第9話 神崎沙綾と従姉
沙綾には友達はいない。友達はいないが、話す人間が皆無という訳ではない。お昼ご飯をおごってくれるという言葉につられ、沙綾は会社のお昼休みを使って、ある人物に会う為に珍しく早足で道を歩いていた。
沙綾は約束の場所(お洒落なカフェ)を見てピタリと足を止めた。沙綾を呼び出した人物はオープンテラス席に座り、優雅にティーカップを傾けていた。明らかに沙綾とは人種が違うその人は、帰ろうか逡巡していた沙綾を目聡く見つけ、立ち上がって大きく手を振ってきた。
それでなくても注目度マックスの美女だ。そのいかにも待ち合わせの人物が来ましたみたいな動作に、回りでチラチラ様子を伺っていた人達が、どんな相手が来たのかと、期待のこもった視線を沙綾にむけてくる。ただし、かの美女の待ち合わせ人物が沙綾だとは考えない人達は、沙綾をスルーしてその後ろに人がいるのかとキョロキョロ探しているようだが。
「沙綾、久しぶり」
「梨花姉ちゃん、なんでテラス席なのよ」
勿論理由はわかっているが聞いてみた。
「そりゃ、沢山の人に見られたいからよ」
予想通りの返事が返ってきた。
神崎梨花、28歳。アラサーにはとても見えないスレンダー美女だ。神崎姓ではあるが沙綾の姉ではなく従姉だ。ちなちにバツ2の子持ち。弁護士やりながら趣味でモデルをしているパワフルママで、神崎美和子の娘でもある。若かりし頃はモデルがメインだったが、弁護士試験に合格してからは、本職は弁護士にスイッチした。
「ちいちゃんは? 」
「
千奈津とは花梨の一人娘で現在小1、葉月は千奈津のシッターだ。梨花は子育てを葉月にオンブに抱っこ状態で、家事全ても丸投げしている。葉月が嫁で花梨が旦那状態で、住まいも一緒にしているが、男女の関係はないと花梨は言っている。(葉月とは名前を
「ほら、突っ立ってないで座りなさいよ」
梨花に言われ、沙綾は渋々テラス席に座る。この目立つ従姉と、会社近くのカフェで待ち合わせ自体嫌だったのに、まさかのテラス席に沙綾は場違いですと言わんばかりに縮こまる。
梨花は沙綾と真逆の性格をしており、自由奔放な自信家で常に人の注目を集めて中心に立つタイプだ。目立つのが大好きで、厄介事に首を突っ込んでは引っ掻き回すトラブルメイカーでもある。……弁護士が本業なのに。
沙綾がどんな態度でも我関せず接してくる梨花は、実は沙綾にしてみれば気楽な人物でもあった。
「私、来月から正おじ様の会社の顧問弁護士になるからよろしくね」
「あ、そうなんだ」
ペイペイの沙綾からしたら、自分の会社の顧問弁護士などほぼ無関係な立場なので、お気軽に返事をする。梨花もそれはただの報告だったようで、話を掘り下げるでもなく、そう言えばと簡単に話をかえた。
「沙綾、この間ママの婚活パーティーに行ったんですって」
「婚活……異業種交流会ね。行ったというか、病気で来れない人がいたから数合わせで無理矢理……あ、ランチプレートとアイスティーで……」
「ランチプレートとアイスティーよ。私じゃなくてこの子ね」
途中でウエイターが来たので注文したのだが、小さな声過ぎて聞こえなかったらしく、梨花が言い直してくれた。
「で、なんかイケメン釣り上げたらしいじゃない」
「ゴホッ……ウッウン」
目の前に置かれたお冷を口に含んだところで、思わず咳き込んでしまう。
「やだ、大丈夫? あなた気管支弱かったっけ? 」
「梨花姉ちゃんが変なこと言うから」
「あら、だってあんたがイケメンに抱きついたって聞いたから。しかもその後お嫁さん抱っこで会場からトンズラしたらしいじゃない。ママが大興奮で話してくれたわよ」
「あれは眼鏡が壊れたから見えなくて転びそうになったの。で、たまたま目の前にいた浅野さんにしがみついちゃっただけで」
