第13話 神崎沙綾の小耳に挟んだ話
「……んだって」
「エーッ! ウッソー」
沙綾がトイレに入っていると、キャーキャー騒がしく女子社員数人が入ってきた。
「浅野さん好きだったのに〜、大ショック〜」
「えーでもぉ、秘書課の寺井さんは?彼女、猛烈にアピールしてなかった?」
「浅野さんは社内恋愛しないって噂だし、寺井さんが一人で盛り上がってただけなんじゃない」
「いくら秘書課のルーキーでも、そりゃモデルには負けるわよ」
「似てるってだけでモデルじゃないんでしょ? 」
「モデル並みの美人って私は聞いたよ」
「アーッ、やっぱり美男には美女なのかい! 本気だったのにィィィッ」
「あんたじゃ無理無理。高嶺の花ってやつ」
どうやら、昴の話で盛り上がっているらしい。トイレ内で缶コーヒー(ミルクたっぷりカフェオレ)片手に休憩していた沙綾は、出にくくなったなと思いながら缶コーヒーをグビッと一口飲んだ。
話によると、先週の金曜日、浅野昴は仕事中にも関わらずモデル(名前は聞こえなかった)似の美人とデートをしているところを営業の同僚に見られたらしい。
金曜日というと、沙綾と梨花と昼食をとったが、その前後どちらかで美人な彼女とデートをしたのだろう。彼女はいないと言っていたのに、どうやら嘘をつかれたようだ。仕事中にデートってどうなのよ……と思わなくもないが、営業は忙しいらしいし、平日の少しの時間でも彼女に会いたいんだろう。
そして、噂はそれだけでなく、そのモデル似の彼女と夜の六本木の腕組みデートまで目撃されたらしい。(それを目撃したのは経理課の女子とその彼氏)ベッタベタにくっついて歩いていたらしく、その後ラブホテルに消えたそうだ。
ほうほう、たまたま偶然ついただけの口紅の彼女と、ラブホテルに行っていた訳ですね。しかもそんなとこに行っときながら彼女じゃないと。たかだか臨時家政婦の私に隠す必要なんかないのに。
昴の人となりをそれなりに評価していた沙綾は、結局は昴もただの男だったのだと軽い失望を感じた。そして、自分に嘘をついて彼女の存在を隠したということは、トイレでキャーキャー噂話をしている彼女らのように、昴の私生活を他人にばら撒く女だと思われたのかと、そちらの方がよりショックが大きかった。
別にもし仮に昴に彼女がいることを知ったとしても、それを言いふらす意味が沙綾にはないし、何よりも噂話をする知り合いすらいないのだから。
トイレ内が静かになり、女子社員達の化粧直しが終わったのを知り、沙綾は缶コーヒーを飲みきってトイレを出た。缶を軽く水で流し、トイレを出てすぐにある自販機の横のゴミ箱に捨てる。
それにしても、金曜日の出来事が火曜日の今日にはすでに会社中に広がってるとか、昴は本当に有名人(会社限定だろうが)だなと、改めて自分とは住む世界の違う人種なんだと痛感する。弁償の為に始めた浅野家臨時家政婦だが、完済出来た後はどうなるんだろう? ハウスキーパーさんはもう頼みたくないようだし、かと言ってずっと沙綾が続けるのも違う気がする。
口紅の彼女がなんとかするかな。
自分の代わりに違う女性があの部屋に出入りしているのを想像して、胸がズキリと痛む。沙綾はその痛みをあえて見ないようにした。
初めて友達になりたいと言ってくれた人だから、友達じゃなくなってしまうんじゃないかって、それが心配で胸が痛いんだと自分に言い聞かせる。それに臨時家政婦をする時、自分は昴に好意はもたないと断言したじゃないか。
私は友達には嘘はつきたくない。
浅野昴と神崎沙綾、やはり友達になるのには無理があるんだろうか。
大きなため息をついて仕事場に戻ろうと歩き出した時、いきなり腕を引っ張られた。バタンという扉の閉まる音に、自分が会議室に連れ込まれたのだと理解した。
あまりの恐怖に、暴れることも叫ぶことも出来ずに硬直する。
「沙綾ちゃん、僕、浅野だよ」
ギシギシと音がなりそうなくらい不自然な動きで後ろを振り向くと、困り顔をした昴が沙綾の腕をつかんで立っていた。
いっきに脱力した沙綾は、涙が滲んだ目でボカスカと昴の胸を叩いた。
「ごめん、ごめん。怖かったんだよね。ほら、沙綾ちゃんと親しいってバレたら駄目って言ってたから、人目につかないようにって思ってさ」
沙綾を引き剥がすでもなく、されるがままに叩かれていた昴は、背中をポンポンと叩いて沙綾を落ち着かせようとしてくれた。
「声くらいかけてください。変質者かと思いました」
「うん、ごめん。でも、もし変質者だったらちゃんと大声で助けを呼ぶんだよ」
「……無理です」
「今度、防犯ブザーをプレゼントするよ。ちゃんとぶら下げて歩いてね」
小学生でもあるまいし。それに、これみよがしに防犯ブザーをぶら下げる必要があるのは、それこそ昴の彼女である口紅の女くらいの美女だけだ。
「必要ありません」
思い出したくないことを勝手に思い出して、沙綾は昴から一歩離れてそっぽを向いた。
