第33話 神崎沙綾の同居生活
昴との同居が始まってはや一ヶ月。
びっくりするくらい居心地が良かった。平日はほぼ定時に帰れる沙綾に対して、昴は早くて21時くらいの時もあるが稀で、遅い時は日が変わる時もあるくらいで、一人の時間を満喫できたし、休みの日はデートをすることもあれば、家でゆっくり過ごすこともあった。
お帰りなさいのハグや、お休みなさいの軽いキス(頬や額)は恥ずかしかったが、性的な触れ合いというより、親愛を示すスキンシップという感じで、馴れはしないが嫌だとは思わなかった。
平日の朝食や昴が早く帰れる時の夕食、日曜日の夕食は沙綾が手作りし、デートの時の費用や週末に食材をまとめ買いする費用は昴が支払ってくれた。
最初、材料費やデート費用など折半しようと沙綾は言ったのだが、それらの出費は沙綾が料理をするという労働に対する対価で、沙綾の作るご飯を食べる権利を主張したいから絶対に自分が出すと、昴は頑として沙綾に財布を開かせなかった。
確かに、最初の契約では共用部分の掃除だけで料理は含まれていなかったが、「一人分作るのも二人分作るのも労力はたいして違わないし、一応お付き合いをしているのだから料理くらいしますよ」と沙綾が言ったら、「一応……。一応じゃないよね? きちんと将来を見据えたお付き合いだよね?僕、沙綾ちゃんに弄ばれてる? 」などと、面倒くさいことを昴が言い出したので、沙綾は昴が出費することを素直に許容した。
付き合う前の浅野昴のイメージは、芸能人以上に整った見た目に仕事の出来るモテメンで、柔和な笑顔のわりに会社関係者からの告白はどんな美人相手でも全て断るクールな一面もあり、外に恋人が多数いそうな所謂恋愛マスター……であった。沙綾だけでなく、会社の女子の共通の認識だ。
それが実際には、たまにエロい発言(昴にしたらエロだとは思っていない)をするものの、沙綾が嫌がることは絶対にしないし、沙綾の作るご飯をデレデレに崩れた笑顔で「美味しい、美味しい」と食べてくれるし、契約として掃除をしても、気がつくと「ありがとう」と言ってくれる。恥ずかしげもなく「沙綾ちゃん可愛い」「沙綾ちゃんのこと好き過ぎる! 」と好き好きアピールもしてくる。色っぽい雰囲気とかじゃなくて、思わず口に出ちゃった感じで一人で悶絶しているので、心の中で「この人大丈夫だろうか? 」などと思っているのは昴には内緒だ。
完璧な異次元の人物だった昴が、沙綾の作る煮物が美味しいと食べ過ぎてしばらく動けなかったり、たまに沙綾と視線が合うと赤面したり、そんな表情を隠す為にわざとハグしてきたりする可愛い一面があったりと、当たり前だけれど同じ人間としての昴を間近で見て、自然と自分の昴への感情を理解する沙綾だった。
最近では、少しエロい昴も受け入れようと思ってはいるものの、いまだ過去のトラウマから性的触れ合いに恐怖心があって……。
「ハアッ……、新妻のエプロン姿。最高」
洗い物をしていた時、昴が後ろから沙綾の頭に頬擦りしてきた。
「あの、新妻ではないし、ただの紺色のエプロンですが」
ちなみに、小学校の家庭科で作ったエプロンだから色気もへったくれもないし、フロントによくわからない招き猫がプリントされているどちらかと言うとイタメのエプロンである。
「あ、ごめん。妄想が口に出てた」
「妄想は頭の中だけでお願いします」
「だって、沙綾ちゃんと一緒に住んで、しかも毎日沙綾ちゃんのご飯食べてて、これってすでに新婚さんでよくない?! この際本当に入籍しちゃってもよいと思うでしょ? 」
「洗い物落としちゃうから離れてください」
「新妻が塩っぱ過ぎる」
「だから、新妻ではありません」
昴は最後に沙綾の旋毛にキスを落とすと、渋々というように離れる。
「ハアッ、沙綾ちゃんが可愛過ぎて元気になっちゃったから、ちょっとトイレに行ってくる」
「……ッ! 」
昴は性的興奮を沙綾に向けてくることはないが、隠すこともしない。沙綾のどこにそんなに興奮する要素があるのか不明だけれど、ちょこちょこ自己申告してトイレにこもること度々。トイレで何をしているのか……、想像はするまい。セフレがいたような生活をしていた昴が、沙綾と健全な同居生活やお付き合いをしてくれているのだから、かなり……その……欲求不満を抱えてるだろうことは想像できるし。
他で解消されるのは嫌だと思うくらいには、昴に気持ちを向けてはいるものの、どんとこい! ……とも言えずに悶々とする日々が増えた。
昴がトイレにこもって数分、リビングに置きっぱなしになっていた昴の会社のスマホが鳴った。留守電になるまで鳴り続け、電話が切れたと思うとまた鳴る。それを繰り返すこと数回、さすがに急用の仕事が入ったのか気になり、沙綾は昴のスマホに手を伸ばした。もちろん出るつもりはない。仕事関係者なら電話番号が登録されているだろうし、トイレにいる昴に伝えようとしたのだ。
しかし画面にはスマホの電話番号のみで、登録していない相手らしかった。
しつこい電話が鳴り終わったと思ったら、今度はSNSにメッセージが入ってきた。
[会いたい!!!]
