第19話 神崎沙綾、呆れる
あのアパートを見られる?
沙綾は数分前の自分に、猛烈に講義したい気持ちになりながら昴の車に乗った。
洗い物が終わり急いで帰ろうとしたら、昴に車で家まで送ると言われたのだ。ちょっと無理……と思ったけど、彼との関係性が変わった今、やはり慣れる必要があるのかと思い直して送ってもらうことにした。それがほんの数分前のことだ。
地下にある駐車場に車があると聞き、駐車場に行って昴の車を見た時、心底電車で帰りたいと思った。昴の車は有名処のエンブレムがついたバリバリの外車だったからだ。
この車がうちのボロいアパートの前に横付けするとかあり得ない。
いかにもセレブな億ションといい、高級外車といい、そのあまりの格差を考えると、恋人どころか友達も恐れ多いのではないだろうか? 見た目だけだってあまりある格差なのに、生活レベルまでこれでは、昴が沙綾と付き合って何か得られる物があるんだろうか?
沙綾自体は一般庶民だ。ちょっと親戚はセレブ寄りかもしれないけれど、沙綾には一切関係ない。沙綾を会社に入れてくれたみたいに、親戚特権で多少は融通がきくかもしれないが、営業トップの実績のある昴には、たいした旨味はないだろう。
もし昴が何かしらの夢や野望を持って沙綾と付き合うことにしたのなら、沙綾のオンボロアパートを見た時点で目が覚めるに違いない。
逆にその方がお互いに傷が少なくて良いのかもしれないと開き直ったところで、昴が車の助手席のドアを開けてくれた。その動作はスムーズで、明らかにエスコートしなれている。沙綾以外にも沢山の女性がこの助手席に座ったんだろうなと思いながら沙綾が助手席に乗ると、昴がドアを閉めて運転席側に回り込んできて運転席に座った。住所を聞かれて答えると、昴はカーナビに沙綾の住所を登録していた。
「……車、好きなんですか? 」
「別に。これ大学卒業の時に貰……譲ってもらったんだ。だから車道楽とかじゃないよ。買い替えるのも面倒で、ずっと乗ってる。最近はあまり乗れてなかったけど、これからは沙綾ちゃんの送迎に活躍できるね」
こんな車をポンポンくれる知り合いがいるの?
昴の運転がスムーズなのか、車の性能が良いのか、ほぼ無音で振動もなく車が発進する。
「私の送迎なんて滅相もない! 」
「えー、彼氏なら普通だよ。ほら、彼女が飲み会で遅くなった時に迎えに行ったりとか」
「飲み会に参加したことありません」
「あー、うちの会社そうだよね。飲み会強制参加じゃないもんな。でもほら、同窓会とかは? あ、沙綾ちゃんの地元は? 一人暮らしなら東京じゃないのかな」
同窓会と聞いて、沙綾は頬が引きつるのを感じた。しかし、昴は前を向いて運転している為、沙綾の小さな変化には気が付かない。沙綾は窓の外に流れる風景を見て、音をたてずに深い呼吸を繰り返す。吐いた息と一緒に過去の出来事を追い出すように。
「東京……ですよ、ギリギリ」
「そうなんだ。じゃあ実家にはすぐに帰れるね」
「まぁ、そうですね」
「実家に帰る時とか送っていくよ」
うちのウサギ小屋みたいに小さな実家を見たら、きっとそのままUターンしたくなりますよ。
「大丈夫です」
「でも、ご両親とかにもご挨拶したいし」
私がこんなイケメン連れて帰ったら、それこそ騙されてるんじゃないかって親が心配すると思うので勘弁して欲しい。
「遠慮します」
「えー、真面目なお付き合いしてますってご報告しないとじゃない? 」
私のボロアパート見て気が変わらなければ、まぁ追々……。
「……私から報告しますからお気になさらず」
「報告してくれるんだ」
数ヶ月様子を見たら……ですけどね。
赤信号で車が停まった時には、沙綾はリラックスした表情を浮かべていた。 昴は運転中前を見ているから視線は合わないし、狭い個室に二人きりではあるが、けっこう快適だとすら思うに至り、嫌な気分もすっかり落ち着いていた。
「まぁ、それは、一応」
「嬉しいよ」
