#06 エフィの迷い

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真の王位継承者を名乗る男アンセル・モリンズの要求は、王位を継ぐことではなく金だった。話を聞き、アンセルの言い分を信じ始めていたエフィは、迷いながらもカーミルに連絡し、事の次第を包み隠さず伝えるのだった。


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 エフィは新聞社に戻って屋上に出ると、携帯電話の画面を見つめたまましばらく迷っていた。

 この番号は、父親探しに少しでも協力したいという好意から、王子が教えてくれたものだ。それなのに、最初の電話がこういう形になってしまっていいのだろうか。最初から悪用するのが目的だったと思われないだろうか。

 いいえ、そうじゃない。ほうっておいたら、あの男は何をしでかすかわからない。いまどき、血液検査をすればすぐにわかるような嘘をわざわざつきに来るような、そんな雰囲気はあの男にはなかった。真っ先に王子に知らせることが、王子を守ることにもつながるはずだ。

 エフィは意を決して、通話ボタンを押した。呼び出し音以上に自分の鼓動が大きく聞こえる……。

「誰だ?」

 やや威圧的な声に、エフィは一瞬、言葉に詰まった。「あの、カーミル王子でいらっしゃいますか。ロンドン・タイムズのエフィ・ベレスフォードです」

「おお、エフィか」明るさの戻った声に、エフィは安堵した。「新聞を読んだよ。とてもいい記事だった。礼を言う」心なしか、心をひらいてくれているような気がした。

「こちらこそ、ありがとうございました。十分な時間をとってくださって」そこまで言って、ふたたび言葉に詰まる。どう切り出したらいいんだろう?

「で、どうした? きみの父親について、何か新しい情報でも見つかったのか」カーミルの優しい声にふわりと包まれた。本当にそうであればよかったのに。

「いいえ、そうではないんですが」エフィはふっと息を吐いた。もとはと言えば自分の記事が引き金となったのだ。伝えるべきことはしっかり伝えよう。エフィは腹をくくった。

「じつは、王子ご自身に関係することでお話が。わたしの記事を読み、自分がパダーン国国王の第一子だと主張する男が現れました。その男は記事の署名を見て、わたしのところに電話してきました。そして、自分に王位継承権があることを公にしない代わりに、金銭的な見返りを求めています」心臓が口から飛び出そうな感覚をこらえながら、エフィは一気に話した。

 しばらく沈黙がつづいた。エフィの鼓動は耳に響くほど大きく打っている。「少し待ってくれ、場所を変える」深く静かな声が返ってきた。エフィは携帯を握る手をかすかにふるわせながら、ひたすら待った。

「待たせて悪かった。まわりに人がいたのでね」その声に動揺の色はなかった。「さっきの話だが、血縁を主張して金を求めてくるやからは珍しくない。その男も同じ手合いだろう」

「わたしも最初はそう思いましたが、正直、いまは迷っています」

「それはジャーナリストとしての直感かな」

「いえ、そういうのではなく……。ただその男は、若かりしころの王子のお父様とイギリス人女性が寄りそった写真を持っていました。そして、男の目鼻立ちはあきらかに現国王に似ています。わたしの印象でしかないですが」

「きみがそう言うのなら」カーミルは落ち着いた口調でつづけた。「まったくのデタラメというわけでもないだろう。とにかく、一度詳しく話を聞く必要がありそうだ」

 よかった。話を聞いてもらえることになれば、少なくともあの男がすぐに暴走するような事態は避けられる。でも、あの男が言っていることが真実だったとしても、会談の場所がどこでもいいというわけではない。

