第38話 浅野昴は憤る

「思ったよりも早く終わったっすね」

「そうだな」


 今日は残業で遅くなる筈が、予定外に内勤が捗って、20時過ぎには部長に企画書をメールで送信することができた。後輩の谷田部も同じチームだった為、サポートに一緒に残っていた。


「浅野さん、飯でもどうっすか? あ、金曜日だから彼女さんとデートすかね」

「いや、今日は残業で遅くなるって言ってあるし、さすがにこれから帰るって言ったら、夕飯の準備とかしちゃいそうで悪いから食べて帰るよ」

「夕飯の準備って、まさか、彼女さんと同棲してたりするんすか?! 」


 谷田部がビックリしたように叫び、僅かに残っていた他の社員の視線も昴達に集中する。今まで、社内でどんな綺麗な女子社員に告白されても断っていた昴に彼女が出来たという噂が広がってから少したつが、社内にいる社長の親戚のお嬢さんという情報のみで、いまだに誰が昴の彼女かわからず、色々な憶測が飛び交っていた。そんな中、昴本人の情報に、みな耳がダンボになるのはしょうがないだろう。


「あぁ、うん、そうなんだよ。毎日彼女の顔が見れるっていいよね。彼女、料理も美味くてさ、朝食は毎食作ってくれるし、夕食も僕が早く帰れる日は作ってくれるんだよ」


 部署にいるみなが聞いていると自覚しつつ、昴は緩んだ頬も隠さずに堂々と惚気ける。沙綾が彼女だとばらすなとは言われているが、彼女がいることを黙っておけとは言われていないから、彼女自慢がしたくてしょうがなく、初彼女に浮かれきっていたのだ。


「料理上手な美人の彼女って、最高じゃないっすか」

「だよな。美人というより可愛い感じなんだけどね」


 百人が百人首を傾げるかもしれないが、昴には沙綾が可愛くてしょうがないのだ。


「可愛い系なんすか。いいっすね。胃袋までつかまれて、結婚も間近なんじゃないすか? 」

「うーん、結婚したいって話はしてるんだけど、彼女がまだ早いって言うんだよね」

「もしかして、彼女若いんすか? 」


 可愛い系で若い女子社員って誰だって回りがザワザワする。


「まぁ、僕よりは若いかな。24になったらしいし」

「へぇ、俺の一つ下っすか。結婚が早過ぎるって訳じゃないけど、あと1年2年遊びたい感じなんすかね」

「あ、あまり喋ると彼女に怒られちゃうよ。僕は全然オープンでかまわないんだけど、彼女がバレたくないみたいでさ。まぁ、結婚したら嫌でもバレるんだろうけどね」

「そうっすね。名字かわりますしね」


 この後すぐに、昴の彼女についての情報が飛び交い、明日には「浅野昴は、24歳の料理上手な可愛い系彼女と同棲中で、結婚間近らしい」という噂が会社のあらゆる人が知るところとなった。


 帰る支度をし、谷田部と会社を出た時、会社を出てすぐのところで見覚えのある後ろ姿を見つけた。ほぼ残業なしで帰る沙綾が、今日は珍しく残業だったのだろうか?

 声をかけようとして、谷田部と一緒にいたことを思い出して踏みとどまる。それに、会社に友人はいないと言っていたが、女子社員が一人一緒にいるようだ。


「あれ、結菜ちゃんですね。ナンパっすかね」


 沙綾と一緒にいる女子社員は秘書課の寺井結菜らしかった。そして沙綾しか目に入っていなかったが、確かに寺井の前にチャラそうな男性二人組がいた。

 谷田部が寺井に声をかけようと近寄った時、後退った沙綾が谷田部にぶつかった。


「すみま……せん」


 振り返った沙綾の顔色が悪かった。思わず声をかけようと昴が一歩前に出ると、寺井のキンキン声に遮られた。


「浅野さん! 」


 数歩歩いて昴の前にきた寺井は、いかにも決め顔ですというような笑顔を浮かべて、昴を上目遣いに見上げてきた。


「今お帰りですか? 谷田部君と飲みに行くんですか? 是非ご一緒したいです! 」

「え、ちょっと、俺らとカラオケ」


 男達が不平の声を上げると、谷田部が男達と寺井の間に立って声をかけた。


「なに、ナンパかなんか? 助けた方がいい感じ? 」

「やだ、ナンパなんかじゃないですよ。神崎さんの元カレらしいです」

「元カレ? 」


 昴は思わず男達を睨みつけてしまう。

 梨花から少し話を聞いたあの彼氏だろうか? 沙綾のトラウマになったという。


「インディーズのバンドマンですって。私はこの人達とは無関係ですから。この人達は神崎さんとカラオケ行くらしいですし、私達は別にどこかへ……」

「カラオケ、行くの? 」


 不機嫌この上ない声音になってしまったが、沙綾が行く気はないとブンブンと首を横に振ったので、昴はニッコリと笑顔を作った。後でこの男の情報を仕入れて、沙綾に二度と近づかないように手を打たないといけない。


「そう。じゃあ、みんなでご飯食べて帰ろうか」

「はい、行きましょう」


 昴は沙綾に向けて話したが、寺井が代わりに返事をする。


「いや、ちょっとカラオケ……」

「行かないって言ってるよ。ねぇ、神崎さん」


 沙綾がコクコクと首を縦に振ると、昴は沙綾の背中に手を当てて「行こう」と促した。


「沙綾! 」


 ハアッ?!