チラリとこちらを見てフワリと微笑む昴は、美男美女(親戚達)を見慣れている沙綾もドキドキするくらい色気を巻き散らかしていた。
運転中だからこその流し目で、沙綾の実家に挨拶に行きたいなと数度言われたが、沙綾はその色気に打ち勝ち、「NO」と言い続けた。見なければそれは色気の無駄撃ちだからだ。
「あ、ここで」
カーナビの「目的地に近付きました」という音声ガイドが入ったところで、沙綾は自分のアパートを指差した。
アパートの外階段の横で車が停まる。
「ここ? 」
「ここ」
沙綾はシートベルトを外すと、ペコリと頭を下げて車から出て、カンカンカンと音のうるさい外階段を上り、右から2番目の自分の部屋のドアに鍵をさした。振り返ると、車の運転席からこちらを見上げる昴はが見え、沙綾は再度頭を下げてから部屋に入った。
電気をつけ、台所の窓を開けて外を見ると、走り去る昴の車がちょうど角を曲がるところだった。
このアパートを見て、昴はどう思っただろう。あまりのボロさに正気に戻って、今頃恋人になったことを後悔しているかもしれない。
それならそれでも良いとさっきは思った筈なのに、今の沙綾はスマホのラインの画面をガン見して昴の反応を待っていた。
来るまでに30分弱。きっと帰りだって同じくらいかかる筈だ。30分してラインを送り、もし返信がなかったら、ただの幻だったと気持ちを切り替えよう。
【昴】今帰ったよ。今日は来てくれてありがとう。沙綾ちゃんと付きあえて凄い嬉しいよ
ピロンというラインの着信音が鳴り、先に昴からラインが届いた。家についてすぐにラインを送ってくれたようだ。そして、沙綾は昴とのライン画面を開いていたので、送ってすぐに既読がついたのは気づかれてしまっただろう。
【沙綾】運転お疲れ様でした。送って下さってありがとうございました
素っ気ない、絵文字もスタンプもない文面を送ると、すぐに既読がついた。昴も沙綾とのライン画面を開いてくれているようだ。
【昴】どういたしまして。ところで、きちんと戸締まりはした? チェーンまでかけた? ちゃんとかけてね
チェーン? かけないと駄目なんだろうか?
沙綾は玄関に移動し、鎖のチェーンを言われた通りにかける。
【沙綾】かけましたよ
【昴】窓の鍵は?
【沙綾】閉まってます
【昴】ちゃんと確認して。カーテンも閉めてね
【沙綾】閉まってますよ、もう寝ます。おやすみなさい
口うるさいオカンか?! というくらい昴は戸締まりにうるさかった。面倒くさくなった沙綾は、寝るからと言ってスマホの電源を落とし、さっさとお風呂へ向かう。
さっきまで昴が恋人宣言を取り下げするんじゃないかと心配していた沙綾だったが、昴のラインでそんな心配は吹き飛んだ。そうなると、昴からのラインはもうどうでも良くなり、風呂から上がった沙綾は、スマホを確認することなく布団を敷いてスコンと熟睡してしまった。
朝、爽やかな目覚めを迎えた沙綾は、昴からのラインがあの後5件、朝に1件入っているのに気がついた。
【昴】もう寝るの?
【昴】寝ちゃった?
【昴】おーい。
【昴】おやすみ
【昴】良い夢見てね
【昴】おはよう、良い天気だよ。昨日は嬉しくてあまり寝れなかったよ。今日も1日頑張ろうね
ラインのやり取りと言えば、家族でしているグループラインと、従兄妹達や叔父叔母からちょこちょこ近況報告を催促するラインがくるくらいで、こんなに連チャンで同じ人からラインなんかきたことがなかった。
そして、メールをうつ習慣がほぼない沙綾からすれば、文章をうつのがひたすら面倒くさい。そして、「おは」とうったところで出てきたおはようのスタンプをタップして送信して終了にした。
それから毎日、昴は朝にはおはようのラインと、昼にも数回、寝る前には戸締まりしたかの確認のラインを送ってくるようになり、沙綾はほぼスタンプ(しかもたいして代わり映えしない)で返していた。
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