってくることも、二人で食べる食事も。今までになかった穏やかな日常。


 あとは……もっと積極的にイチャイチャできて、あわよくば毎日一緒の寝室が使えれば……ぶっちゃけ毎日セックスできたらいいなって!!


 穏やかな日常とは必ずしもイコールにはならないかもだけれど、正直な昴の切なる願いだった。

 あの、歯がガチッと当たるキスも新鮮だったが、本能のままに喰らい尽くすようなキスがしたい訳だ。そのままの流れで……って、ヤバイから。こんな時に元気になってる場合じゃない。


 下半身に手を伸ばそうとした時、脱衣所のドアがガチャリと開いた。


 エッ? 一緒な入ってくれる感じ?!


「浅野さん、着替えおいときますからね」


 あれ? さっき置いてあったよな?


「お風呂出る時、呼び出し押してください」


 まさか、手ずから身体を拭いてくれるてか?!


「料理、温め始めますから」


 そういうことな。


「あー、うん。もう出るよ」


 期待が裏切られたと同時に、昴のスバル君もクールダウンされる。

 沙綾が脱衣所から出たのを見計らって、昴は湯船から出た。バスタオルで身体を拭き、沙綾が持ってきてくれた部屋着に目をやると……。


 ずいぶん派手だな。真っ赤な上下……って?


 衣服を手に取り広げると、それは紛れもなくサンタの衣装だった。髭はないが、さっき手渡されたサンタ帽ものっていた。


 俺がコスプレかい?!


 パンツいっちょで出ていく訳にもいかないから、しょうがなくサンタの衣装に袖を通した。髪の毛を乾かして帽子もしっかりかぶる。角度も調整してバッチリだ。(渋々の体で実はノリノリ)


 リビングに向かうと、テーブルはすでに料理が並べられており、キッチンからは……トナカイのコスプレをした沙綾が出てきた。


 ここは沙綾がミニスカサンタのコスプレで、自分がトナカイではないんだろうか?

 いや、赤い鼻をつけた沙綾も十分可愛いし、トナカイの衣装はタイツ生地だから、これはこれで最高かもしれない!


「沙綾、可愛い! 」


 思わず沙綾のトナカイの赤い鼻にキスしてしまう。当たり前だが、感触はプラスチックだった。



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