最初の文章だけ目に入ってきて、思わずスマホをガン見してしまった。
仕事関係者が送ってくる文章には見えない。人付き合いをほとんどしない沙綾にだって常識はあるのだ。
これは昴の会社のスマホで、私用の物はその隣に置いてある。(本当はもう一台あるのだが、沙綾はその存在は知らない。電源も切れたまま会社の机の引き出しに放置されている)もちろん沙綾は両方のスマホのアドレスを知っていたが、私用の物は親しい人しか知らないと言っていたから、(実は沙綾専用で、沙綾関係者しか入っていない)仕事関係者で間違いはないのだろうが……。
会ってくださいとか、お会いしたいですとかじゃなくて[会いたい!]という文面にモヤモヤする。あまりに親しげではないだろうか?
昴はモテる。
それは地球が丸いのと同じくらいの真実で、毎週数人から告白されているとの噂は、トイレにこもって会社の休み時間を過ごしている沙綾の耳にも入ってくるぐらいだし、昴本人からもきちんと毎回報告をもらっていた。
相手はうちの会社の娘だけでなく、取引先の会社の娘とか、通勤途中ですれ違っただけの娘とか、たまたま入った喫茶店のウエイトレスだったりと様々で、毎回きちんと「彼女がいるから」と断っているらしいが、なかなか後を絶たないのだ。
以前昴が梨花の親戚と付き合っていると暴露してから、梨花似のゴージャスな美女が彼女らしいという噂が会社内で独り歩きした結果、どんどん付加価値が足されていき、そんなスーパーウーマンうちの会社にいないよね? というようなハイクオリティの美女が昴の彼女の座を射止めたことになっていた。そのせいか、昴の彼女になりたいというより、二番目でいいからとか、いずれ下剋上を!! と訳のわからない告白を受けているらしい。
沙綾が彼女だとバレたら、アレがいけるのなら自分のが百倍マシと、きっとアピールが過激になることだろうと、彼女が沙綾であることは絶対に秘密にしてもらっている。
「……会いたい……か」
「誰に会いたいの? 」
「ヒッ……」
いきなり耳元で声がし、沙綾は驚き過ぎて飛び上がってしまい、昴のスマホを落としてしまった。
「どうしたの? 」
「あ……あの」
昴は沙綾の落としたスマホを拾い、画面を見て一瞬無表情になった。
「電話が何回も鳴って……。あの、見るつもりじゃ……」
「それは別にかまわないけど……これ全部読んだ? 」
沙綾はブンブン首を横に振ると、昴はSNSの画面を開いて沙綾の目の前に差し出した。
[会いたい!!!
どうして電話に出ないのよ。
勃たないなら絶対に私が勃たせてみせるから大丈夫!
いつものバーで待ってるから。ずっと待ってる! 絶対に来て! 美和]
何やら……酷い文面である。
「迷惑メール? 」
「じゃあないんだ。実は今のプロジェクトの相手のサンヨウ、あそこの孫娘」
「え? 」
「沙綾ちゃんと知り合う前の知り合いというか、サンヨウの孫娘なんて知らなかったし、相手も俺のことは名前以外は知らなくて……所謂アレな関係で……。あっちは年齢も詐称してたし、俺も絶対に身バレするようなことは言ってなかったし」
アレ……。つまりは身体だけのってヤツですね。
「……」
「今は沙綾ちゃんに誓って無関係だからね。そういう相手は全員切ったし、二度と会うつもりないから。誓って沙綾ちゃんだけだから。ただ、この娘はたまたまサンヨウ主催のパーティーで再開して、名刺渡さないといけない状況でしょうがなく名刺を渡した。だから会社のスマホがバレて。関係を迫られたけど、好きな女の子にしか勃たないから無理って断ったらこんなメール……」
色んな面でツッコミどころが満載な気がするんですけど……。
過去の昴の最低ぶりに言いたいことは沢山あるが、情けないくらい不安げに表情を揺らす昴は、自分の呼称が「僕」から「俺」に変わっていることも気がついていないくらい必死なようだ。
「行くんですか? 」
「行かない。沙綾ちゃんがいるのに、会う必要なんか1ミリもないし」
昴は沙綾を抱き寄せると、いつものハグよりも少し強めに抱きしめた。
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