#13 解き放たれた愛

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父親との「再会」を果たし、ようやく本来の自分を取り戻すエフィ。心のブレーキを外した彼女を見て、カーミルもまた王子という枷を自ら外す。相手への抑えきれな想い――。ふたりを乗せたSUVは“秘密の場所”へと疾駆する。


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 レンジローバーが走り出すと、エフィはかしこまった口調で言った。「王子のおかげで、ようやく父と再会することができました」エフィは「再会」の言葉を強調した。

「お父さんは笑っていたかい?」

「『いた』じゃなくて『いる』です。いまも、ここで」エフィは胸に手をあてる。「本当にありがとう」

「礼はいらない」カーミルはエフィを見やった。彼女は微笑んでいた。心のしこりがついに消え去り、そこにぎこちなさやうしろめたさはかけらもない。心からの笑み。これまでも顔立ちの美しさには気づいていたが、いまエフィは、内面からあふれるような輝きとともに美しく微笑んでいた。

「私はいま最高に気分がいい。こんな気持ちになったのは、いつ以来だろう」カーミルまで、晴れ晴れとした気持ちになっていた。

「ついこのまえでしょう? ニューミレニアムが勝ったとき」エフィが言う。「あのときの王子の喜びようには正直、びっくりしました。ガッツポーズをして雄叫びを上げたり、わたしに抱きついてキスまでしたんですから」

「いや、そうだった。忘れてしまったら、ニューミレニアムに噛みつかれるな」カーミルは苦笑してみせたが、内心はこう思っていた。あれとはちがう。これは興奮でも歓喜でもない。

「でも、今日は大丈夫そうね」エフィがからかうように言った。「車を運転してるんだから、勢いあまって、なんてことにはならないでしょうから」

 エフィのどこか挑発的な物言いに、カーミルは驚いた。よほど心が晴れたのだろう。

「それはどうかな」カーミルは車をおもむろに止めた。片手でシートベルトを外し、ハンドルから手を離すと、エフィの頬を両手で包み、やさしくキスをした。

 唇に感じるほのかに湿ったやわらかなぬくもりが、あのときの記憶と共鳴する。エフィの唇がゆっくりとひらいてキスにこたえた。

「生まれ変わったきみへ」唇を離さず、カーミルが言った。

 甘い瞳が放つ魔力にエフィは捕われていた。エフィの口から耐えきれずに、甘い吐息がもれた。

 カーミルは冗談めいたキスをしたことで、自分がのっぴきならないほどエフィを求めていることに気づいた。この場でいますぐにエフィを自分のものにしたいという、強烈な欲求がわき上がっていた。その衝動をなんとかコントロールし、カーミルは身を離した。

「大いなる喜びには、祝福のキスを、だ」カーミルはエフィにウインクすると、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

 

 車が砂塵を上げて進むなか、カーミルの心は大きく揺れていた。

 初めて会ったときから、エフィには惹かれていた。ここぞというときに見せる大胆さと思い切りのよさ、必要だとみれば押しも強い。家族思いのやさしさを見せ、芯が強く正直だ。そうしたものがにじみ出ている面立ちが美しい。距離が縮まるにつれて、茶目っ気のあるところも見せるようになった。そこが愛らしい。

 これまでこんな女性には出会ったことがなかった。母国だけでなく、西欧にあっても。王族という立場に惹かれ、容姿の美しさと性的な魅力を武器に、王妃の座をねらって寄り添って来る女たちとは、まるでちがった。 

 第一なぜ私は、ここまでエフィのために行動しているのか。

 エフィをこれほどまで強く欲する衝動も含めて、カーミルはこれまで感じたことのない感情にとまどった。女性とつきあうのは、あくまでも政略的なものが前提であり、また欲しければ確実に相手が手に入る王族の、一夫多妻の世界では知ることのできない、絶対的な感情――。

 これまで、なぜ私は、自分が心から好きになった女性を第1夫人として迎えようと考えなかったのだろう? カーミルはこのとき初めて、王子という自分の立場を恨めしく思った。

