第14話 浅野昴はパニクる

「浅野さん、お話があります」


 使用されていない会議室、呼び出されて向かって見れば、秘書課の美人トップ3に入る樫井るりが一人、目を潤ませて待っていた。

 樫井には、ここ数年に渡りさりげなくではあるが好意を示されており、のらりくらりと躱していたのだが、きちんと断った方が良いだろうと呼び出しに応じたのだった。


「うん、何かな? 」

「浅野さんにモデル似の彼女がいて、結婚秒読みって聞いたんですが、本当なんでしょうか?! 」

「は? 」


 モデル似の彼女? 何それ? どっから湧いて出た?

 彼女にしたい女は、ごくごく地味で普通の娘なんだけど。 

 結婚秒読み? マジで秒で結婚したいと思ってるよ。残念ながらまだ彼女ですらないけどね。


 と言う訳で、真実は一つも入ってないとみた。


「えっと、そんな噂が出回ってるの?」

「はい、週末にラインで回ってきました。この写真も」


 寺井のスマホを見ると、秘書課のグループラインに、【浅野さん熱愛発覚!】というどこかの見出しのような文面と、カフェのテラス席で談笑する浅野と、神崎梨花の横顔の写真がのっていた。その下には、【結婚秒読みらしいよ】とか、【私はデキ婚って聞いた】とか、色んな人から情報が寄せられており、とてもじゃないけど2〜3見て見るのを止めた。


 モデル似というか、神崎梨花は弁護士兼モデルだったように記憶している。肖像権の侵害とか大丈夫か、これ。


「彼女は友人の従姉さんで、この時は初対面なんだけど。少し前まで友人も同席していたしね」

「それは紹介とかそういう……」

「違う違う。本当にただの偶然。それに僕が彼女にしたいなって思っているのは、この彼女の従妹、つまり僕の友人の方だしね」


 樫井の一瞬ホッと緩んだ表情が、昴の一言でいっきに顔色をなくした。


「……それはこの女性よりもお綺麗な方なのでしょうか」

「魅力的な女性だと思ってるよ」


 誰にとってもそうかって聞かれたら、そこは素直に違うと答えただろう。

 顔の美醜なんか些細な問題だし、自分のこの顔だっていづれは老いて皺だらけになるんだ。そんないつかは見向きもされない物にすがるなんてバカらしい。その為の逆玉じゃないか!!

 そしてさらに沙綾が醸し出す雰囲気は居心地が良いし、女を押し付けてこない。何よりも沙綾以外に勃たないんだから、俺にとって最上級に魅力的な女で間違いない。


 そんなことを考えているうちに、樫井は「お幸せに」と小さくつぶやいてヨロヨロと会議室を出ていった。


 そういえば、昨日今日とやたらと「おめでとう」やら「羨ましいよ」などと同僚に言われて、何が? と思いながらも適当に答えていた。

 他にも、他課の女子などにさっきの樫井のように潤んだ瞳で、「幸せですか?! 」とか「お幸せに! 」とか言われたことも多々あった。

 全てがここ(熱愛発覚)にあったのかと納得し、昴はそこでこの噂はどこまで広がっているのか……と一抹の不安がよぎる。

 人付き合いのない沙綾に、あの画像が回ってくるとは思えない。あれさえ見れば誤解だとわかるだろうが、ただ噂を聞きかじっただけだとしたら……。


 とんでもない誤解をしてるんじゃないかと、昴の顔色がかわる。それでなくても色々と失態をおかしているというのに!


 昴はスマホを取り出して沙綾に連絡しようかと考えたが、電話越しよりも直に話した方が良いだろうとスマホをしまう。会議室のドアを開けた時、探しに行こうと思っていたまさにその人物が空き缶を捨てて大きなため息をついてこっちに歩いてくるではないか。


 周りに人はいないが、いつ女子社員がくるかはわからない。この階は女子社員が隠れて化粧直し(トイレ)にくるからだ。


 昴のいる会議室を通り過ぎようとした沙綾の腕を引っ張り沙綾を会議室に引き入れた。すぐに鍵を閉め、廊下の音を伺う。誰にも気づかれなかったようだとホッと息を吐くと、凄い形相で固まる沙綾が眼下にいた。


「沙綾ちゃん、僕、浅野だよ」


 ギシギシと音がなりそうなくらい不自然な動きで後ろを振り向いた沙綾の目には涙が滲んだおり、いきなりボカスカと昴の胸を叩かれた。


「ごめん、ごめん。怖かったんだよね。ほら、沙綾ちゃんと親しいってバレたら駄目って言ってたから、人目につかないようにって思ってさ」


 沙綾を引き剥がすでもなく、されるがままに叩かれていた昴は、沙綾の背中をポンポンと叩いた。


「声くらいかけてください。変質者かと思いました」

「うん、ごめん。でも、もし変質者だったらちゃんと大声で助けを呼ぶんだよ」

「……無理です」

「今度、防犯ブザーをプレゼントするよ。ちゃんとぶら下げて歩いてね」


 昴としたらかなり本気の提案だったし、実際に可愛い防犯ブザーを買おうと考えていた。


「必要ありません」


 昴から一歩離れた沙綾は、プイとそっぽを向いた。そんなブスッたれた顔すら可愛いなと思ってしまう。


「必要だと思うけどなぁ」

「それより、私に何か用事じゃないんですか」

「うーん、そうだね。まず座ろうか」


 会議室に備え付けのパイプ椅子を引いて沙綾を座らせると、昴は真横や対面には座らずに、正面から視線を合わせる事が出来ない沙綾とL字になるように座った。視線を合わせるのが苦手な沙綾に合わせてこの座り方が定着したのだが、この座り方だと緊張していない沙綾の素顔もたまに見れたりする。