「へぇ、浅野さんって言うんだ。名前の交換するなんて、沙綾のくせにやるじゃないの」
「違うの! しがみついた拍子にワイン溢しちゃってスーツ汚しちゃって。だから弁償しようって」
「え、弁償を要求するような男だったの?! イケメンの癖にセコイわね」
「違うから! 浅野さんはいらないって言ってくれたの。でも私が嫌で」
「ふーん」
必死に梨花の勘違いを正そうと喋っていた沙綾は、目の前にランチプレートを置かれたのも気が付かずに、いつも以上に饒舌に梨花に訴えた。そんな沙綾を花梨は目を細めては眺め、ニマニマとした笑顔になる。
「で、弁償は終わったの? 」
「ううん。週に一回おうちのお掃除とお夕飯を作りに行くのが弁償の代わりなの」
「何それ? 」
昴がハウスキーパーに受けたストーキング行為については伏せて、ハウスキーパーの代わりに週1働いて、すでに1ヶ月たってるからあと2ヶ月くらいでスーツの修理代金を弁償することを説明した。
「ふーん、週1おうちデートか」
「いや、だから違うからね」
説明が終わり、やっと食べ始めたランチプレートは、少し冷めてしまったが味は美味しかった。
「……沙綾ちゃん? 」
いきなりイケボイスで名前を呼ばれ、沙綾は口にフォークを突っ込んだまま恐る恐る声のした方を向いた。
「浅野……さん」
「あら、浅野さん? 彼が浅野さん?」
梨花はサッと立ち上がると、道路からこっちを見ていた昴の方へ、高いピンヒール音を鳴り響かせて歩み寄った。
「はじめまして、神崎梨花です」
「神崎……」
「姉妹じゃないんですのよ。従姉妹です。こちら、私の名刺ですわ」
「ご丁寧にありがとうございます。私は浅野昴と申します」
「あらやだ、そんな畏まらなくてよろしくてよ。お昼は召し上がりましたの? 」
「これからです」
「じゃあ、ご一緒にいかが? 」
「お邪魔じゃなければ」
何やらよくわからない間に昴が沙綾の隣に座り、同じくランチプレートとアイスコーヒーを注文していた。
社交の塊のような梨花はにこやかに会話をし、昴も爽やかな笑顔でそれに返す。まるで別世界のような綺羅びやかな様子に、沙綾は無言で食事を進めた。
「梨花姉ちゃん、私お昼時間なくなるから帰る」
「あらそう? 浅野さんはまだコーヒー飲む時間はあるのかしら? 」
「はい、少しは」
「じゃ、沙綾、また連絡するわ。ここは支払っておくからお戻りなさい」
「うん……じゃあ」
「沙綾ちゃん、また明日ね」
「はい、明日はお昼くらいに伺います」
「うん、明日は家で仕事してるから鍵開けて入ってきてくれる? 」
「わかりました」
昴はランチプレートの最後の一口を咀嚼した後、沙綾に手を振ってくれた。確かに昴のコーヒーはまだ残っているが、この二人は今が初対面なのに二人でお茶できちゃうんだ……と、なにやらモヤモヤする気持ちを感じながらも、沙綾は昴にお辞儀して席を立った。
道に出てチラリと振り返ると、そこだけキッラキラの男女が談笑していた。
うん、次元が違う。
モデル並み(梨花は副業モデルだが)の二人は、明らかにお似合いだ。年齢的にも近いし、二人が美男美女過ぎて自分だけ異物排除された気分になる。
このモヤモヤは仲間外れにされた気分なんだろうか?
昴は沙綾にとって唯一の友達なのに、昴にしたら沙綾は唯一じゃない。ああやってお似合いの相手はいくらだって作れる。いつだって、沙綾は簡単に手を離せる存在なんだ。
沙綾は二度と振り返らずに会社へ足を向けた。沙綾がいなくなった後、会社の誰かが昴と梨花を見かけたらしく、昴がモデルのリンカ(梨花の芸名)似の美女と付き合っていると噂が流れることになるのだが、またそれは後の出来事だ。
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