第30話 浅野昴は待ち焦がれる

【沙綾】すみません


 いきなり届いた謝罪の文面に、昴の寝ぼけていた頭がいきなり覚醒した。

 まだ時計を見ると朝の7時前。

 何度見返しても「すみません」以外の言葉には見えない。


【沙綾】昨日、不動産屋に行った帰りに一度マンションに戻りまして、気を抜いたら寝てしまいました

【沙綾】家主がいないのに勝手に寝泊まりしてしまい、申し訳ありませんでした


 そこに「すみません」が繋がるのか……と、昴はホッと胸をなでおろした。


【昴】おはよう。別に沙綾ちゃんならいつでもお泊りOKだよ

【沙綾】おはようございます。本当にすみませんでした。気がついたら夜中で、タクシー代もなかったので

【昴】夜中に慌てて帰らなくて良かった。深夜に出歩くのは危ないからね。ちゃんと寝れた?

【沙綾】はい。久しぶりに安眠しました


 久しぶりという単語に首を傾げながらも、自分のベッドで眠る沙綾を想像した昴は、早く家に帰りたくてしょうがなくなる。沙綾が寝ただろうベッドで……なんて頭の中は童貞中学生男子並みの妄想が、誰もが見惚れるイケメンの頭の中で繰り広げられているなど、きっと誰も想像できないだろう。


【昴】そう、それなら良かった。ベッドはそのままでかまわないからね


 というか、シーツや枕は是非にそのままで。洗われてたらショックでしばらく立ち直れないかもしれない。


【沙綾】寝る気満々でベッド使ったりしてませんよ。ソファーでうたた寝のつもりでした


 ソファー……ソファーなら洗われることはない!


 ガッツポーズをとる昴は、ちょっと……かなり残念なイケメンにジョブチェンジしていた。


 沙綾とラインのやりとりをしていた時、ちょうど梨花からメールが届いた為メール画面に切り替えた。


[沙綾の引っ越しが決まりました。今週の木曜日です。浅野さんの仕事は早く上がれるように調整済みです。ちなみに、沙綾には当日まで浅野さんの家に引っ越すことは内緒にしますのでよろしく]


 木曜日?!

 話早ッ!


[うちはいつでも大丈夫なんですが、内緒にするとか大丈夫なんでしょうか?]


 他人と一緒に過ごしたいなどと、ついぞ想像したこともなかった昴だが、沙綾限定で一緒にいたい。もう、なんなら家族にすらなりたい。逆玉狙いもあるが、初恋を自覚したイケメンは色んな意味でとことん突っ走りたかった。

 けれど、押せ押せで騙し討ちみたいに同棲にもっていって、沙綾に嫌われて避けられる……なんてことになったら。


[大丈夫でしょ。もうアパートも解約したことだし、今更よね。じゃあ、当日にまたメールします]


 大丈夫の根拠は? 


 一抹の不安を感じながら、昴はラインの画面を開く。沙綾からの追伸はなく、その後気にしなくて良いからねという意味を込めてオールオッケーのスタンプを送ったが既読にはならなかった。


 すっかり目も覚めてしまったし、昴は起きることにした。軽くシャワーを浴びて朝食を取りに外出する。


 昨日パーティーさえなければ金曜日の夜から土日だけでも帰ったのに! いや、パーティーの後に無理にでも帰れば、昴の家でうたた寝する沙綾に遭遇できたかもしれない。そう考えると、無駄(ではない。仕事です)に名古屋にいるのが悔やまれてならなった。


 しかし、木曜日からは通常仕様で沙綾が家にいるのだ。そうなれば、うたた寝姿など見放題。純白のエプロンを着た沙綾がお帰りなさいって毎日お出迎えしてくれたり、ご飯を作ってくれたり、一緒のベッドで……なんてことも。(昴のイメージは新婚家庭)ベッドの中でのアレやコレやを想像して、イケメンにあるまじき顔面崩壊の危機をむかえながら、昴は無理矢理意識を妄想から引き剥がす。


 朝っぱらから欲情してる場合じゃない。しかもここはモーニングを食べに来た喫茶店だ。全面ガラス張りの窓際の席に通された為、通りから全身丸見えで、さっきから客寄せパンダよろしく通りかかる女性にチラチラよく見られていた。

 軽く足を組んで、半勃ちのナニを隠すようにする。これ以上妄想したら、フル勃起してしまう。さすがにその状態を隠すのは難しいだろうし、出張先でわいせつ罪で捕まりたくはない。


「ご相席よろしいかしら」


 それなりに混んだ店内とはいえ、満席という訳ではない。昴は空いた席を確認すると、ニコリと微笑んで顔を上げた。


「あちらに空席もあります……よ」


 見上げた先には、ボリューミーな胸がボンボンと2つ並んでいた。さらにその上には、朝から気合いの入った完璧フルメイクの美女の笑顔が乗っていて……。


 名前……なんだっけ。


 昨日のパーティーで再開したセフレ、もとい得意先のご令嬢が立っていた。


「私はここがいいの」

「じゃあ、僕が失礼しましょうか」


 妄想に夢中で、まだモーニングプレートに半分も手を付けていなかったのは悔やまれるが、ここで美和に関わる面倒くささを考えれば、少しくらい空腹でもここは撤退した方が良い。


