第34話 浅野昴の告白

 沙綾のエプロン姿に興奮した昴は、スマホをリビングに置きっぱなしにしたままトイレにこもった。

 スマホが鳴っているのは気がついていたがそれどころじゃなくて(自家発電しかしてない最近は、ほんのちょっとした沙綾の仕草で滾るから質が悪い)、とりあえず熱を放出して落ち着いたところでリビングへ戻った。

 何かを見て固まっている沙綾の後ろから話しかけたら、凄い勢いで飛び上がった沙綾が落としたものを拾うと自分のスマホで、画面についている着信の数に眉を寄せる。ついでにSNSにもメールがきているようで……。


 美和……名前はすでに記憶からは消えていたが、内容からしてサンヨウの孫娘で間違いないだろう。たまに昴の会社のスマホアドレスを入手した同じ会社の女子などから告白メールを受けることもあるが、さすがにこの内容はないだろう。


[会いたい!!! 

 どうして電話に出ないのよ。

 勃たないなら絶対に私が勃たせてみせるから大丈夫! 

 いつものバーで待ってるから。ずっと待ってる! 絶対に来て!       美和]


 あいつだな。


 沙綾をチラリと見ると、かなり顔面が強張っている。浮気を疑われたらたまらないと、昴はとにかく思いつくまま身の潔白を主張する。ついでに過去のセフレ達との関係性を暴露するような発言になってしまっていたが、沙綾と彼女達は別物で、沙綾だけが特別なんだと伝えたいだけだった。


 沙綾を恐る恐るハグすると、沙綾に拒否が見られなかったからギュッと抱きしめる。こんなにしっかりとした抱擁は初めてだった。


「俺……沙綾に嫌われたくない」

「……嫌いませんよ。まぁ、過去の浅野さんはアレですけど」

「過去の俺がどんなにクズでも? 」

「まぁ犯罪者じゃなければ」


 犯罪……、窃盗をしたことはないし、他人に暴力をふるったこともない。けれど自分の生い立ちは犯罪とは無関係だろうか? パトロンがいたような生活だ。ただ綺麗な少年をアクセサリーのように連れ回したいだけのパトロンもいれば、身体の関係を要求してくるパトロンもいた。もう時効かもしれないが、年齢を考えてもあれはアウトだろう。彼女らがいたから母親に捨てられても生活していけたが、決して綺麗な身の上ではない。


「前科はないけど……ちょっとヤバメな生活をしていたことはあるって言ったらひく? 」

「……ちなみにどんな? 」


 昴は沙綾から離れると、沙綾の手を引いてソファーに座らせ、昴は沙綾の足元に座り、沙綾の手を握って沙綾を見上げた。これは計算でもなんでもなく、沙綾に縋り付きたい気持ちが現れたからだった。


「俺さ、父親が誰かわからないんだよ。母親は十代で俺のこと産んだんだけど、母親は男にだらしないタイプでさ、ほぼネグレクト状態で育ったんだ」

「……」

「小学校の時はほぼ家にいないか、男引っ張り込んでるかだったな。中学入ってすぐに母親に新しい男ができて、3人で同居するようになったんだけど、母親はその男に俺を押し付けて違う男のとこに行ったきり戻ってこなかったよ」

「え……」

「二人揃って母親に捨てられたんだ。で、生活していく為にその男にパトロンを紹介してもらった。そいつホストやってたから、金持ちなマダムの知り合いが多くてさ。高校、大学の費用はパトロン達から貢いでもらった金で行った。生活費とかも。その時は自分でなんとかしないととしか考えられなくてさ、施設の世話になるとか頭になかったんだよ。顔だけは見ず知らずの父親に似たらしく良かったから、かなり上客がついたし」

「……」


 沙綾は何も言わずに昴の話を聞いていた。昴の手を振り払うことがないことが救いで、昴は沙綾の手を離さないようにしっかりと握りしめた。いつもなら視線を合わせることの苦手な沙綾が、しっかりと視線を合わせてくれているのも、昴の過去を非難したり貶めたりするつもりはないと言われているようで気持ちが軽くなる。


「未成年だったし、犯罪って言ったら犯罪だよな。俺のこと孫や息子みたいに可愛がってくれる人もいれば、性欲を解消する為に金払う人もいたから。就職して自分で稼ぐようになったら、パトロン関係は円満に解消したよ。でもさ、そんな生活をずっとしてたせいかバカ母のせいかわからないけど、女に性欲は感じても、それだけだった。誰にたいしてもだけど、俺とそれ以外の他人って分類しかなくて、誰かを好きとか、誰かに好かれるってのがわからなかったんだ。ぶっちゃけ、俺に近寄ってくる女なんて、俺の顔と身体だけが目的だろって思ったし。だから、気軽に遊べる女だけ相手にしてた訳だけど……」


 最低な発言だとは思う。でも、これが沙綾と知り合う前の自分だった。


「沙綾と出会った」

「私?! 」

「沙綾は、全然俺に興味示さなかったじゃん」

「そりゃまぁ、興味の持ちようがないくらい異次元の物体と言うか……」

「目も合わないし」

「人見知りなもので」

「会社で会ってもガン無視するし」

「女子社員の目が怖いので」

「ベタベタしてこないし」

「普通しません」

「あんまりに俺に興味を示さない沙綾が気になって……好きになってた。こんな気持ち初めてで、この年でアレだけど初恋みたいだ」

「初……」


 昴の過去の暴露話でも引かなかった沙綾が、なんで自分の初恋で引くんだ?!


