#04 それぞれの覚悟
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取材を通して、エフィは祖国の将来を憂うカーミル王子の思いを知る。イメージとちがって「道楽者」ではなかった。王子の素顔を知ったエフィは、新聞記者になった本当の理由を明かし、中東で消息が途絶えた父親をめぐる真相究明の協力を願い出る。
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今日は何度驚かされるんだろう。
エフィは優勝パーティの会場に足を踏み入れ、あまりの華やかさに立ちすくんだ。
外観しか知らないロンドン屈指の高級ホテル。その中庭が会場だった。中央では幾層にもなった噴水がしぶきを輝かせ、黄色や紫、ブルーの照明でライトアップされている。周囲には緑が生い茂り、天幕を張った料理のスペースとバーもあった。
エフィはカーミルの姿を求めて、人ごみのなかに入っていった。上流階級に属する人間たちが放つ独特の雰囲気に飲まれ、とたんに居心地が悪くなる。入り乱れる香水の匂い、胸もとや背中が大きく開いたドレス。そして、どこに目をやっても飛び込んでくる、笑顔、笑顔、笑顔。
何がそんなに楽しいの? 世のなかには、笑うことさえ罪のように感じてしまう人間だっているのに……。
たちまち気疲れして、エフィは噴水の縁に腰を下ろした。クローゼットのなかでいちばん高級な黒のスーツに着替え、慣れないポインテッドトゥのパンプスを履いてきた。要人取材用にそろえておいた〝特別仕様〟の仕事着で身を固めてみても、こういう場にはどうしてもなじめない。
「また大声で名前を呼ばれるものと思っていたんだが」
見上げると、カーミルが立っていた。その顔を目にしたとたん、彼に飛びつきたいような気になった。まるで、母親の姿を見つけた迷子みたいに。
だが、カーミルが両がわに派手な格好をしたブロンドとブラウンの髪の女性をしたがえているのに気づくと、とたんに冷静さが戻ってきた。女たちはお堅い格好をしているエフィに、いかにも部外者を見るようなぶしつけな視線をぶつけてくる。その視線をはね返すようにエフィは立ち上がり、ジャケットの裾をつかんできゅっと伸ばした。
「お約束どおり、取材に参りました」
カーミルは小さく笑った。
「いまのはクセかい?」
なんのこと?
「ジャケットの裾をつかんで伸ばしただろう。パドックで会ったときにも同じことをしていたよ」
エフィは頬がぽっと熱くなるのを感じた。
「失礼のないように身なりを正しただけです」そう言いながら、気恥ずかしさを隠す言葉をさがした。「観察眼が鋭いんですね」
「そうでなければ、王子やグローバル企業のCEOなど務まらないよ」
絶好のパス。この場から逃れるチャンスだ。
「そのあたりを詳しく聞かせてください。世界的なオーナーブリーダー(馬主兼生産者)として歩み始めた理由も含めて」
取材へと誘う完璧なまえふりだわ。ここに来るまえに勉強してきたことも伝わったはずだ。こちらが誠意を見せれば、相手は心を開いて話してくれる。そうすれば、個人的な頼みごとにだって……。
「そのまえに、きみもパーティを楽しんだらいい、ミス・ベレスフォード。私はもうすこしゲストの相手をするから」
カーミルはそう言うと、両脇にしたがえた女性たちに何ごとかささやきながら行ってしまった。
あてが外れてしまってエフィは肩を落とした。ふつうなら、まちがいなく取材に入っていく流れなのに。
エフィはため息をつき、ふたたび噴水の縁に腰を下ろすと、バッグからカーミルに関する資料を取り出して黙々と読み始めた。
― * ― * ―
「ニューミレニアムの勝利を、わが祖国の民に捧げたい!」
50インチの大画面のなかで声高に語る息子の姿を、パダーン国首長ライード・ザフィール・ムタイリーはじっと見つめていた。
「さすが兄上だ!」次男のマームーンがまだ幼さの残る顔を輝かせて言った。「そうでしょう、父上」
ライード国王は表情の読み取れない顔を、縦に小さく動かした。
