#09 王家の血

==================================================


アンセルとエフィには、事実を口外しないとライード国王に誓約してもらう必要があった。そこでカーミルはふたりを連れてパダーンに帰国する。事態が思わぬ方向へ進もうとは、つゆ知らずに。


==================================================


 プライベートジェット機内での打ち合わせどおり、エフィとアンセルはイギリス人取材班を装ってパダーンの地に降り立った。砂漠のなかの近代的な空港。だが、何もかも焼きつくすような強烈な日ざしが照りつけ、ここは自分が生きてきた世界とはまるでちがうのだと、エフィは思った。機体のそばには、白いガットゥラとカンドーラをまとった男たちが並び、重厚なセダン2台と見たこともない流線型のスポーツカーが1台停まっていた。

「きみたち2人はそちらに乗ってくれたまえ。これから王宮に案内する」カーミルは1人スポーツカーへと向かった。

「未来からでもお取り寄せしたのか?」運転手がセダンのドアを開けて待っているのをやり過ごし、アンセルはスポーツカーのそばへ歩み寄った。「こいつは大したクルマだ」

「BMWi8、まあ、街乗り専用車さ。私は自分の好きな車を自分で運転することにしているんだ」カーミルがバタフライドアを斜めに開けながら言う。

 アンセルがもの珍しそうになかを覗きこんでいると、カーミルは顔を寄せてささやいた。

「いいか、アンセル。側近たちのまえではカメラマンのふりをしてくれないと困る。きみたち2人が素性を明かしていいのは国王と一部の大臣だけだ」

 アンセルはわかったと目で合図すると、車から離れて「王子、ここで1枚!」とカメラを構えた。カーミルが車に寄りかかり、笑顔でポーズをとる。その様子を、エフィは微笑ましく思いながら見ていた。

「やればできるじゃない」セダンに乗り込むと、エフィはアンセルに小声で言った。

「金のためなら、なんでもするさ」アンセルはにやりと笑った。

 やはりアンセルはアンセルだ。エフィはあきれたように目を回した。

 3台の車は空港を出ると、市街地を走った。街の表情はシンガポールのそれと似ており、近代的な高層ビルと低層の建物が好対照をなしている。あちらこちらで建設中のビルが無機質な骨格をさらし、ときおり巨大なモスクが現れる。エフィは、砂漠の地から生まれ変わろうとしている街の力強い鼓動と、異文化の息づかいを肌で感じた。

「しかしなあ、あんな高級スポーツカーが街乗り専用車だとよ。どんだけ金持ちなんだ」

 アンセルはあきれたように言った。エフィは窓の外を眺めている。なんの反応も見せないことがおもしろくないのか、アンセルは身を寄せると耳打ちした。

おすまし、、、、しちゃって、ほんとは玉の輿でも狙ってんじゃないのか?」

 エフィは眉を吊り上げて振り向いた。「何をばかなこと」

「だったら、今晩はオレとのデートに付き合えよ」アンセルがにやっとする。

「近づかないで。それでなくても暑いんだから」

 車内はエアコンが効いてはいても、窓ガラスを通して差し込んでくる砂漠の西日は身を焼くように強い。この灼熱の土地で王子は生まれ育ち、父もまたこの地にやってきた。そしていま、わたし自身も。それがとても不思議に思えた。この先、何が待ち受けているのだろうか。祈るような気持ちになった。

 市街地を抜けてしばらくすると、車窓の片側に高さ5メートルほどの壁が延々とつづいた。どこまでつづくのかと思った矢先、凱旋門を小さくしたような巨大な門が表れ、車がその下をくぐり抜けていく。まるで何かの記念公園のような広々とした敷地のなかを行き、憲兵が立つ鉄柵の門をさらに2度通過する。そしてようやく、壮麗な建物のまえで車が止まった。

 ヨーロッパ中世の城と宮殿を足して合わせたような外観で、中央の頂上部にはモスクさながらの巨大なドームがあった。

「ここまでくると、さすがのオレもビビりそうだ」車から降りたアンセルがつぶやく。「ここの主に大金を要求したりして、罰でも当たらんといいがね」

 王宮へとつづく階段のまえには、武装した護衛たちがずらりと並んでいる。

「あなたは国王の子どもなんだから、そんなことにはならないわよ。もちろん本物ならね」そう言ってはみたものの、エフィもまた不安を抱いていた。

「さあ、なかへ案内しよう」カーミルがやってくると、百戦錬磨のアンセルでさえ安堵の表情を見せた。


     ―    *    ―    *    ―



「この建物は公務用のものだ。正面入り口から向かって右側には、国王の執務室、謁見の間、大臣室、迎賓室、会議室などがある。反対に左棟は客人用になっていて、きみたちに用意した客間は左棟の2階にある」

