#12 父との再会

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傷ついた父はたしかにここにいた! 父は生きていたのだ……。

明かされた真実のまえに、エフィは言葉もなく長老の言葉に聞き入った。


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 カーミルとエフィは、窓のない薄暗い部屋へと通された。

 明るい日ざしのなかから急に薄暗い部屋のなかに入ったため、エフィには室内の様子はすぐにはわからなかった。カーミルにうながされ、絨毯の敷かれた床に腰を下ろす。目が慣れてくると、部屋の奥に深い皺の刻まれた年老いた男が座っているのに気づいた。この男が長老なのだろう。

 長老はしばらくの間、エフィをじっと見つめていた。そして、話し始めた。

「もうずいぶんむかしのことになる。われわれは、この地からさらに西へ向かったところで、襲撃にあった外国人の一行を発見した。彼らの車はドアというドアが開け放たれ、窓ガラスや車体には銃痕があった。

 車内には息絶えたドライバーの姿があった。車のまわりには、異国人たちが何人も倒れていた。かつてあのあたりは無法地帯で、非常に危険なところだった」

 エフィは耳を塞ぎたくなるのをこらえた。そこまでは知っている。知ってはいても、こうして生々しく聞かされるのは耐えがたかった。でも……父さんの遺体はなかったはずだ。

「生きているものはいないかと一人ひとり脈を確かめていると、1人だけ弱々しくも脈動の感じられる男がいた。その男を馬に乗せ、略奪された車内の片隅に、それでも残っていた荷物を馬に括り付けた。何かの道具だったので、ひょっとしたら役に立つんじゃないかと考えてな。

 男は肩と脇腹、足を撃たれていた。腹部の弾は貫通していた。われわれは傷の手当をしたが、男の意識はなく出血もひどかったので、あまり期待はしていなかった。それでもできるかぎりの看病はした。そして数日後、男は意識を取り戻した。ネイサンと名乗った。エフィさん、あなたのお父上だ」

 ああ、神さま! エフィは心のなかで叫んだ。やっぱり父さんは死んでいなかったんだ。

「ネイサンは徐々に回復し、やがて動けるようになった。そして、みずから肩と足の弾を取り出した。われわれが道具を運んできたことに、とても感謝していたよ。

 彼は日に日に元気になり、体調を崩したものがおると、すぐに診てくれた。みな『ドク、ドク』と慕うようになり、われわれはネイサンをここに遣わしてくれたことを神に感謝した。

 あるとき、1人が突然、高熱に苦しみ始めた。原因はわからず、1人また1人とおなじ症状を訴えるものがつづいた。何かの疫病だったらしい。ネイサンは病人を隔離するよう命じ、自分だけが寄り添って看病した。最初に倒れたものは、不運にも亡くなった。だが、ネイサンは病の正体を突き止め、適切な治療のおかげでみな回復するようになった。彼がいなければ、われわれはどうなっていたことか」

 エフィは父親の姿を思い描き、とても幸せな気分にひたった。やっぱりわたしの父さんだ。きっと寝食を忘れて看病したんだろう。一度でいいから、ここで治療にあたる父さんの姿を見てみたかった。そう思うと誇らしさが胸にこみあげてきた。

 同時に、胸の奥が苦しくなった。その先を聞いてはいけない――そんな予感がして顔をあげると、部屋のなかは静まり返っていた。はっとして長老に視線を戻す。その目には悲しみの色が浮かんでいた。

 その先は? 父はどうなったの?

 長老は重苦しい声で先をつづけた。「だがやがて、彼自身がその疫病に倒れてしまった。薬はほとんど使い果たしていた。ネイサンは1人部屋にこもり、われわれに自分には近づくなと厳しく命じた。自分で治療するから心配ないと。しかたなく、戸口に食事や水だけを置いて、部屋には入らなかった。いや、入れなかったんだよ。疫病を怖れてな。

 やがて、戸口に置かれた食事が手つかずのままになった。われわれは意を決して、部屋のなかに入った」

 老いた語り部は視線を落とし、沈痛な表情を浮かべた。「ネイサンは……もう冷たくなっていた」

「ウソ! ウソよ!」エフィは叫んだ。涙が止まらなかった。せっかく助かったのに。ここの人たちをたくさん救ったのに。なのに、父さんが死んだ? どうして、どうして……。

「エフィさん、あなたのお父上はとても立派な人だった。われわれを救ってくれた。部族を代表して、お礼を申し上げたい。ありがとう」長老は深々と頭を下げた。

 エフィは、頬をつたう涙をぬぐうことも忘れていた。体の力がすべて抜け落ちてしまっていた。一瞬の喜びから突如、底なしの闇へと突き落とされた。状況を理解できず、悲しみさえどこか遠いものに思えた。