 馴れ馴れしく名前呼ぶとか、何様のつもりだよ!

 しかも、沙綾に触ろうとしてんじゃねぇよ!!


 一瞬でブチッと切れた昴は、沙綾を自分の方へ引き寄せて、思い切り男の手を払い除けた。


「元カレだかなんだか知らないけど、今は他人なんだから馴れ馴れしいよね。それに……沙綾は俺の彼女だから、二度と話しかけんじゃねぇよ!カス!! 」


 男にしか聞こえないよう耳元で囁くと、男はポカンとした顔で昴を見て固まった。昴の顔をマジマジと見、沙綾を見てを繰り返している。「……ウソだろ」とつぶやいているが知るか!

 沙綾の背中を押して駅方面へ歩き出した。


「神崎さん、大丈夫? 顔色悪過ぎだよ」


 震えているのは寒いせいばかりじゃないだろう。谷田部と寺井さえいなければ、ギュッと抱きしめてあげるのに。


「……大丈夫です。ありがとうございました」

「あれ、元カレってマジ? あんなチャラそうなのと君……神崎さん? とじゃタイプ違うじゃん」


 さっきの男達と同じくらいチャラそうな谷田部には言われたくないだろう。というか、あの男達のせいでこんなに怯えている沙綾に、思い出させるような発言は止めて欲しい。


「……彼氏じゃないです。勝手に彼氏になってやるとか言われて付き纏われましたけど、名字も知らなかったし」

「伊藤健人さんらしいですよ。さっき自己紹介されました」


 それはあの男を調べる上で重要な情報だが、正直今は沙綾を気遣えよ! と思わなくもない。


「彼氏になってやるとか、何様って感じだな。それで付き纏われるとか、災難だったね。でもさ、さっきもしつこかったし、何気に神崎さんのことが本当に好きとかないの? 」

「ハアッ?! 」


 昴は、思わずイラッとした声を上げてしまった。だいたい、彼氏になってやるの意味がわからない。昴は泣き落としで付き合いを続行してもらっているというのに、あんなクズみたいな男が上から目線で沙綾の元カレ気取りとか、マジふざけんなッ! と殴り飛ばしたくなる。


「ないです。有り得ない」

「ふーん、でももしそうだったとして、会社も知られちゃったし、ストーカーとかになっちゃったりして」

「……」

「谷田部も寺井さんも、ただの憶測で軽々しい発言をするものじゃないよ。神崎さんが怖がってるじゃないか」


 沙綾の背中をポンポンと叩き、少しでも落ち着かせようとする。


「浅野さん優しい! 神崎さん、勘違いしたら駄目よ。浅野さんってみんなに優しいんだからね」

「そうっすか? 浅野さんて実は女子には一線引いてますよね。口調は穏やかだし優しげだけど、実はバッサリ切ってるし。自分から女子にボディータッチとか、勘違いされるから絶対にしないタイプだし」


 切られた記憶が新しい寺井は、そんなまさか……と昴と沙綾を伺うように見る。


「いや、神崎さんが浅野さんに女子扱いされてないだけなんじゃ……」


 真顔で毒を吐く寺井に、ちょっとマズイってと谷田部が寺井の袖を引っ張る。


「とりあえず寒いし、なんか店入りましょうって。結菜ちゃんも一緒するんだろ? 神崎さんも一緒にどう? 」

「いや……私は……」

「谷田部、寺井さんとこれで夕飯食べてきて。僕は神崎さん送って帰るから」


 沙綾が辞退すると、昴が一万円札を財布から出して谷田部に渡そうとした。


「あざっす! 」

「ちょっと、何受け取ろうとしてんのよ! 神崎さん、あなた回りの空気読みなさいよね。みんなでご飯って流れの時に、一人帰るとか言ったら解散になっちゃうじゃないの! ここはみんなで食べに行きましょうって流れでしょうが」

「え……あっ……ごめんなさい」

「寺井さん、無理やりはよくないよ」

「なら、谷田部さんが神崎さんを送って行けば良いんじゃないかしら。浅野さんは私とご飯に行きましょ」


 昴の腕をグイグイ引っ張る寺井に、昴は無理に振り解くこともできずに困ったように眉を下げる。


「あ……あの! 」


 そんな昴を見て、沙綾が昴の腕に手を添えた。


「私……行きます。みんなでご飯食べましょう」

「無理してない? 」


 沙綾が首を横に振り、四人で駅ビルの中の肉バルへ行くことになった。






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