 正面ホールから2階へと通じる広々とした階段をのぼりながら、カーミルが説明する。エフィとアンセルは耳では聞きつつ、総大理石の建築がかもしだす荘厳な雰囲気に圧倒されながら、装飾の施された壁や天井にきょろきょろと視線を走らせていた。

「王宮っていうくらいだから、てっきりあんたたち王族の住まいだと思ってたんだが」アンセルが言う。

「もちろんだ。右棟の裏手にわれわれ王族が暮らす私邸がある。ちなみに、大臣たちの居住棟は左棟の裏手だ」

「私邸と居住棟、か。言葉の響き同様、スケールも質もちがうんだろうな」

 カーミルはアンセルの独りごとには答えを返さず、黙したまま左棟の奥へと2人を導いていく。そしていちばん奥にある部屋の手前で歩を止めた。

「奥と手前の2部屋、どちらがどちらを選ぶかは任せる」カーミルはそう言って、手前の部屋のドアを開けた。

 いち早く室内へ入り込んだアンセルが「オレはこっちにする」と宣言した。「エフィちゃんと2人で」

「ばかなこと言わないで。わたしは角部屋で結構よ」

 キングサイズのベッドにさっそく横になったアンセルを放ったまま、カーミルは隣室へエフィを案内した。室内に入ると、カーミルはエフィの手をとって言った。「浴室もトイレもあるし、少しくつろぐといい」

「ありがとうございます、王子」指先から伝わってくるカーミルのぬくもりを心地よく感じながら、エフィは礼を言った。

「あとでまた来る。部屋の内側からならドアに鍵をかけられるから、ロックしておくといい。アンセルのやつが入ってこられないように」カーミルは小さく笑った。

 2人だけの秘密を共有したような気がして、エフィも小さな笑みを返した。


     ―    *    ―    *    ―



 エフィとアンセルを客間に通したのち、カーミルは国王と面会した。

「競馬の報告なら、聞かせてもらう必要はない」馬に関することは、国王であるライードは価値を認めていない。カーミルの道楽にすぎないと考えていた。

「そうではありません。できれば、私と国王、2人だけで話したいのですが」カーミルはうむを言わせぬ口調で言った。

 いつもとちがうかたい表情の息子の様子を見てとると、ライードは手を振って側近たちを出ていかせた。ただ1人、右腕として全幅の信頼を置いている国務大臣を除いて。

「ダーギルはかまわんだろう。で、話とはなんだ?」

 カーミルは一瞬、国王の隣に座しているダーギルに目をやる。勘の鋭いダーギルは、何かを感じとったかのように厳しい表情をしていた。

「じつは、父上の第一子だと主張するイギリス人が現れました。私の腹ちがいの兄であると」カーミルはジャケットの内ポケットからスナップ写真を取り出し、ライードのまえに差し出した。

 写真を見て、父ライードの表情が明らかに変わった。

「その女性をご存知なんですね」

 ライードはしばらく写真を見つめていた。やがて、卓上にゆっくり置くと静かに口を開いた。

「エドナ・モリンズ。オックスフォード時代に付き合っていた女性だ。前国王が病に倒れ、私は急きょ帰国せざるを得なくなり、そのままになってしまったが」

 やはりアンセルは本当に私の兄だったのか、カーミルは思った。

「彼女の息子は、アンセルといいます。彼は、王位継承権の放棄と引き換えに200万ポンドを要求しています。金さえもらえれば、今後いっさい関わらないと。もちろん、秘密も絶対に公言しないと誓っています」

 ダーギルが肩をいからせて口をはさんできた。「そんな要求は飲むべきではありません、国王。そもそも、正式な婚姻を結んだ妻との間に生まれた子ども以外、王位継承権は認められないのですから」

「それはわかっている、大臣。だが、もし口外されてゴシップのネタにでもなったら、国王の名に、そしてこの国の名に傷がつく」カーミルは強い口調で反論した。

「ならばいっそのこと、消してしまったほうが――」

「言葉に気をつけろ、ダーギル! その男は、アンセルは、仮にも国王の血を受け継いでいるんだぞ」

「王子はご自身が第一子でないとわかって、動揺しておられるようだ」にらむようにしてダーギルが迎え撃つ。

「やめないか、2人とも」苦々しい声でライードが割って入った。「カーミルよ、おまえはそのアンセルという男の言葉を信じているのか」

「いまのところは、と申し上げておきましょう。彼は母親にそそのかされて今回の話を持ち出したわけではありません。アンセルは、母親に王家の血が流れているとだけ言われて育ちました。ちなみに母親のエドナはいまも未婚だそうです。アンセルは自分の出自について何も知らなかった。先日イギリスの新聞に載った私の記事を読み、国王の写真を目にするまでは」