「道楽にもほどが過ぎますな、国王」国務大臣のダーギル・アリー・カフダンがマームーンの浮かれている様子に水をさす。「CNNの生中継なぞに出るとは。これでは世界中に『私は国務をおろそかにする遊び人だ』と知らしめているようなものです」
「ちがうよ、ダーギル。兄上は競馬をとおして、わが国を世界中にアピールしようとしてるんだ」すかさずマームーンが反論する。
「マームーンさまはまだお若い。世のなかはそんなに単純ではありません」あたりさわりのないことを口にしつつ、ダーギルは内心、こう考えていた。
この好き放題さは目に余る。こんな男に、わが国の未来を託してなるものか……。
― * ― * ―
「待たせて悪かった。では、始めようか」カーミルはソファに身を沈めると、足を組んだ。
薄布のカーテンで仕切られた、奥まったスペース。パーティの喧噪が遠く聞こえる。
エフィはカーミルの目を見つめた。まるでCG処理された広告写真のようにととのっている。女性がどんなにがんばってメイクしたとしても、これほどまでに美しく涼やかな目もとにはならないだろう。
エフィはこれまで意識的に男性を避けてきたが、そんな彼女をさえ引きつけてやまない力がカーミルにはあった。その目が強力な磁場になっていることは気づいていたが、それ以上の何かをおぼろげに感じていた。
軽く咳払いをして、エフィは口を開いた。
「王子はパダーン首長国の王位継承者でいらっしゃいますが、むしろ世界的投資会社のCEOとして知られています。ビジネスの世界では、という条件がつきますが。そして今日、オーナーブリーダーとして華々しいデビューを飾りました。そこでお聞きしたいのは、めざす目的は何かということです」
カーミルは大きくうなずいた。
「きみはパダーン首長国を知っているかい、ミス・ベレスフォード」
「中東では規模の小さな国です。国土面積はイギリスの約20分の1。石油や天然ガスに恵まれ、急速に発展しています」
「そのとおりだ。だが、資源はいずれ枯渇する。そうなったら、わが国はただの砂漠に逆戻りだ。そうなるまえに、資源輸出に頼らない経済基盤を確立しておく必要がある。狭く不毛な国土でやれることを考えたなら、金融と観光しかない。わかるかい?」カーミルはそこで言葉を切った。
エフィはうなずいた。意外だった。正直、競馬場では競馬が好きな道楽王子ぐらいにしか思わなかった。しかも強引なだけの。でも、いま目のまえで真摯に話している王子はまるで別人だ。
「オーナーブリーダーになったのは、もちろん私が大の馬好きだということも理由のひとつだが、それだけではない。わが国の広報活動としても考えている。強い馬を生産し、世界中のレースで勝ち、私が勝利インタビューに答える。一般のファンはもちろん、レースのスポンサーとなる大企業や馬主たち富裕層にパダーン首長国をアピールするには、絶好の場だ」
「いずれ資金や観光客の呼び込みにつながると」
「そういうことだ」
その後、カーミルは一方的に話しつづけた。経営学を専攻したオックスフォード大学で学んだこと、サンドハースト王立陸軍士官学校での訓練。個人資産で始めた投資会社の経験をもとにして、企業買収や不動産投資による現在の成功につながったこと。そして金融センターと観光立国をめざす祖国の将来。そのスピーチは1時間近くにおよんだ。
「最初にお会いしたときは、王子のことを少し誤解していたようです」すっかり引き込まれていたエフィは、ようやく言葉を発した。「てっきり、ただの……」
「競馬好きな成金?」
「いえ、そこまでは」エフィは言葉をにごした。
「当たらずとも遠からず、か」カーミルは片頬で笑いながらエフィを見つめた。薄く引かれた口紅はいかにもぎこちなく、唇だけがアンバランスに浮いている。だがカーミルは、言われたとおりに化粧をしてきたエフィを愛らしく思った。くるくると変わる表情は、いくら見ていてもあきない。きれいな顔立ちをしていることなど、まるで気にかけていない、いや気づいていないのだろう。
「きみみたいな生真面目な女性にはいちばん嫌われるタイプだな」