「エフィ」ささやくような声に顔を向けると、カーミルがすぐそばにいた。エフィはその胸に身を預けた。いまはただ、抱き止めてほしかった。父のぬくもりがほしかった。

 エフィはカーミルの胸のなかで、ただただ泣いた。


     ―    *    ―    *    ―


「エフィさん、あなたに渡したいものがある」しばらく黙っていた長老が、ようやく口を開いた。古びた手紙らしきものを手にしていた。「お父上からあなたへの手紙だ。われわれが部屋に入ったとき、ネイサンはこれを胸に抱くように横になっていた。おそらく最後の祈りだったのだろう。その思いが十数年経たいま、ようやく通じた。こんな辺境の地まであなたがやって来たことは、もはや奇跡としか思えない。神の思し召しとしか」

 エフィはカーミルから身を離して封筒を受け取った。父の手のぬくもりが残っているかのように、その表面をやさしく撫でる。そして開封すると、声を出さずに読み始めた。


 最愛の妻マーガレット、

 そして最愛の娘、エフィへ


 マーガレット、エフィ、元気にしているかい? 

 おまえたちにこの手紙が届くかどうかはわからない。だが、ほんのわずかな可能性にかけて、こうして書いておく。もしこの手紙がおまえたちの手に渡ったなら、そのときには、エフィ、おまえはいくつになっているだろう? きみの成長した姿を見られないのが、とても残念だ。

 

 おまえたちがこの手紙を読んでいるころ、わたしはもうこの世にはいないだろう。無事に帰れなくて、心から申し訳ないと思っている。

 だが、悲しまないでほしい。わたしは一度命を落としかけたところを、ある人たちに助けられた。その人たちのもとで元気になった。ところが、その人たちを疫病が襲ったんだ。わたしがいなかったら、みんな死んでいたと思う。だから、こう思うんだ。神さまが「おまえにはまだ医者としての仕事が残っている。まだ死んではだめだ」と、チャンスをくれたんじゃないかってね。わたしはいまとっても気分がいい。人の役に立ちたくて医者になり、こうして最後の最後まで人の役に立つことができたのだから。

 

 マーガレット、わたしの人生のパートナーになってくれてありがとう。きみをひとりにしてしまうことを、どうか許してくれ。

 そしてエフィ。きみにはこれから長い人生が待っている。可能性に満ちた世界が。だから自分のやりたいことをして、精いっぱい、悔いのないように生きなさい。

 

 最後にもう一度。わたしがいないことを、悲しまないでほしい。わたしはとても幸せだったのだから。だからおまえたちも、笑いたいときには笑って、怒りたいときには怒って、泣きたいときには思いきり泣きなさい。それが生きるということだから。そして、ときどきはわたしのことを思い出しておくれ。

 おまえたち2人をずっと見守っているよ。


                          心からの愛を込めて

 夫であり、父であるネイサンより


 エフィは心のなかで父親に話しかけていた。父さんったらわたしがずっと子どものままでいると思っていたの? もう24歳よ。新聞記者になったの、まだ一人まえとは言えないけどね。ずっと父さんに会えることを楽しみにしてた。母さんは連れて来られなかったけれど。でも、母さんは決して不幸ではなかったと思うわ。そして、ようやく夢が叶った。こうして、父さんに会えて……。

 エフィの頬を涙がいつまでも静かに伝っていく。だが、その表情から悲しみや苦痛は消えていた。うっすらと笑みが浮かび、どこか晴れ晴れとしていた。


     ―    *    ―    *    ―


 その後、長老はエフィとカーミルを集落のそばにあるネイサンの墓に案内した。墓標代わりの石盤には、「神の使い ネイサン・ペレスフォードここに眠る」と刻まれていた。

 エフィは墓前にひざまずき、ふたたび父に語りかけた。父さんの言うように、これからは精いっぱい悔いのない生き方をします。思う存分、人生も楽しむわ。いつか、母さんも連れて来るから、それまで待っててね。

「エフィさん、いつでもたずねて来なさい。あなたは特別な客人だから」長老がエフィの肩にそっと手を置いた。

 エフィは立ち上がると、「本当にありがとうございました」と笑顔で礼を言った。父を助けてくれて、こうしてわたしのもとに返してくれて。

 部族全員に見守られるなか、エフィとカーミルはレンジローバーへと向かった。そのとき、長老がカーミルを呼び止めた。

「カーミル王子、あなたがどうしてエフィさんを?」

「いろいろと事情はあるのですが」カーミルはちょっと思案したのち、答えた。「おそらく神の思し召しかと」

 長老は怪訝な表情を見せたものの、すぐに笑みを浮かべた。「王家の行動としては前代未聞だ。気に入ったよ。いずれあなたが王位に就かれたら、わが部族も――」

「いまはそういう話はやめましょう、長老」カーミルは言った。「今日は一個人として参ったのです」

「そうか。とにかく、これでわれわれもようやくネイサンに恩返しをすることができた。エフィさんを連れて来てくれたことに礼を言おう」

「いえ、私のほうこそ。彼女を救ってくださり、ありがとうございました」

 2人は頬を合わせるように抱き合い、丁重に別れた。

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