第37話 神崎沙綾、逃げ出したい

 久しぶりに残業した金曜日の夕方、今日も昴は残業で遅いらしいから、夕飯をどうしようか考える。いつもならすぐに帰宅して、常備菜で簡単な夕飯にしてしまうのだが、なんとなくクリスマスカラーの街並みにウキウキしてしまい、昴のクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントを買うついでに、デバ地下でお高めのお惣菜を一品買って帰ろうと考えながら、マンションの方角ではなく駅の方へと足を向けた。


 デパートの入口にある大きなツリーでは、家族連れやカップルがスマホを構えて写真を撮っている。クリスマスは平日になるから、少し早いクリスマスをお祝いしているのかもしれない。


 お祝いと言えば、明日の沙綾の誕生日ご飯と一緒に、どうせならクリスマスもお祝いしようと昴に提案したら、即座に却下された。クリスマスは家にケータリングを頼んだから、おうちパーティーをしようと言われた。家族以外とのクリスマスパーティーは初めてだから、けっこう楽しみにしている。

 プレゼント交換も初めてで、今回はプレゼント代に上限をつけた。二人共誕生日が近いから、二つ用意するとなると沙綾のお財布事情的に厳しいということもあったが、それこそ婚約指輪並み(昴の給料三ヶ月分とか、まさに婚約指輪だよね? )の指輪をクリスマスプレゼントに昴が用意しようとしているのを知ったからだった。


 当日までプレゼント内容は内緒で、五千円から一万円までの間の物。


 小学生の時、同級生達がプレゼント交換五百円までと言っていたのを小耳に挟んだことがあり、みんなどんなプレゼントを買うのかと想像してワクワクしたものだ。お呼ばれされることはなかったが、沙綾も五百円で何が買えるか考えてみたりもした。大人になったので一桁上げてみたのだが、やはりプレゼントを考えるのはワクワクする。


 誕生日は少しお値段のするカシミヤのマフラーを考えており、それはすんなり買うことができた。あとはクリスマスプレゼントだが……。


 事前調べでは、ボールペン、ペンケース、名刺入れ、キーケースあたりが値段的に丁度良かった。売り場をグルグル回って、焦げ茶色の本革のキーケースに目をつけた。


 キーケースなら、毎日身に着けてもらえるかな。


「すみません、これ、プレゼント用でお願いします」


 クリスマス仕様にラッピングしてもらい、後は地下で惣菜を買おうとエレベーターに乗った。途中の階でエレベーターが止まり、沙綾は入口近くに乗っていた為、開けるのボタンを押して全員乗り切るのを待った。


「あれ、沙綾じゃん」


 いきなり名前を呼ばれ、沙綾はビクリと身体を揺らした。


「誰誰? おまえの知り合い? 」


 茶髪で今どきな男性二人組みが、沙綾を囲むように立った。


「ああ、高校の時の元カノ。偶然も2回続くとヤバくね? 」

「2回って? 」

「最近もばったり会ったんだよ」

「マジで? それって運命じゃん。ケントって何気にマジメちゃんがタイプだったの? 」

「ンな訳ねぇじゃん。こんなんタイプでもなんでもねぇけど、ちょっとした……ノリ? 」


 ゲラゲラ笑う男達を見ることはできず、沙綾はひたすら足元を見てエレベーターが開くのを待った。エレベーターが開き、沙綾は階数も確認せず足早に下りた。もうお惣菜はどうでもいい。プレゼントの紙袋が皺になるくらいギュッと抱え込み、彼らから早く離れたくてとにかく足を進めた。


 沙綾が下りたのが1階だったからか、彼らが沙綾をからかうことに決めたからかはわからないが、ケントとその友達は沙綾の両脇を歩いてついてくる。


「なあなあ、どうせ暇なんだろ。カラオケでも行って旧交を深めようぜ」

「あ、いいな。元カノちゃんは何の歌が得意? 」

「こいつは聞き専だよ。歌ったの聞いたことねぇもん」

「やらしいな、どうせイチャイチャして歌わせなかったんだろう」


 ケント達とカラオケなんかに行く気はなく、マンション方面は人通りが少なくなるから、とりあえず人通りの多い会社方面へ足を向けた。オフィス街の為、帰宅したり飲みに行く会社員達が沢山歩いている。付き纏うように下品な会話をしながら話しかけているチャラ男達と、強張った表情でうつむき加減でひたすら足を早める地味な女、明らかにからまれていることは一目瞭然であるのに、そんな沙綾を助けてくれる人物は皆無で、とうとう会社の近くまで来てしまった。