「あら、まだ食べ終わってないじゃない。ゆっくり食べればいいでしょ」


 美和は椅子を昴の真横につけるようにして隣に座った。隣の席に荷物を置いておかなかったのが心底悔やまれる。美和は昴の太腿に手を置き、さりげなく爪の先で内腿からナニにかけて引っ掻く。

 そのおかげか、昴の半勃ちだたナニはすっかり通常状態に戻ってくれた。やはり、沙綾以外にはどんなに欲求不満でも無反応になるらしい。


「もう、昨日せっかく一緒に過ごせると思ったのに」

「それはごめん。でも、ほら、仕事で来てる訳だし」

「まさか昴がKANZAKIの社員だとは思わなかったわ。浅野昴、営業部第1課係長。しかも営業成績トップの優良株ですってね」


 昴は、今までセフレには身バレしないように名前すら下の名前しか教えず、会社や住まいなどわかるような会話も避けていた。それでヨシとする相手としか関係を持たなかったし、面倒になりそうなら連絡先をブロックすれば良かった。


「優良株かどうかはわからないな。ごく普通のサラリーマンで、君みたいな社長令嬢とは住む世界が違う一般市民だよ」

「あら、そんなこと気にしないわ。私、てっきり昴はホストか何かだと思ってたのよ。さすがにホストの彼氏じゃおじいちゃまに勘当されちゃうけど、KANZAKIのエリート社員なら問題ないわ。それに大学も有名国立大学卒業ですってね」

「彼氏……ではないけどね」

「あら、身体の関係は何回もあるのに? 」

「僕だけじゃないだろ? 僕も君だけじゃなかった」

「そうね。どこの誰だかわからない昴はセフレの中の一人どまりだけど、KANZAKIのエリートサラリーマンの浅野昴なら恋人でも申し分ないでしょ。昴だって、サンヨウの孫娘の山田美和なら、付き合う価値はあると思うんじゃなくて? おじい様もあなたが相手なら賛成してくれるだろうし」


 昴は美和の手をつかんで太腿から引き剥がすと、いつも浮かべている人の良い笑顔を引っ込める。


「悪いけど、君に価値は見いだせないな。セフレはセフレ。それ以上になることはないし、もうセフレは必要ないんだ。だから、君にも連絡をとることは二度とないかな」

「そんなこと言っていいの?! うちとの合同開発の話だって」

「うーん、それはどうでもいいかな」

「は? 」


 元から頓挫しかかっていたプロジェクトだし、今回昴が考えたプランがサンヨウの要望にクリーンヒットしただけだ。次案として、他の会社とのコラボ案もある。会社はサンヨウにこだわっているが、昴としてはサンヨウにこだわっている訳じゃないのだ。


「確かにさ、会社的には大きなプロジェクトだし、成功させる為に僕が……というか本社でチーム編成して取り組んでいる案件だけど、そっちがうちと他社を競合させようとしたように、うちもサンヨウさんだけが取引先じゃないからね。ぶっちゃけ、サンヨウが一番手なだけで、限りなくそれに僅差な二番手三番手候補はあるんだよ」

「でも実際にこの取引が……」

「うーん、もしサンヨウの社長なり会長なりが、そんな私事で会社の利益を破棄してしまうようなら、この契約は早々に流れた方が会社の不利益も回避できるかもね。万が一君のおじいさんやお父さんが君の言葉に振り回さる人物ならだけど」

「……」


 美和が黙ってしまったところを見ると、山田義親子は身内可愛さに暴走するタイプではないらしい。一代でサンヨウを築き上げた老獪と、その人物に見込まれて婿養子に入った男は、仕事面ではシビアなようだ。


「そう、それとね」


 昴は席から立ち上がりつつ、美和の耳元で小声で話した。


「もうね、君じゃ勃たないんだよ。好きな娘以外にはインポになったみたいでさ」

「は? 」

「捨て台詞じゃなくて真実だから」


 美和は昴の顔と股関を何度も交互に見る。

 美和にとって、連れ歩くことに優越感を感じる昴の容姿と社会的肩書、もちろんそれはかなり魅力的な部分ではあったが、肉食系女子大生にとっては身体の相性が一番重要なポイントだった。つまり、勃たない昴は魅力半減どころか十分の一くらいだろう。


「じゃ、もう会うこともないと思うけど、元気で」


 多分美和は最後に会ったホテルでの出来事(昴も衝撃だった勃たなかった事件)を思い出して、昴が真実を口にしたんだとわかったのか、会計を済まして喫茶店から出ていく昴を追いかけてはこなかった。


 それにしても、いくら人限定とはいえ、男の尊厳が抉られる単語インポを自ら吐いてしまった。


「沙綾ちゃんに早く会って癒やされたい……」


 毎日朝晩、沙綾と過ごせる日が待ち遠しくてしょうがない昴だった。








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