「必要だと思うけどなぁ」
「それより、私に何か用事じゃないんですか」
「うーん、そうだね。まず座ろうか」
会議室に備え付けのパイプ椅子を引いて沙綾を座らせると、昴は真横や対面には座らずに、正面から視線を合わせる事が出来ない沙綾とL字になるように座った。
こういう気遣いが凄く嬉しい。昴は目を見て話せとか無理強いしないし、動作のトロイ沙綾に速くしろとか言わない。ありのままの沙綾の居場所を作ってくれる。
「僕の噂話が出回っているようだけど」
「……私じゃないです」
「当たり前だろ。沙綾ちゃんが噂話するような娘だなんて思ってないよ。それより、どんな噂話を聞いたか聞いて良い? 」
噂……ではないですよね? と、沙綾が首を傾げると、昴はハアーッと大きなため息をついた。
「まずね、金曜日だけど、お昼に僕らは一緒に食事したよね。沙綾ちゃんと沙綾ちゃんの従姉の神崎さんと」
「そうですね」
うん、あれは見られてなかったようで、誰にも何も聞かれてない。
「あの時のこと思い出して。沙綾ちゃん、先に帰ったよね? まぁ、神崎さんと二人だったのはほんの数分だったけど、それを見られたんじゃないかって思うんだ。モデル似の美人って、モデルのリンカさん本人だし」
「え? 浅野さん、梨花姉ちゃんと付き合ってたんですか? 」
「あのね、僕達はあれが初対面。認識としては沙綾ちゃんの従姉妹のお姉さんってだけだからね」
あ、ビックリして思わず視線合わせちゃった。
沙綾はオドオドと視線を外し、うーんと考える。
なるほど、就業時間中のモデル似の彼女とのデートとは、梨花と一緒のところを見られたからか。自分も一緒のところじゃなくて本当に良かった。
あれ? じゃあ六本木のアレは? 梨花似の別人? それとも昼と同じく梨花本人?
「誤解は解けたかな? なんか昨日今日とさ、色んな人からお幸せにとかおめでとうてか意味不明に言われてさ。どうやら、神崎さんとの目撃談が尾ヒレがついて広まってるみたいで。いつの間にかそれが結婚秒読みの婚約者がいるとか、デキ婚するらしいとかよくわからない噂になってたんだ。まだ彼女すらいないのに、婚約者もなにもないだろって、なぁ? 」
やはり彼女はいない発言ですか……。
そうですか、それなら彼女でもない女性とラブホテルに行けてしまう下半身のユルイ男認定されてしまいますけどいいですね! (ある意味その通り)
が、そんなことズバリと言えない沙綾は、もじもじともう一つの噂話について口にした。
「金曜日の夜……」
「うん? 」
「六本木、行きました? 」
「……」
ニコヤカだった昴の笑顔が固まった。NOという返事はない。
「見られてますよ。そっちの噂はお聞きじゃないんですか? 」
「……ちなみにどんな? 」
「モデル似の美人とベタベタ腕を組んでラブホテルに入った……という話で」
ちょうどその時、まるで見計らったかのように昴のスマホがなった。
「……ごめん、仕事の呼び出しだ。ちょっと出るね」
昴は胸ポケットからスマホを取り出すと、立ち上がって少し離れて電話に出た。
数分話して着信を切ると、いつもわざと視線を合わせなくても良い位置にいてくれる昴にしては珍しく、沙綾の目の前に来て視線を合わせた。
「仕事に行かないといけないんだ。あのね、さっきのことについて沙綾ちゃんにきちんと話したい。ううん、話させて。だから、今日、仕事終わったらうちに来てくれないか」
「え……いや……でも」
「お願い。じゃ、夕飯のおかずは僕が何か買って帰るから、沙綾ちゃんはご飯だけ炊いておいてくれる? なるべく早くに帰るようにするから。じゃ、絶対に来てね。約束だからね」
勝手に約束だと言って会議室を出ていってしまった昴の後ろ姿を見つめ、あぁ否定はしないんだなとボンヤリ考えた。
フローラルの香り、Yシャツについた口紅、衝撃的な目撃談。彼女の存在は完璧に否定しつつ、あの噂については否定も肯定もしなかった。
話って、別に今ここでその噂は本当だとか間違いだとか、一言で終わる話じゃないのかな。まるで浮気が見つかった彼氏が弁解するみたいに必死になる意味がわからない。
だって、あの浅野さんが焦って弁解する相手が私?
あり得ない。本当に意味がわからない。
友達だから?
友達には変な勘違いはされたくないってこと?
そりゃね、浅野さんも良い年齢なんだから、そういう相手がいてもおかしくないのかもしれない、お互いに割り切った大人の関係ってやつ? 私には無理だし、浅野さんだって私にはそんなの求めないだろうけど。
そういうの理解してって言われちゃうのかな? 私にはそんな気は絶対におきないから安心してって……。
自分の妄想にボロボロ涙が出てきて、沙綾は眼鏡を外して目をゴシゴシ擦った。
何だろう、色んな意味でショック過ぎる。
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