#05 謎の男
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「王子にまつわる爆弾ネタがある」。エフィの署名記事を読んだ男からの、1本の電話。エフィは半信半疑ながら、男と会う約束をする。
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男は空になったグラスを掲げて軽く振ってみせた。バーテンダーがやってきてグラスを受け取り、琥珀色に泡立つ液体で満たされた大きなグラスを置いていく。男は3杯目となるエールを一気に半分ほど飲みほした。
帰還直後のエールほどうまいものはない。だが、こんな生活をつづけるのもそろそろ潮時だ。
男はカウンターに広げられた新聞をめくった。いつもなら真っ先に国際情勢をチェックするところだが、もはやそんな気さえ失せている。見出しにざっと目を走らせ、一面から順にめくっていく。
と、1枚のアラブ人の写真に目が止まった。どこか見覚えがあった。
〈パダーン首長国現国王のライード・ザーフィル・ムタイリー氏〉
男は手にしていたグラスを置くと、両手で新聞をつかみ、記事をじっくりと読み始めた。徐々に薄れていた記憶が浮かび上がり、整理され、点が線へとつながっていく。そして、ひとつの像を結んだ。
最後に、記事のなかでひときわ大きな顔写真に目をやった。
〈次期王位継承者のカーミル・ビン・ライード・ムタイリー王子〉
ハンサムさんよ、悪いがそれはあんたじゃない。
「バーテン、スコッチのショットをくれ!」
目のまえに置かれたグラスを手にすると、男はぐいっとひと息に飲みほした。そして読み終えたばかりの記事に目を戻すと、「取材/エフィ・ベレスフォード」の文字を指でなぞり、トントンと軽く叩いた。
これでこんな生活ともおさらばだ。男はにやりとした。
― * ― * ―
「エフィさん、1番にお電話です」
「誰から?」記事を書くことに没頭していたエフィは、顔を上げずに言った。
「読者らしいんですけれど、とにかくエフィさんにつないでくれって言い張るんです。ちょっと怖い人みたいで」アルバイトの女子学生が困ったような声で言う。
どういう用件だろう? エフィは不審に思いながら、受話器を取った。
「はい、ベレスフォードです」
「あんたの署名記事を読んだよ」いかにも品のなさそうな声が聞こえてくる。「ハンサムな王子さんの」
「ありがとうございます」エフィは事務的に対応した。
「で、あんたと直接話をしたいと思ってね。王子に関わるネタがあるんだよ、誰もがひっくり返るような大きなネタが」野太い男の声が響く。
エフィの頭のなかで警戒アラームが鳴り響いた。
「いたずらなら切るわよ」冷たく言って受話器を置きかけた。
「いいのかな、そんなことして。ネタあっての新聞記者だろうに」
どういうことだろう? いたずらや興味本位の電話なら、こういう焦らし方はしない。
「電話じゃ話せないんだよ。絶対に損はさせないって。とにかく、会うだけ会ってくれ」苛立ちをこめた声がつづく。
少しだけ間を置き、エフィは声を落として言った。「わかったわ。じゃあ、カフェかバーで――」
「だめだ、誰が聞き耳を立ててるかわからん。タワーブリッジではどうだ。人の目があったほうが、あんたも安心だろう」
「それでいいわ」
「明日の午後3時、橋の左側、まんなかあたりで待ってるよ」
「あなたの名前――」エフィが聞き終えるまえに、電話はぶつりと切れた。
― * ― * ―
翌日、午後3時。
タワーブリッジの歩道を歩いていくと、欄干に両肘を載せている全身黒ずくめの男の姿が目に入った。
「失礼」エフィが声をかけると、がっしりとした体格の男が振り向いた。なかなか男らしいハンサムな顔のところどころに小さな傷があり、野性味ある雰囲気と身のこなしだった。その目つきは鋭く、見返されたエフィは身のすくむ思いがした。「ロンドン・タイムズのベレスフォードです」
男はしばらくエフィを見つめていた。
「これはこれは。すっぴんだが、美人さんじゃないか」男はにやつきながら手を差し出した。「アンセル・モリンズだ。先に言っとくが、偽名じゃないぜ」
どうして男たちはいちいちノーメイクのことを指摘したがるんだろう。
「昨日の電話はあなたですね」エフィは差し出された手を無視して男の言葉を受け流すと、すぐに本題に切り込んだ。「カーミル王子の秘密でも知っているというのかしら?」