 

「僕の噂話が出回っているようだけど」

「……私じゃないです」


 そんなのは全然疑ってない。そうじゃないんだと、慌てて言葉を重ねる、


「当たり前だろ。沙綾ちゃんが噂話するような娘だなんて思ってないよ。それより、どんな噂話を聞いたか聞いて良い? 」


 噂……ではないですよね? と、明らかに信じているような沙綾の雰囲気に、昴はハアーッと大きなため息をついた。


「まずね、金曜日だけど、お昼に僕らは一緒に食事したよね。沙綾ちゃんと沙綾ちゃんの従姉の神崎さんと」

「そうですね」


 うん、そこをしっかり思い出せば、噂の出どころはわかるよね?


「あの時のこと思い出して。沙綾ちゃん、先に帰ったよね? まぁ、神崎さんと二人だったのはほんの数分だったけど、それを見られたんじゃないかって思うんだ。モデル似の美人って、モデルのリンカさん本人だし」

「え? 浅野さん、梨花姉ちゃんと付き合ってたんですか? 」


 アーッ、何でそんな勘違いになるかな。


 昴は思わず身を乗り出して力説した。


「あのね、僕達はあれが初対面。認識としては沙綾ちゃんの従姉妹のお姉さんってだけだからね」


 ビックリした顔可愛いな、珍しく視線も合ったし。少しは馴れてきたってことだよな。


 けれどすぐに沙綾はオドオドと視線を外し、うーんと考えていた。

 何を考えているかわからないけど、そこは「なんだ、誤解だったんですね、良かった」とはならないんだろうか?

 やはり、あの口紅の跡が引っかかってるんだろうな。結局言い訳も聞いてくれなかったし。


 昴の言い訳(嘘)とは、金曜日は取引先の接待に付き合わされており、そこで女の子が横に座るキャバクラに連れて行かれ、それで口紅を付けられたんだと、適当な嘘で誤魔化そうとしていた。が、話そうとすると掃除をする場所を移動したりして、聞きたくありませんオーラをガンガン出していた沙綾に、とてもじゃないが「実はね……」と話せなかったのだ。


「誤解は解けたかな? なんか昨日今日とさ、色んな人からお幸せにとかおめでとうてか意味不明に言われてさ。どうやら、神崎さんとの目撃談が尾ヒレがついて広まってるみたいで。いつの間にかそれが結婚秒読みの婚約者がいるとか、デキ婚するらしいとかよくわからない噂になってたんだ。まだ彼女すらいないのに、婚約者もなにもないだろって、なぁ? 」


 じゃああの口紅は? と聞いてくれたら、言い訳を披露しようと待ち構えていた昴だったが、その後の沙綾の口から出た言葉に、笑顔も硬直して言い訳なんか吹っ飛んでしまうことになる。


「金曜日の夜……」

「うん? 」

「六本木、行きました? 」

「……」

「見られてますよ。そっちの噂はお聞きじゃないんですか? 」

「……ちなみにどんな? 」

「モデル似の美人とベタベタ腕を組んでラブホテルに入った……という話で」


 ちょうどその時、まるで見計らったかのように昴のスマホがなった。沙綾の口から出たもう一つの噂(真実)に一瞬意識が飛んだ昴だったが、瞬時にこれはマズイと頭がフル回転しだす。


「……ごめん、仕事の呼び出しだ。ちょっと出るね」


 胸ポケットからスマホを取り出し、沙綾から少し離れて電話に出た。電話に出ながらも、沙綾になんて話せばいいのか思考がまとまらない。電話はたいして意味のない同期からの飲み会のお誘いで、適当な相槌で電話を終わらせると、沙綾の目の前に立って視線を合わせた。視線を合わせるのが苦手な沙綾が視線をそらすのを計算した上で、昴の嘘がバレないようにという狡い考えからだった。


「仕事に行かないといけないんだ。あのね、さっきのことについて沙綾ちゃんにきちんと話したい。ううん、話させて。だから、今日、仕事終わったらうちに来てくれないか」

「え……いや……でも」

「お願い。じゃ、夕飯のおかずは僕が何か買って帰るから、沙綾ちゃんはご飯だけ炊いておいてくれる? なるべく早くに帰るようにするから。じゃ、絶対に来てね。約束だからね」


 仕事なぞ呼び出されていないが、とにかく考える時間が欲しかった。そしてなるべく早くに沙綾の誤解(……誤解じゃないんだけど)に、弁明をしなくてはと焦るあまり、昴は押し付けるように約束を取り付け、会議室を飛び出していた。

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