「そんなことはありません!」思わず大きな声を出してしまったことに、エフィは顔を赤らめた。「その、わたしは生真面目ではありませんし、王子のことを嫌っても……」
言いよどむエフィを見て、カーミルはもっとエフィの心の奥をつついてみたくなった。「なぜ化粧をしない?」
エフィは虚をつかれた。
「してきました」
「それは私が注文をつけたからだろう。きれいな顔立ちをしているのに、なぜ?」
いきなりなんなの? でも、望んでいた方向に話を持っていくチャンスだ。包み隠さず話してみよう。
「少し長くなってもかまいませんか」
「時間はある」カーミルは背もたれに身を預けた。
「わたしの父は、わたしが7歳のときに仕事の派遣先で行方不明になりました。いまも安否はわかっていません」
「それは気の毒に」カーミルの顔がわずかにこわばる。
「父は医師で、国際機関に協力し、たびたびアフリカや中東で医療活動を行っていました。あるとき、父の一行が移動中に襲撃を受け、全員が亡くなりました。でも、見つかった遺体のなかに父はいなかった。わたしは父がいまも無事でいると信じています」
カーミルは厳しい表情のまま、話がどこに向かうのかを見守っていた。
「わたしが新聞記者になったのも、いずれ海外特派員になり、現地で情報を集めたいと考えたからです」
「アフリカか?」
「父たちが襲われたのは、パダーン首長国の北部、国境付近だと聞いています」エフィはカーミルの瞳を強く見つめた。「こうして王子とお目にかかれたことは、たんなる偶然とは思えません。父がわたしを導いている気がするんです。そういった話について、何かご存知ではないでしょうか」
つらい話だろうに、終始、毅然とした態度を崩さないエフィの姿にカーミルは心を打たれた。飾り気のない美しさの奥に隠れている、芯の強さに。
「ミス・ベレスフォード、いや、エフィ。残念だが、私は何も知らない。とくに国境付近については隣国と合意のうえ近年変更されたところもあるので、把握しきれていないというのが現状だ」
エフィの表情に落胆の色が表れるのを見てとると、カーミルは励ますように力強く言った。「だが協力はしよう。何かあったら、私に連絡するといい」
うながされてエフィがノートとペンを手渡すと、カーミルは携帯電話の番号とメールアドレスを書いて渡した。
「ありがとうございます、王子。心から感謝します」
しぼみかけた希望がふたたび膨らんだ。これだけでも大きな前進だとエフィは思った。
「ところで、いまの話と化粧をしないことと、どういう関係があるんだね」カーミルはたずねた。
「父がどういう状況に置かれているのかわからないのに、わたし1人が楽しんだりすることはできません。父の行方がわからなくなってからは、母が苦労してわたしを育ててくれました。だからなおさら、パーティではしゃいだり、おしゃれをして、デートするなんて考えられないんです。父と母とわたし、家族3人がいつか再会を果たすまでは」
自然とその光景が思い浮かび、エフィの顔にやわらかな笑みがこぼれた。
「その気持ちは理解できる。だが、それでは自分に厳しすぎはしないか?」
エフィはかたくなな表情を浮かべ、小さく首を横に振った。
そのときカーテン越しに、側近の声がした。
「王子、そろそろお時間です」
カーミルとエフィは同時に立ち上がった。
「あなたの想いが伝わるような記事を書きます、カーミル王子」
「楽しみにしている。それと、私に連絡したければ遠慮することはない」そう言って、カーミルは手を差し出した。
エフィが握手に応じようと手を伸ばすと、カーミルはその手を強く引いた。そして、片腕をエフィの背中にまわし、しっかりと抱きしめた。「きっと大丈夫だ」耳もとでカーミルの深い声がささやく。
首筋にゾクッとするような感覚が走ったが、すぐに久しく味わっていなかった安らぎに満たされた。
エフィはそれに身をゆだねる自分を許した。
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