「まあ、そんなところだな」男はふたたび両肘に体重をのせ、テムズ川を見下ろした。エフィは男が黙っているのを見てとると、欄干のそばに歩み寄り、川面に向かうようにして立った。
「皇太子ってのはあのハンサム男じゃない。本来なら、オレなんだよ」
「やっぱりいたずらなのね」エフィが言い捨てて立ち去ろうとすると、痛いほどの力で腕をつかまれた。
「まあ聞きなって」男はエフィの左手首を握ったままつづけた。「オレの母親は若いころ、オックスフォード大学に通っていた。中東からの留学生と親しくなり、1度だけデートをした。で、妊娠した。その子どもがオレってわけだ」
エフィが餌に食いついたと見てとったのか、男は手を離した。
「その留学生は、おふくろが妊娠に気づくまえにとっとと国に帰っちまった。まあ、遊びだったんだろう。おふくろはひとりでオレを生み、大学をやめて女手ひとつでオレを育てた。父親が誰かわかっていても、認知しろとか養育費をよこせとか、いっさい騒がなかった。というより、騒げなかったんだよ。なにせ相手は、パダーン首長国の現国王ライード・ザーフィル・ムタイリーさまだ」
まさか! エフィは驚きのあまり、男の顔を見やった。頭のなかで数日まえにカーミルから聞いた話をすばやく整理する。オックスフォード大学で経営学を学ぶのは、王位継承者の歩む道だと話していた。つまり、この男が口にしているのは、現国王が王子だったころの話ということだ。
「あなた、いくつなの?」
「33。カーミル王子は何歳だっけ?」
31だ……。
「オレが小さかったころ、おふくろからよく聞かされたよ。おまえの体には王族の血が流れてるんだって。どういう意味なんだか、さっぱりわからなかったがね。で、先日のあんたの記事が謎を解いてくれたんだ。あの国の情報はいままであまり出てこなかったしな。あんたが国王にまで話を広げてくれて、こっちとしちゃ大助かりだ」そこで男は一息ついた。「あの国じゃ、王位継承者は長男と決まってるんだろ。ほら、見てみな」
男が示してみせたのは色褪せた1枚のスナップだった。写っているのは、赤毛の若い女性と口のまわりに髭をたくわえた男。エフィは記事で使った国王の写真を思い浮かべた。いま手にしている写真の男に、その面影がはっきり見てとれる。しかも、この大暴露をしている男とも、目もとから鼻にかけての造作がよく似ている。
「仮にあなたの話が本当だとして、わたしにどうしろというの? 記事にして暴露しろとでも?」
「おいおい、オレはそんなゲスな人間じゃないぜ」男はエフィの耳もとに顔を寄せた。「カーミルに会わせてくれ」
エフィはさっと体を離した。
「なんだ、シャンプーの匂いぐらいするかと思ったんだが」男は悪びれた様子もなく言う。
「王子をゆすろうとでもいうの? わたしにその片棒を担げと」エフィの声が怒りにふるえた。
「人聞きの悪いことを言わないでくれよ。王位継承権を放棄する代わりに、その対価を頂戴したいだけさ。まっとうな権利の主張だろ? 本来はオレが王子さまなんだから」男はにやりと不敵な笑みを見せた。「それとも、このネタを下品なテレビ局やタブロイド紙にでも売ったほうがいいのか?」
カーミルの姿が思い浮かんだ。あの涼やかな目。「きっと大丈夫だ」とささやいてくれた優しさ。そしていまの自分にとって王子は、父の行方を探す切り札でもある。
「わかったわ。カーミル王子に連絡してみます。ただし、わたしの指示には従ってもらうわ。それにわたしはあくまで中立の立場よ。あなたの味方ではないから、そのつもりで」
「了解」男は満足げに言うと、右手を差し出した。「よろしくな、お嬢ちゃん」
エフィはしぶしぶ握手に応じると、出会った瞬間からずっと抱いていた疑問をつい口にした。「あなた、そもそもいったい何者なの?」
「まだ疑ってるのか? 安心しなって。そんなに興味があるなら、オレにひと晩つきあってみるかい。あっちもこっちもたっぷり取材させてやるよ」
なんて下品な男! 血のつながりは半分あるのかもしれないけれど、本当にこんな品性のかけらもない男がカーミル王子の兄なのだろうか。
「結構よ。それより連絡先を教えて」エフィは憮然として言った。
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