第31話 神崎沙綾、ルームシェアを開始する
昨日の晩から始めた荷造りが終わらない……。
一人暮らしを始めてまだ2年もたっていないのに、知らない間に物は増えるものらしい。引っ越しの今日くらい有給を使えば良かったと、片付かない荷物を前に沙綾はため息をついた。
とりあえず昨日段ボール箱に詰めたものは、葉月が車で運んでくれた。沙綾はアパートで荷詰め、葉月が車で運搬、新居で梨花と千奈津が荷解きと、分担を決めて引っ越しを進めていった。
そのあまりの忙しさに、ルームシェアする相手と今日初対面するという緊張がどっかに飛んで行ってしまっているのは、沙綾的には良かったのかもしれない。
最後の一箱を詰め終わり、沙綾の部屋に残ったのは小さな冷蔵庫と洗濯機だけになった。この二つは、土曜日にリサイクルショップの人が引き取りに来てくれることになっている。
最後に部屋に掃除機をかけて水拭きをする。
「これでラストだね」
段ボールを運んでくれていた葉月が部屋にヒョッコリ顔を出した。見た目はゴツくて強面な葉月だが、面倒見が良くオカン気質である為か、立ち位置的にはすでに親戚のお兄さんという感じで、人見知りの沙綾が普通に接することができる数少ない一人である。
「うん、これで終了。ありがとう、引っ越し手伝ってもらって」
「たいしたことじゃない。じゃあ沙綾ちゃんも行くよ」
「うん」
沙綾はエプロンを脱いでリュックに入れた。この中には昨日書いたルームシェアするにあたり、お互いに守りたいことを箇条書きにした封筒が入っていた。と言っても、個々の部屋には入らないとか、お風呂に入る時は札をかけるとか、個人の私物には触らないとか当たり前の事柄くらいしか書いていない。後は同居しつつ改善し、お互いに守ってほしいことを書き足していきましょうとしめてあった。
アパートの戸締まりをし、葉月が借りてきたバンに乗り込む。
「葉月さんは会ったんだよね……マンションの……同居する」
「マンションの大家さん? ルームシェアする人だよね。会ったよ。優しそうな人だね。かなり美形で驚いたけど、良い人そうで沙綾ちゃんに合ってると思うよ」
気がついたら暗い地下駐車場についていた。
「沙綾ちゃん、ついたよ」
葉月に揺り起こされ、沙綾は寝ぼけ眼で辺りを見回す。何やら見覚えがあるような気もするが、地下に駐車場があるようなマンションは作りも似たりよったりなのかもしれない。
軽いけれど嵩のある段ボールで視界を遮られながらも、葉月に心配されながら段ボールを運びながら葉月の後ろからついて行く。
眠ってしまっていたから、このマンションの外観も見ていないし、立地も不明確だ。明日通勤するのに大丈夫だろうか?
「ここから駅まで遠いのかな? 」
「いや、駅近だよね、ほらエレベーターきた。前気をつけて」
「うん」
エレベーターに乗ると、片手で段ボールを抱えた葉月が階数を押してくれる。そういえば部屋番号すら聞いていなかったことに気がついた。
「何階? 」
「十階でしょ」
呆れたような葉月の声に、まさか引っ越し先の住所すら聞き忘れているとは言い辛い沙綾は、段ボールに顔を隠すようにして黙り込んだ。
エレベーターが十階につき、葉月に続いて下りる。そのまま葉月の足元だけを見て進む。
「はい、入って」
沙綾が今日からお世話になる部屋についたらしく、葉月が玄関のドアを大きく開けて身体でドアを押さえてくれた。
部屋に入った途端違和感を感じた。段ボールを床に置き、マジマジと部屋を見た。見覚えのある玄関に続き廊下、開かれたドアの向こうに見慣れたリビングダイニングが見える。何より嗅ぎ慣れた昴のグリーンウッドの香りが微かに香り、ここがまぎれもなく昴の家だと理解した。
「沙綾、やっとついたのね。段ボールはあらかた片付けたから、後は自分で出来るわね。うちらはもう帰るから、後は頑張って」
「り……梨花姉ちゃん、ここ! 」
「あんたの新しい住まいでしょ。ほら、浅野さんにちゃんと挨拶して」
「沙綾ちゃん、お帰り」
梨花の後ろから、少し緊張気味な表情をした昴が顔を出した。
「……ただいま……です」
沙綾の挨拶に、ホッと笑顔を作った昴が沙綾の運んできた段ボールを手にした。
「運んどくね」
「あり……がとうございます」