 さっきまで合っていた視線が彷徨うようになり、居心地が悪そうにモゾモゾしている。


「あの……私と付き合ったのは……私以外に…………た、勃たないからじゃ」

「今まで好きって感情知らなかったから、誰彼構わずだったけど、好きって感情がわかったら、他で反応する訳ない。沙綾以外に勃たないのは、沙綾が好きな証拠でしょ」

「……そういうものなんでしょうか?」


 胡散臭そうに言う沙綾に、昴は事実なんだからそうなんだと頷く。


「別に、俺に興味がないってだけで沙綾のこと好きになった訳じゃないよ。それじゃただのマゾじゃん」

「……そうですね」


 まさかの変態を肯定された? いや、違うから。


「まだ同居する前、土曜日に俺が仕事だった時さ、仕事から帰ったら家に電気ついてて、お帰りなさいって迎えてくれてさ、温かい風呂に美味い夕飯があって。そこに沙綾がいて。そんなん生まれて初めてで……嬉しかったんだ。普通の人には普通のことかもしれないけど、沙綾だったら俺に普通の幸せをくれるんじゃないかって、そうしたらもう手放せなくなった」

「……それは私じゃなくても、浅野さんのこと好きだって言う女の子なら誰だってしてくれるんじゃ」

「違うんだよ。沙綾だからいいんだって! 打算とかなんもない沙綾がしてくれるから、だから信じられるし安心できるんだ。俺、打算ばっかだったから、余計に……」

「私も打算……かどうかはわからないけど、スーツの弁償代として浅野さんのご飯作っていただけですし」

「それならわざわざ俺が帰るまで待たなくていいし、帰る時間に合わせてお風呂入れたりご飯温めたりしなくて良いよね。自然に優しいんだよ沙綾は。そんな沙綾の側は凄く居心地が良くて、幸せな気分になる」

「そんなたいしたものじゃ……」

「ガツガツグイグイくる女子ばっかだから、沙綾のゆっくりした空気感は癒やしだよ」

「ただ手が遅いだけです」


 何故、昴の恋心を否定するような発言ばかりするんだろう。もしかして、やっぱり過去の話に引いてる? 女に貢がせてたり、セフレがいたような男は……そりゃ嫌だよな。

 しかも、最初は逆玉狙いで沙綾に近付いた訳で、誠実とは程遠いところにいるのが自分だという認識はある。だからこそ、沙綾には全て曝け出そうと思ったのだが……。


「沙綾は俺のこと嫌い? もう嫌になった? 」


 記憶にある限り泣いた記憶はないけど、マジで今泣きそうなんだけど。潤んだ瞳で見上げるとか、どこのアザト女子かって話だけど、これはマジ物だし女子ですらないし。

 沙綾が困ったように眉を下げた顔を見たら、完全に涙が決壊した。ボロボロ泣く男とか、情けなさ過ぎるし、好きな娘に見せたい顔じゃない。


「ごめん……なさい」


 ごめんなさいの意味を理解したくない。え、俺、振られる流れ? ヤバイ、涙が止まる気がしない。


「やだ、別れない」

「そうじゃなくて……」

「そりゃ、最初沙綾に近づいたのはうちの会社の社長の姪だって知ったからだけど。ちょうど逆玉狙ってたというか、お金持っててしかも地味で男遊びしなさそうな真面目なご令嬢に見初められたら、万が一何かあっても、年くって皺くちゃになっても、将来安心かななんてバカみたいなこと考えたからなんだけど」

「……そんなこと考えてたんですか」


 駄目だ、頭がパニックになって、話しちゃ駄目なことまでボロボロ口から溢れてくる。涙も止まらないけど、口も止まらなくなる。


「いつ会社が倒産するかなんてわからないし、いきなりのリストラだってありえるだろ。俺、自分の顔と身体しか取り柄ないもん。でも、それだって一生物じゃないし」

「そんなことは……。それに浅野さんが転職しない限り、倒産するとしたら叔父の会社になりません? その保険に私って、そもそもがおかしいですよ」

「あ……まぁ、うん。そっか、そうだね。でも、もうそんなのはどうでもいいんだ。俺、沙綾がいればいい。沙綾と一緒にいたいんだよー」


 昴は沙綾の膝に突っ伏して、とうとう号泣になってしまった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る