 ふとエフィのほうを見やる。視線に気づいたエフィが振り向き、小さく晴れ晴れと笑った。

 その笑みが、カーミルの揺れていた心を射抜いた。エフィの心は自由になった。私も同じように心をひらいてみよう。

「帰るつもりだったが、予定を変更する」カーミルは重々しく言った。

「どこかに行くってこと?」

「それは着いてからのお楽しみだ」


     ―    *    ―    *    ―


 西日があたりをオレンジ色に染め始めたころ、2人を乗せた車は山岳のふもとにたどりついた。そこからさらに裂目のような細い道を縫って、奥へと進んでいく。すると急に視界が開け、それまでのベージュ一色が嘘のような世界が広がった。

「うわぁ、きれい!」エフィは思わず声を上げた。

 崖に沿うように、三日月型のオアシスがあった。ところどころで椰子の木が緑の傘を広げ、エメラルドグリーンに輝く水面と色彩のハーモニイを奏でている。そこだけが隔絶されたような、神秘的な空気に満ちていた。

「さあ、着いたぞ」カーミルは車を止めた。

 エフィはすぐに車から出ると、オアシスに駆け寄って透きとおった泉に手を浸した。「ああ、冷たくて気持ちいい」

「気に入ったか?」カーミルがエフィのすぐとなりにかがんだ。

「とっても。砂漠のなかにこんな場所があるなんて、本当に信じられない」エフィは濡れた手を首筋にあて、ふうと息をついた。

「よし、水浴びでもするか」カーミルは言うやいなや、頭からガットゥラを外し、カンドーラを脱ぎ捨てると、ボクサーショーツひとつで水のなかに入っていった。そして飛び込むようにして潜ると、数メートル離れたところでふたたび水の上に姿を現した。「来いよ、エフィ。気持ちがいいぞ」

「でも……」

「誰もいないんだ、気にすることはない。ほら、こうしてるから」カーミルは半回転してエフィに背中を向けた。

 エフィは迷った。誰もいないって、王子がいるじゃない……。

「ここはロンドンじゃない。砂漠のど真んなかだ」カーミルはふたたびダイブして水中に姿を消した。

 そんなカーミルを見ているうちに、決心がついた。楽しむときは思い切り楽しもう。エフィはTシャツを脱ぎ、ジーンズを下ろした。上下黒のスポーツタイプの下着。水着みたいなものだわ。

 エフィは水しぶきをあげながら走り、カーミルがしたように飛び込んだ。音が消え去り、全身が心地よい冷たさに包まれる。水のなかの浮遊感を味わうのも久しぶりだった。

 水面に顔を出し、ふーっと息をつく。あらためてまわりを見渡すと、楽園にいるような気がした。

 いいえ、ここは楽園なんだわ。こんな開放感は、かつて味わったことがないもの。

 と、目のまえにカーミルの顔がぬっと水中から現れた。

「どうだい、いまの気分は?」

「なんだか夢みたい」

「夢みたい、か」カーミルはいたずらっぽい笑みを見せると、大きく息を吸って水中に消えた。

 エフィは水中で太ももをつかまれるのを感じた。そして、ざらついた丸みを帯びた何かにうしろから内股をこじ開けられたかと思うと、次の瞬間には体がぐいと突き上げられた。

「きゃっ!」

 エフィはカーミルに肩車されていた。

「子どものころ、こんな遊びをしなかったか?」カーミルはエフィのかかとをつかむと、自分もうしろに倒れるようにして腕を突き上げた。エフィは放り投げられるようにして、背中から水中に落ちた。