昴がリビング奥の空き部屋に沙綾の段ボールを運んでいく。先週の土曜日、沙綾がピカピカに掃除したあの空き部屋だ。あの部屋の掃除を頼まれたのは確か沙綾の部屋に昴が夕飯を食べに来た日だったように記憶している。つまり、まだ沙綾が引っ越しを決める前だったが、ただの偶然……とも思い難い。
沙綾は梨花を玄関の外に引っ張り出した。
「梨花姉ちゃん、同居相手が浅野さんだなんて聞いてない! 」
「そりゃ言ってないもの。あなた、同居相手が浅野さんなら絶対に頷かないでしょ。住まいの環境、安全面、全てにおいてここはパーフェクトだわ。しかも、相手が浅野さんなら相性が悪いなんてこともないでしょ。付き合ってるんだから」
「そりゃそうなのかもしれないけど!いきなり同棲なんて……」
「大丈夫よ。浅野さんにはちゃんと誓約書書いてもらってるから。沙綾もこれにサインして。コピー取ったら渡すわね」
「は? 」
梨花が封筒からだした誓約書には、月の家賃(光熱費込み)から始まり、お互いの私室に許可なく入らないとか、風呂トイレの使い方、共用部分や家具などについて、知人友人の招き方等など、沙綾が書いたものよりも細かく、さらには罰則も合わせてのっていた。そして最後の注意書きに、お互いの許可があれば上記のことを違えることも可。……とあった。そこに昴のサインと判子が押してあり、沙綾のサインする場所もあった。
さあ書けと紙とペンを渡され、沙綾は勢いにのまれてサインをしてしまう。
「判子も」
大事なもの(通帳や印鑑)などはリュックに入れておいた為、沙綾が背負っていたリュックから判子を取り出しておした。
「素直なのは沙綾の美点だと思うけど、きちんと読む前にサインして判子おしちゃうのはどうかと思うよ」
おさせた張本人の言葉じゃないと思う。梨花は誓約書をたたんで封筒に戻すと、玄関から千奈津と葉月を大声で呼び、バタバタとせわしなく帰っていってしまった。
玄関先に取り残された沙綾は、大きなため息をついてノロノロと戸締まりをして部屋に入った。
あと数日元のアパートにいることは可能だが、すでに解約の手続きはすんでいるし、何より沙綾の荷物は全てこの家に運びこまれているのだ。今更やっぱり更新しますとも言えないし、あの部屋に……壁の薄いあの部屋にこれ以上住み続けるのは沙綾の精神上無理だった。
ゆえに、新しい住まいを見つけるまではここにいるしかない。
「冷蔵庫に、葉月さんが作ってきてくれたおかずとおにぎりが入っているよ」
「……ありがとうございます。でも今は食欲があまり……」
昴は心配そうに沙綾に近づいてくると、沙綾の手をそっと握った。
「僕は沙綾ちゃんと一緒に住めることになって凄く嬉しいんだけど、沙綾ちゃんにしたら騙されたって思うよね。本当にごめん」
「……いつから」
「今日越してくるのを知ったのは日曜日。その前にほら、神崎さんと二人で会った日があるだろ? あの時に沙綾ちゃんのアパートの危機管理の低さを相談したんだ。そしたら、神崎さんも同じこと心配しててさ、で、こういう話になった訳」
「……浅野さんはいいんですか? 」
「何が? 」
「私との同居ですよ」
昴は沙綾の手を口元まで持ってくると、手の甲に唇を寄せた。そして、あざとく上目使いで微笑んでくる。
「むしろウエルカム。できれば寝室も同じがいいくらい」
「ヒェッ……」
なんですか、そのだだ漏れな色気は?!
真っ赤になってアワアワしている沙綾を見て、昴はクスクスと笑う。からかわれたのかと思った沙綾は頬を膨らませた。
「……酷いです、からかったりして」
「ほぼ本気なんだけどね。まぁ、誓約書があるから無理なんだけど。でも沙綾ちゃんがOKしてくれればいいのか。寝室は同じでもいい? 」
「……別でお願いします」
「了解。ね、少しくらい食べたら」
すんなり別室を了承した昴に、沙綾はホッと胸をなで下ろした。昴と同居だと知り、あまりの事にフリーズしていた沙綾の思考も、昴の無駄口(昴は本気)のおかげでゆっくり動き出し、それと共に空腹も感じた。
「そう……ですね。いただきます」
結局、沙綾の書いた[同居におけるお願い]は昴に渡されることなく、かわりに事細かに書かれた誓約書が冷蔵庫に貼られることになった。
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