 会社へ逃げ込めば、部外者であるケント達は入ってこれない筈だと考えた沙綾は、早足から小走りで会社に入ろうとしたが、会社まであと僅かというところで、ケントに腕を掴まれてしまった。


「ちょいちょい、どこ行くんだよ。おまえは俺らとカラオケっしょ」

「……離して」

「なぁ、なぁ、ここってもしかして元カノちゃんの会社? 凄いじゃん。一流企業のOLとか、おまえより高給取りなんじゃねぇの」

「マジかよ。沙綾の癖に生意気じゃんか。なら、カラオケは沙綾のおごりな。ほら、カラオケ行こうぜ」

「……行かないです。離して」


 腕を掴まれ引きずられそうになり、沙綾はなんとか踏ん張ってみるが、ズルズルと会社から引き離されてしまう。


「神崎さん? 」


 後ろから声をかけられて振り向くと、秘書課の寺井結菜が仕事帰りとは思えない完璧メイクで立っていた。


「なに、沙綾の知り合い? スッゴイ美人じゃん。ちょい、紹介しろよ」


 デレデレとした笑顔を結菜に向けたケントが結菜の方へと近寄って行き、その際ケントの手が離れた為、沙綾は急いでケントから離れた。


「こいつとは高校の同級生で、伊藤健人いとうけんと、こっちは俺のダチで上田隆史うえだたかし


 フルネーム、初めて知ったかも。別に知りたくないけど。


「おまえ、ただの同級生じゃなく元カノだろ」

「ほんの数ヶ月だし、たいした関係じゃないし。全然他人。ね、君は? 」


 ケントは沙綾との関係を寺井に勘違いされたくないとばかりに、他人を強調して言う。


「神崎さんの同期の寺井です」

「寺井ナニちゃん? 俺のことはケントでいいし。ね、これからカラオケ行かない? こいつとも行こうって話してて」

「神崎さんの元カレ? ちょっと意外。カラオケですかぁ? うーん、どうしようかなぁ。神崎さんと四人でですよね? 」


 沙綾は思いっきり首を横に振る。


「行こうよ、行こうって。マジ俺ら盛り上げるし」

「そうそう。こいつ、バンド組んでるから歌超ウマだから。インディーズだけど、けっこうスカウトとかの話もあったりで、そのうち有名になっちゃうかもよ」

「おまえ、そのうちとか言うなし」


 二人の意識が寺井に向いているから、今なら逃げてもバレないんじゃないだろうか? と、沙綾がソロソロと後退ろうとした時、背中がドンッと何かに当たった。


「すみま……せん」


 振り向くと、昴と昴の後輩と見られる男性が立っていた。沙綾がぶつかったのは後輩の方だったらしい。


「浅野さん! 」


 寺井が綺羅綺羅しい笑顔を昴に向ける。


「今お帰りですか? 谷田部君と飲みに行くんですか? 是非ご一緒したいです! 」

「え、ちょっと、俺らとカラオケ」

「なに、ナンパかなんか? 助けた方がいい感じ? 」


 昴が正統派イケメンなら、谷田部はチャラついたイケメンだった。なんちゃってイケメンもどきのケント達に比べると、明らかにランクが違う。


「やだ、ナンパなんかじゃないですよ。神崎さんの元カレらしいです」

「元カレ? 」


 昴の視線がケント達に向く。いつも浮かべている穏やかな笑顔は引っ込み、やや睨みつけるような視線になっていた。


「インディーズのバンドマンですって。私はこの人達とは無関係ですから。この人達は神崎さんとカラオケ行くらしいですし、私達は別にどこかへ……」

「カラオケ、行くの? 」


 昴が寺井の言葉を遮って、沙綾の前に立って言った。沙綾がブンブンと首を横に振ると、昴はニッコリと笑顔を作った。


「そう。じゃあ、みんなでご飯食べて帰ろうか」

「はい、行きましょう」


 昴は沙綾に向けて話したが、寺井が代わりに返事をする。


「いや、ちょっとカラオケ……」

「行かないって言ってるよ。ねぇ、神崎さん」


 沙綾がコクコクと首を縦に振ると、昴は沙綾の背中に手を当てて「行こう」と促した。


「沙綾! 」


 昴と歩き出そうとした沙綾に、ケントがしつこく手を伸ばしてこようとし、昴は沙綾を引き寄せてケントの手を払い除けた。


「元カレだかなんだか知らないけど、今は他人なんだから馴れ馴れしいよね。それに……」


 昴がボソボソとケントの耳元で何か囁くと、ケントはポカンとした顔で昴を見て固まってしまい、そのままケント達をスルーして昴に促されて駅方面へ歩き出した。


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