 バシャーンという音とともに、大きな水しぶきが上がる。

 ブクブクブク……。沈んだエフィの体が、ゆっくりと浮かび上がっていく。水面から顔を出すと、顔に張りついた髪をうしろに撫でつけ、顔をぬぐった。

「びっくりさせないで」エフィが怒ったように言う。

 カーミルは笑っていた。「夢から覚めたか? 頬をつねるよりはいいかと思ってね」

「もう、王子ったら!」エフィは両手で水面を激しく払うようにして、水をかけて仕返しをした。

「怒ったきみもかわいいな」カーミルは高らかに笑った。


     ―    *    ―    *    ―


 カーミルは先に水から上がり、レンジローバーのハッチバックを開けてタオルを取り出した。肩にかけて顔と頭の水をぬぐうと、水際に戻り、もう1枚のタオルを地面に置いた。

「これを使うといい」

「用意がいいのね」水中から顔だけを出し、エフィが言った。

「砂漠では何が起こるかわからない。この車で出かけるときは、水や食料も含めてすべて準備しておくんだ」カーミルはそう言うと、車のほうへと戻っていった。

 エフィは水から出ると、タオルで髪をぬぐい、そのまま体に巻きつけた。カーミルはすでにカンドーラをまとっていた。

「今晩はここに泊まる」とカーミル。

「野宿するの?」

「いや、ここには私の別宅があるんだ」カーミルは崖のほうを指さした。

 オアシスと反対側の崖の上方に、遺跡のようにも見える少し朽ちた建造物があった。エフィの父がいた集落の家屋にも似ているが、その外観からはとうてい王子の〝別宅〟とは思えない。

「あそこに予備の服が追いてあるから、着替えるといい」

 洞窟の入り口のような裂目からなかに入ると、奥に階段があった。薄暗い階段を上りきると、鋼鉄製のドアが道をふさいでいる。ドアのそばには鍵穴のある小さなボックスがあり、カーミルは手にしていた鍵を使って解錠した。ふたを開け、テンキーを押して暗証番号を入力する。すると、ガシャという音がしてドアが開いた。

「こんな場所で電気錠?」

「ソーラーパネルさ」カーミルはこともなげに言うと、エフィをなかへ通した。

 〝別宅〟は王宮のような過剰なまでの豪華さはなかったものの、外観からは想像もつかないほど近代的な内装になっていた。床や壁、天井、テーブル、ソファ。まるで、高級ホテルの一室のようだった。外側から見たときには四角い穴にしか見えなかったが、内側から見ると、そこには窓枠もガラスもあった。冷蔵庫も、クッキングヒーターとレンジのあるキッチンも設えられている。リビングの奥には、ベッドルームもあった。

「寝室のクローゼットにカンドーラがある。着替えておいで」

 エフィは言われるままにベッドルームに入り、ドアを閉めた。バスタオルを外し、濡れた下着をとると、カンドーラを着た。落ち着かなかったが、異国の、しかも男性用の民族衣装に身を包んだことで、不思議に心が躍った。奥にあるバスルームの横にランドリースペースがあったので、下着を手早く洗い、乾燥機にかけておいた。

「よく似合うよ。カンドーラ姿の女性も悪くないな」寝室から現れたエフィを、カーミルは笑顔で迎えた。

「ここにはよく来るのかしら」エフィが照れを隠すようにたずねる。

「ごくたまに。1人で考えごとをしたいときにね。もっとも泊まることがあっても、寝室は使わないが」

「じゃあ、どこで?」

 カーミルは天井を指さした。


     ―    *    ―    *    ―


 戸外へ出て脇へまわると、岩肌を削って作った階段があり、屋上に通じていた。そこには簡素な梁に帆布を覆いかぶせただけの横長のテントがあった。正面には覆いがなく、自由に出入りできるようになっている。崖の中腹にあることから、途中の岩だながうまくその位置を隠していた。

 2人はなかへ入り、絨毯の上に腰を下ろした。反対側の崖よりも高い位置にあるため、テントのなかからでもどこまでも広がる夕空が見えた。

「すばらしい景色だわ」エフィはため息をつくように言った。長年の思いがかなったいま、自然の見せる美しさはまっすぐ心にしみ入った。

「ああ」カーミルは言った。「ここに横になって星空を眺めていると、とても落ち着くんだ」

「せっかくホテルみたいな部屋を作ったのに」エフィは笑った。

「そうだな。遊牧していた祖先の血が騒ぐのかもしれない」

「でも、どうしてこんなところに〝別宅〟を」

「正確に言うと、私の会社の保管庫なんだ。すべての資料や情報のバックアップがここにある。ヨーロッパで何が起きても、ここなら安全だからね」

 ついさっきまでの子どものようなはしゃぎぶりが嘘のようだ。競馬場での振る舞いと取材のときの対応もまるでちがった。そんなギャップにも、エフィは惹かれていた。

「そんな秘密の場所に、わたしを連れてきてもよかったのかしら」

「きみのことは誰よりも信頼しているよ、エフィ。いままでそばで見てきて」

「ありがとう……王子」

「カーミルと呼んでくれ」

 カーミルは向きなおると、まだ濡れたままのエフィの髪に手をやり、顔がよく見えるように耳にかけた。耳からあご、首筋へといたるなめらかな肌に、おろした髪が艶やかに光っている。夕陽に透けるように輝く瞳には、見まちがいようのない思いが見えた。