「とても申し上げにくいのですが、いますぐその男を連れて、そちらの国に行くことはできません」エフィは思い切って告げた。

「同感だよ。ことがことだけに、私としてもいまの時点では国王やその側近たちに知られたくはない」

「だからといって、こちらに来ていただいてもマスコミの目が気になります。王子の記事が出たばかりですし」

「そうだな」つかの間、カーミルの声が途絶えた。「シンガポールではどうだろう? 2週間ほど先になるが、別な馬を国際G1に出走させることになっている」

 シンガポール! てっきり中間点になるフランスかイタリアあたりだろうと思っていたのに。エフィはすぐには答えあぐねた。

「航空チケットとホテルはこちらで用意する。なにしろ、私自身に関わる問題だからね」

「でも……」

「気にするな」

 有無を言わせぬ口調に、エフィは「では、王子にすべてお任せします」とだけ答えた。

「よし、決まりだ。周囲には記事が好評で追加の取材が入ったということにしておこう。日時は追って連絡する。手配に必要な情報はメールで知らせておいてくれ」

「わかりました」エフィは電話を切ると、緊張をほぐすようにふうっと大きく息を吐いた。

 とりあえず、一歩前進した。でも、王位継承をめぐる問題がきわめて重大であることぐらい、わたしにも容易に理解できる。しかもあの男は、中東の王族に対して危うい取引を持ちかけようとしているのだ。この先、何が起きるか予測はつかない。慎重にことを進めなければ。

 そのとき、〈きっと大丈夫だ〉とささやくカーミルの声がふとよみがえった。あのときに感じた安らぎも。そして、あの勢いあまった熱いキスも……。

 エフィは頭を振った。わずか1週間ほどのあいだに、わたしはどうかしてしまったのだろうか。冷静になるのよ。人生のいちばんの目的は父さんを見つけること。そのなかで今回の一件に巻き込まれたに過ぎない。まずはそれに対処していこう。

 足早にオフィスへ向かいながら、エフィは自分に言い聞かせた。


     ―    *    ―    *    ―



「おいおい、オレが行かなきゃ意味ないだろうが!」

 アンセルのどなるような大声に、エフィは電話から耳を離して顔をしかめた。

「あなたに何かあったら間に入ったわたしの責任になるわ。それに情報源を秘匿するのはジャーナリストの義務よ。だから、このまえ見せてくれた写真とお母さまに関するもっと詳しい情報をもらえたら、わたしがまず――」

「なんだ、オレが口封じされるとでも思ってるのか」アンセルがいくぶん冷静さを取り戻した声でさえぎった。「今回はオレの話をもとに暴露記事を書くわけじゃあるまいし。ジャーナリストの義務なんぞ、関係ないね」

「関係あるかないかは、わたしが決めます。何者かわからないあなたじゃなくて」エフィは決然とした口調で反論した。

「なあ、オレはあんたのことを心配してるんだよ。知られちゃまずい情報を知っているのは、あんたも同じだから」

「カーミル王子はそんな人ではないわ」そう口にはしたものの、エフィも自分が安全だという確信はもてなかった。国家の基盤を揺るがしかねない情報なのはまちがいないからだ。

「オレがいれば安心だって。トラブルになったら、あんたを守ってやるから」

「あなただから、むしろ心配なんです。何をしでかすかわからないし」

 受話口が静かになった。

「いいか」抑えた声音が聞こえてくる。「オレは無謀なマネは絶対にしない。だから今回も生きて帰ってこられた」

「生きて帰ってこられた?」

「ああ。オレは傭兵だ。ずっとそうやって生きてきた。今回カーミルから金をもらったら、引退するつもりだがね」そこまで言い切ると、アンセルはいつもの軽薄な調子でつづけた。「だから、オレがいれば安心なんだよ。当事者兼ボディガードとして連れて行けったら。たまにはむさ苦しい軍服野郎どもじゃなくて、あんたみたいなお顔のきれいなお嬢ちゃんと空の旅をのんびり楽しみたいんだよ」

 エフィはたちまち不愉快になったが、男の話にも一理あると考え直した。

「わかったわ。取材の体裁をとるという話になっているから、あなたにはカメラマンという名目で同行してもらいます。ただし、わたしの指示には絶対に従って」

「了解だ。かわい子ちゃん」

 やっぱりイヤな男。エフィは眉間に皺を寄せて電話を切った。

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