「まったく! 競馬などにうつつを抜かしたりするから、こういうことになるのだ」ダーギルが吐き捨てるように言うのを、カーミルは無視した。

「アンセルは私生児として母子家庭に育ち、傭兵になりました。わが王家の血を引き継ぐ男が、根無し草の傭兵になどなっているのです!」カーミルはいつのまにか熱くなっていた。「もっとも、今回の一件で金を手にしたら引退するつもりのようですが」そう補うことで、ようやく高ぶる心を鎮めた。

「先々代の国王は部族間の戦いに勝ってこの国を手中に治めた」ライードがぽつりと言った。「傭兵か。血は争えんな」

 ダーギルは厳しい顔で黙り込んだまま、王と王子のやりとりを見ていた。

「アンセルは父上に似ています」カーミルが静かに言った。

「エドナと一夜をともにしたことは事実だ。おまえが似ていると言うなら、まちがいなかろう。いずれ検査で明らかにするとしてもな。で、アンセルとやらはどこにいる?」

「いま、この宮殿のなかに。イギリスからの取材クルーということにして、私の記事を書いた若い女性記者といっしょに連れてきました」

 ダーギルの目が光った。「その女もこの件のことを?」

「知っている。アンセルから連絡を受け、いち早く私に知らせてくれたのが彼女だ。情報をいっさい漏らさないことを国王に誓約すると言ってくれたので、同行してもらった」

「信じられるものか」ダーギルが険しい声で言う。

「信頼できる女性であることは、私が保証しよう」

 カーミルとダーギルの視線がぶつかり、かすかに緊張をはらんだ沈黙が降りた。

「2人には明日、会おう」ライード国王の一言で、無言の諍いに決着がついた。

「ありがとうございます、父上」カーミルは立ち上がると、ゆったりとした足どりで部屋をあとにした。


     ―    *    ―    *    ―



「どうも気に入りませんな」ダーギルは重々しく口を開くと、国王に厳しいまなざしを向けた。「アンセルという男が現れたことで、過去の封印が解かれてしまった気がしてなりません」

「まさか子どもが生まれていたとは知らなかった。エドナには悪いことをしたと思っていたが、子どもがいたとなればなおのことだ。これで罪滅ぼしができるのならば、かえってよかったのかもしれん」ライード国王は、窓の外の壮大な夕暮れに目を向けながら静かに言った。

「私が気にしているのは、そのことではありません」ダーギルが食い下がる。「陛下もお聞きになったでしょう。王子の『アンセルは国王に似ている』という言葉を」

 ライードはそれがどうしたと言わんばかりの顔で両腕を上げた。

「私の血を引いているのだから、当たりまえではないか。支払う金はこれまでの養育費だと思えば安いものだ」

「王子は陛下とは似ておりません」ダーギルが冷酷な響きを込めて言った。

「そのことは持ち出すな!」

 突然の国王の怒声にも、ダーギルは顔色ひとつ変えなかった。

 こんなにも私が国の行く末を憂慮しているというのに、なぜ国王は聞く耳を持たないのか。西欧かぶれした王子は、この国をまちがった方向へ導こうとしている。何が解放政策だ? 世界の金融センターをめざすだと? そんなことをすれば、やがてわれらが民族の独自性は失われ、ひいては西欧のシステムに乗っ取られることになるだろう。欧米各国からしもべのような扱いを受けていたかつてに逆戻りするに決まっている。しかも王子は、あの男は……。

「陛下はかつてのお言葉をお忘れですか? 陛下ご自身がおっしゃったことを。正統な血筋は絶対に守らねばならないのです。先延ばしにすることは、ご自身の首を絞めることにもなります」

 ライード国王は苦渋の表情を浮かべた。言われなくてもわかっていた。だが、あのときといまとでは状況が大きく変わってしまっている。

「1人にしてくれないか、ダーギル」ライードが力なく言うと、代々ムタイリー家を支えてきたカフダン家の男は険しい面持ちのまま、カンドーラの衣ずれを立てて退席した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る