 エフィは耳から肩にかけてさざ波のように熱が広がっていくのを感じていた。体をこわばらせ、カーミルに視線を返す。その涼やかで美しい瞳には、いまにもあふれだしそうな情熱がみなぎっている。

「カーミル……」ためらうように口にした。そのひびきがとても愛しい。「そんな目をしないで」エフィは目をそらし、ささやくように言った。

「なぜだ?」カーミルは視線をそらさない。

「怖いわ」

「心を抑えることはできない」カーミルは手を伸ばし、エフィの頬にあてた。「そして、きみも心を抑えないでくれ」

 その言葉が、たったいまエフィが閉じ込めようとしていた心の鍵を粉々に打ち砕いた。全身に熱い思いがあふれ、行き場を失ったそれがいまにもエフィから飛び出してしまいそうに感じた。そう、わたしは王子にもう一度会いたくてロンドンを飛び出したのだ。エフィはついに認めた。出会ったあの日、突然キスをされ、やさしい言葉とともに胸に抱かれた瞬間から、わたしの心はカーミルのものだった。彼こそが運命の人。

 エフィは手を伸ばすとカーミルの頬にふれた。そして指でそっと、まぶたと涼しげな瞳のふちをなぞった。「この目でなんでも見抜いてしまうのね」

 カーミルはもう一方の手で頬にあてられたエフィの手を握った。そして顔を寄せると、エフィの唇に唇を重ねた。思いのつたわる長いキスだった。

「愛しい人」カーミルはエフィを強く抱いた。

 エフィは、カンドーラ越しにカーミルの熱くたくましい肉体を感じながら、その身をゆだねた。やがて静かに2人をへだてる布が取り払われ、カーミルの浅黒くなめらかな肌が、エフィの繊細な白い肌に重ね合わされた。

 カーミルの唇がエフィの肌を熱くたどり、やがて胸の頂きを湿った唇で含む。

「ああっ」エフィは生まれてはじめての感覚に身をふるわせた。その様子にカーミルは動きをとめた。

「エフィ……」

「いいえ、いいの、カーミル。お願い、つづけて」いまこそエフィはすべてを自分に許した。体のすべてが愛しい人にふれる喜びにおぼれている。肌と肌がふれ、心が解き放たれていく。

 情熱のままにエフィの体を開いていくカーミルは、細心の注意をはらいながら、エフィから快感をつむぎだしていった。

 カーミルの指、腕、唇、肌がエフィにふれるたび、エフィはどうしようもなく、甘く切なく溶けていく。やがて、カーミルの固く張りつめた大きなものが、エフィの中心を押しひらいていった。痛みをあまり与えないようにゆっくりと。エフィが無意識に腰を引きかけると、「少しだけがまんして」と、しわがれた声でカーミルがささやく。

 エフィは言葉もなく、ただ小さく唇をかんでうなずいた。

 ふいに障壁を突き抜け、2人は結ばれた。カーミルは、これまでに感じたことのないほどの快感だけでなく、圧倒的な幸福感に満たされた。そのとき、カーミルも運命を悟った。折れそうに華奢なエフィの体が、これ以上なくしっくりと体に寄り添い、とめどない情熱がカーミルの内からあふれてくる。止めることのできない激しい熱情に、カーミルも溺れた。すぐにでも情熱の証を解き放ちたかったが、カーミルは辛抱づよくエフィにも快感を与えつづけた。

「カーミル……」エフィの瞳に切迫した思いがにじんできた。

「エフィ、愛しい人」カーミルはその瞬間、激しくエフィを貫き、2人は絶頂へとかけのぼった。

 互いを求め合う2つの体を、傾いた太陽が黄金色に染め上げている。冷え始めた砂漠の風も、燃え上がる情熱をさますことはなかった。

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