第34話 だーれだっ


「……寒っ」


 12月24日――クリスマスイブの午後。


 待ち合わせ場所にしている駅で時間を潰している最中も、刺すように冷たい空気が肌を撫ぜた。

 あまりの寒さに家を出たときから両手をコートのポケットに入れて暖を取っているが、やっぱり寒いものは寒い。


 吐く息は白く、家で見て来た天気予報によると氷点下らしい。

 そりゃあ寒いわけだと思いながら首に巻いてきたマフラーの防寒性能に感謝しつつ、こればかりは仕方ないと諦める。


 頭上に広がる空はまだ明るいが、2、3時間もすれば暗くなってしまうだろう。

 帰りもそれなりに遅くなってしまうことを伝えてあるけど……そこに全く深い意味はない。

 それは間宮もわかってくれているはずだ。


 というのも、俺は間宮を今日……クリスマスイブという日に誘うこととなった。

 なので行先は同じだけど、一緒に向かうのではなく待ち合わせの形をとっている。


 間宮曰く、私の私服を楽しみにしててね? とのことらしい。


 そう言われれば一緒に行こうとは言えず、俺はこうして妙な緊張感を抱えたまま待ち合わせ場所の駅へ向かうことになったのだ。


「……大丈夫、だよな」


 スマホのカメラを起動して自分の姿を確認する。

 今日はアカ姉に服装や髪型をコーディネートされた。


 下はスマートな印象を受けるような黒いスキニー、上はベージュのニットセーターにダークブラウンのチェスターコートを合わせた、全体的にすらりとした雰囲気の服装。

 髪もカッコつけない程度に整えられたが、逆に普段と違い過ぎて難しい顔になってしまった。

 アクセサリーもつけようかと聞かれたけど似合わない気がしたので断っている。


 これといって変な格好ではない……はず。


 急に込み上げてきた不安感を遠ざけるべく首を振って周囲を眺めてみれば、スーツ姿の社会人や学生に混じって、手を繋ぎながら歩く男女の姿――恐らく恋人であろう人たちの姿も珍しくなかった。

 そこでようやく自分も間宮が来たら同じような目で見られるんじゃないかと考えてしまい、ついついため息が漏れる。


 不満なわけじゃない。

 嫌でも、今更約束をすっぽかそうとも思わない。


 ただ……間宮の想いに対する答えは早いうちに出さないとな、と思ってしまっただけで。


 人の感情がいつまで経っても変わらない保証はどこにもない。

 それがたとえ、強い感情である好意だとしても。


 とりとめのない思考を続けながらぼんやりと空を眺めていると、不意に両頬を冷たい何かが挟み込んだ。

 急なそれに肩と心臓が大きく跳ねて、


「――だーれだっ」


 悪戯っぽい声が耳に届く。


 こんなことを俺にする相手は一人しかいない。


「……ユウ、だろ? なんでこんなベタなことを?」

「やってみたかったんだよね、こういうの」


 正体を看破すれば両手が頬から離れる。

 振り返ると、真後ろには照れくさそうに微笑む間宮の姿。


 膝上くらいの見るからに寒そうとしか思えない丈のカーキ色のスカート。

 そこからは黒いタイツに包まれた脚が伸びていて、履いたミュールが可愛さをプラスしている。

 上には白いコートを羽織っていて、間宮の長く艶のある黒い髪がより映えて見えて――って、それ前に買い物したときに見た気がするな。

 新しく買ったのだろうか。

 首には寒さ対策なのか赤黒チェックのマフラーが巻かれていた。


「ユウ、そのコートって」

「気づいた? 実はね、黒だけじゃなく白も買っちゃったの。なんでかわかる?」

「……いや、欲しかったからとか?」

「それも理由としてはあるんだけど半分かな。正解は……アキトくんが似合うって言ってくれたから、だよ?」


 少しだけ長い袖を丸めた指先で押さえながら、マフラーで口元を隠しつつ呟いて。


 喉の奥が煮詰めた砂糖のような甘さで焼けるような感覚があった。

 らしくないいじらしさを見せる間宮のそれに思わず呻き声が漏れそうになったものの、なんとか呑み込んで深呼吸。


 前に間宮と出かけた際、黒と白のコートでどっちが似合うかを聞かれて、『髪の黒が映えると思うから白』という旨の返答をしたことを覚えている。

 最終的には黒のコートを買った間宮が、その日は選ばなかった白いコートを着ていることに何も感じないわけがない。


「……ねえ、何か言ってよ。似合う……よね?」


 不安げに目じりを下げながら、小首を傾げて訊いてくる。


 頭を再起動させ、感じる気恥ずかしさを寒さで誤魔化す。


「似合ってる。俺が言ったこと、覚えてたんだな」

「うん。今日は特別だから。クリスマスデート……ってことでいいんだよね」

「デートじゃない。俺とユウは付き合ってるわけじゃないから、今日はただの外出。友達として世話になってる礼みたいなものだ」

「手ごわいなあ。私みたいに認めたほうが楽になるよ?」

「そうかもな」


 それはつまり、間宮が俺のことを好きだと白状しているようなもので。


 こんな日に、こんなサプライズをされて、こんなことを言葉の裏で伝えられては――流石に堪えるものがある。


「認める気になった?」

「……別に」

「もったいぶっても良くないよ。私って自分で言うのもアレだけど人気物件なんだから、早いうちに予約しておかないと」

「内見したら事故物件だったとかは勘弁して欲しいけどな」

「それ私のこと?」

「さあ」


 とぼけて見せれば呆れたようなため息が返ってきて、流れるように腕を絡めてくる。

 そうなれば身体の距離も縮まって、間宮の胸のあたりが微妙に当たっていた。


 服のお陰で直接的に感触が伝わってくることはないものの、やっぱり微妙な気まずさを感じてしまうのはどうしようもない。


「……当たってるから離れてくれ」

「当ててるから大丈夫だね。それに寒いじゃん。イブってことは人も多いだろうし、はぐれないようにするのって大事だと思わない?」


 正論のようにしか聞こえない言葉に秘められた要求は当然俺にも伝わっている。


 そこまで言われてはどうしようもなく、ポケットで温めていた手を出して間宮の手を握る。


「……はぐれないようにだからな」

「離さないよ、絶対」


 握り返す間宮の手は冷たかったけれど、柔らかで、徐々に俺の手の熱が伝播し溶け合うような感覚を齎した。


「あったかいね、アキトくんの手」

「家出てからずっとポケットの中だったからな」

「じゃあ寒いのに感謝だね」

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